婚約破棄から始まる百合

川木

婚約破棄

「メアリー・オブ・ハート、君との婚約を破棄させてもらう」


 メアリーに向かって三か月前に婚約者になったアーノルドが声高々にそう言った。婚約が決まる場で初めて顔を合わせ、それからも同じ学園だったので友好を深める、などということもなく顔を合わせば挨拶をするくらいの仲だった。親が勝手に決めただけなので、他に好きな人がいるなど理由を言ってもらえれば普通に協力するつもりだ。だからメアリーは婚約破棄を乞われたところで何も思わない、はずだった。


「……あの、ドロシー。アーノルドと知り合いだったのですか?」


 だけど呼びだされた場所に何故かいたドロシー・ド・ウィリアムズ。メアリーの幼馴染。彼女が何故かアーノルド側に立っている。そうなると話は全く変わってしまうし、メアリーの顔色も変わってしまうというものだ。


「ええ、少しね。それよりアーノルド様のお話が先ではなくて?」


 いやー、それは別にどうでもいいっていうか。そんなことよりドロシーだ。

 メアリーの実家、その隣の領地の娘であり、爵位の差はあれど領地同士の交友関係、両親同士の仲のよさもあり一般的に社交界デビューするより前の幼少期に出会った。それもお互い親の元をぬけだしたお忍びの最中に。なんだかんだで意気投合して大親友のつもりだった。

 だというのに、なぜアーノルドの隣に? まさかドロシーとアーノルドはいい仲なのか? だったらどうしてドロシーの口からそれを言ってくれないのか。同席するのはわかるが、どうしてこいつから聞かないといけないのか。


 そう怒りがわいてきたが、しかしこの場で怒鳴り散らしても仕方ない。ましてここは学園なのだ。二人っきりでお忍びで遊んでいる下町ではないのだ。外面や体面を重要視し、隙をみせれば家への批判や攻撃材料へとなってしまう。ここは学園の庭の片隅。人気のない場所とはいえ、自由に出入りしようと思えば可能だし、すぐ近くの建物から見れば姿は丸見えだ。大きな声や取り乱した姿は見せられない。


「……で、アーノルド。どうして婚約破棄を?」

「決まっているだろう。君がドロシーに嫉妬して嫌がらせをするような人間だからだ」

「……」


 は? いやちょっと意味がわからない。ドロシーに嫉妬? 確かにドロシーは見目もよく頭もよく客観的には誰もが認める完ぺきなご令嬢だ。その実、計算高くて腹黒く人を貶めることに躊躇のない非道な性格をしている。仲がいいし好きだけど、嫉妬する対象ではない。長い付き合いなので、いいところもわるいところも、ああドロシーだなと思うだけだ。

 まして嫌がらせだなんて。万が一嫉妬したとして、そんなことに時間をつかうくらいならなりたい自分になるよう努力した方がいい。そのくらいには健康的な生き方をしてきた。

 アーノルドがそれをわからないのはいい。だけど、どうしてドロシーがいてそんな話に? 実際にしていないのに? 一瞬混乱してしまったメアリーは返事に迷った。そんなメアリーの態度にアーノルドはなぜか得意げに鼻をならした。


「ふん、言葉もでないようだな。まさか君が、私とドロシーの仲に嫉妬するなんて。そのように惑わせた私の魅力もまた問題であっただろうことは謝罪する。しかしだからといって、嫌がらせをしていいわけがないだろう。そのような性根の君と結婚はできない。まして私は、真実の愛を知ってしまったからな」


 突っ込みどころしかない。なんならちょっと笑いそうだった。だがとりあえず、彼と話をしても仕方ないことは理解した。


「えー、はい。婚約破棄はわかりました。それでは親にもそのように伝え、手続きいたします。お話はこれで以上でしょうか?」

「うん? うん。そうだ。どうやら理解してもらえたようで嬉しいよ」

「はい。それではごきげんよう。ドロシー」


 素直に全部受け入れて頷くメアリーに一瞬不思議そうにしたアーノルドだったが、思い通りの展開には違いないからか満足そうだ。それに腹がたたないではなかったが、ドロシーが黒幕なのは間違いない。メアリーが型通りの礼をしてからドロシーに目配せすると、にっこりと微笑まれた。


「ええ、そうね。それではアーノルド様、失礼いたします」

「え? ど、ドロシー? どうしてそっちに? 私がビシッといって理解してもらったのだから、無理にメアリーと仲良くする必要はないんだよ?」

「どうしてもなにも、あなたとこれ以上お話しすることもありませんもの。なら、親友のメアリーとお喋りした方が楽しいに決まってますわ」

「え?」


 全く理解できない、と言う風にフリーズするアーノルド。ここまでくると少しかわいそうな気もするが、ドロシーのせいだとしても勝手に人を悪人に仕立て上げようとしたのだから、同情の余地はない。え? え? と繰り返すアーノルドを放置して、メアリーはドロシーをつれて自室へ戻った。

 全寮制の学園は立場によって部屋が異なる。ドロシーの部屋のほうがメアリーよりも2倍以上大きいが、そこでは部屋付きのメイドがいるので真に自由にふるまえるわけではない。なので腹を割って話すときはメアリーの部屋というのが暗黙の了解だった。


「で? どういうつもりなわけ?」


 外では終始敬語を崩さず丁寧な態度をこころがけるメアリーだが、当然それは貴族子女としての建前であってそういった堅苦しいのは苦手だ。部屋に入った途端ストールも外して椅子にひっかけ楽にしながら自身のベッドに腰かけ、じろりとドロシーをにらみ上げ足を組みながら詰問した。


「あら、感謝してくださってもいいんですわよ? この私がわざわざ、あのような羽虫を追い払ってあげたのだから」

「羽虫て。あんな風に言ってきたのもあんたの差し金でしょうが」


 所作に似合わぬ遠慮のなさでどすっと、肩が触れ合う距離で座ったドロシーはメアリーの肩に触れながらそう楽しそうに笑う。


「ええ、そうよ。あなたが婚約するというから、この私が見定めてさしあげたのよ。少し話しかけただけで私のことを好きになってしまうのは、この私の美貌のいたすところとはいえ、何の確証もない、その可能性もある、というお話をしただけで勝手に盛り上がってあなたに婚約破棄を、しかもあんな人目につくところで言い出すのだから、まったく、あれと婚約だなんて、おじさま、少し人を見る目がないのではなくて?」


 突っ込みどころしかない。まるで一切自分に非がないような言い方をしていて、ほんの少し悲しげに目を伏せ気味にしているけれど、どう考えてもそうなるように仕組んだくせに何を言っているのか。何の確証もない嫌がらせした可能性を語るって意味が分からない。

 とメアリーは疑惑の目を隠さないが、ドロシーはどこ吹く風。つん、と親しげにメアリーの頬をつついた。


「なぁに、その目。感謝しているのなら、言葉にしてくださってかまいませんわよ?」

「いや、まあ、いいけど。別に好きだったわけでもないし。今回はほんと、いいよ。でも、言っていずれわたしもさ、そのうち誰かと結婚させられるんだよ? その全員テストするつもり?」

「当然でしょう?」

「……いや、別にさ、私、魅力ないとは言わないけど、あんたに誘惑されたら勝てるやついる? いないでしょ」


 別にメアリーは事故物件ではない。領地経営も安定しているごく平凡な貴族家だ。ただ第四子であり後継も政略結婚としてふさわしい娘もいての余りなだけだ。だからこそ今まで比較的自由にしてもらえているが、支度金も少なく政略としての意義も低い。貴族社会においてはより取り見取りとはとても言えない。

 そんな状態で好物件などのぞめるはずがない。そもそもあのアーノルドも同年代で条件が近く、剣術や乗馬というご令嬢にしては活発な趣味を認めてくれる程度には理解もあったのだ。ただドロシーには勝てなかっただけで。あんな風に声高になったのも正義感の表れだろう。性格が終わってるわけでも将来性のない馬鹿というわけではない。

 あれでだめならこの後さらにいい条件がくるとは思えない。


「ほんの少し話しただけであなたに確認もせず婚約破棄などと息巻くのは論外ということよ」

「あんたの外面に騙されない私と婚約するような同年代いないでしょ」

「だったら仕方ないわね。ずっと独り身でいなさい」

「えぇ……」

「大丈夫よ。私も婚姻はしないもの」


 めちゃくちゃ言うじゃん。と引くメアリーに、ドロシーは余裕たっぷりのどこか優しさを感じさせる笑みを浮かべてメアリーの手をとって軽くふりはじめた。ドロシーは貴族女子としてはありきたりなダンス趣味だが、こうして手だけでもリズムをとるのはドロシーのとてつもなく機嫌のいい時の癖だ。


 ドロシーは長女である。四兄弟の長女である、領主となる教育を受けていたが、12歳になり待望の末っ子長男が生まれたことで後継ぎからはずれた。女でもなれるが基本的には男が優先してなるのが世間の風潮だからだ。だけどすべてではなくても領主教育を受けた以上、どこの領地にでも嫁にいけるわけではない。ドロシー本人はだから婚姻しないと宣言している。それ以外の選択肢も存在しているが、本人がそう言い張っているので周りも強く言えず、そういうことになっていて婚約者がいない状態だ。

 それは別に本人の自由だし、以前からドロシーは現実主義的な反面、恋愛小説にあこがれるようなロマンチストな面もあったので、好きに生きたらいいと親友としてメアリーはドロシーの決断に賛意を示している。


「それは知ってるけど、いや、ていうか。付き合わせようとしてない?」


 が、まさかそれにメアリーを巻き込もうとしているとは。そりゃあメアリーが結婚し子供をなして親となれば、今と同じように日常的に一緒に過ごすことは難しいだろう。週に一度は一緒にお出かけなんて不可能だ。だけどそれは、今が学生だからできることだ。学生になるまでは一緒にでかけるのも月に一度程度だったし、婚姻しようがしまいが、学生時代と変わらぬ頻度で友人と交流をできる人なんていないだろう。


「ずいぶんな言いぐさね。私はあなたが羽虫に騙されるところを救ってあげたというのに。もちろん、あなたとの継続的な関係を望むのも本音ではあるけれど」

「騙されって。それはともかく。いや、まあ無理に結婚する必要ないのもだし、あんたと一緒にいるのは楽しいけどさ。でもさすがに、ずっとこうではいられないでしょ」

「あら、ではあなた、卒業後の進路は考えていて? まさか実家や言われるまま結婚した相手におんぶにだっこというわけではないでしょう?」

「嫌な言い方。うーん、ま、そうだね」


 実のところ、将来の構想は特にない。まだまだ学生になって一年もたっていない。これから適性を鑑みて宮勤めを希望しても全然遅くはないはずだ。もちろん意欲のある人は入学前から決めているだろうけど。どうせ言われるままに結婚すると思っていたが、ドロシーがそういうならそれ以外の道を考えてみよう。


「結婚しないにしても、家はでるだろうね。仕事、私としては剣術も自信あるし、女性近衛騎士とか? んー、でもあんまり堅苦しいのはあれだし、町ですごすのもいいかな。あー、商売もいいよね。楽しそう。そうそう、私、昔パン屋さんになりたかったんだよね」

「知っているけど、パン屋は無理ね」

「わかってるよ。料理できないし。うーん。今言われても、具体的な職業でてこないや。なにかこう、ほどほどに体を動かして楽しい仕事があればいいんだけど」


 と言いつつ、そんな都合のいい仕事はないだろう。

 女性近衛騎士は男子禁制の場所でも出入りでき、高位女性のための箔付の意味合いもあるので、純粋な実力より地位や立ち居振る舞いが必要になる。そもそも普通の軍でも基礎は必要だが入ってから鍛えられるのものだ。貴族女性で騎士志望自体少ないのだからメアリーでも入ることはできるだろうが、礼儀作法のやり直しのほうが大変そうだ。

 あと商売をするなら実家の領地ならコネはあるけれど、自分で主導するほどこだわりがあるわけでもない。雇われる側になると貴族女子は使いにくいだろう。というかそれも含めて実家におんぶにだっこと言われてもしかたない。そうならない独り立ちというのは冷静に考えて難しい。


「あるわよ」

「ん?」

「そういう仕事、あるわよ。ついでに言うとあちこちに旅行をしてご当地のおいしいものも楽しめるわ」

「えっ。まじで? 紹介してくれるってこと?」

「ええ。それはね。この私、外交官の助手よ」


 外交官。領主教育を受けている人間が領地外で就職する先として一番無難な宮仕えの一つで、知識が無駄にならない相当な実力が必要になる職だ。単独で国外に行く都合上個人で助手や護衛を雇うのが珍しくないし、なるほど、それならメアリーの立場も関係もぴったりだろう。

 しかもメアリーも選択授業で他国の言語を習っている。それもこれもドロシーの勧めがあってのことだ。外交官というのは国の顔なので、なろうと思って簡単になれるものではない。しかしドロシーならなるほど確かに可能性はある。


「最初からそれ狙ってた?」

「あなたが路頭に迷わないよう、世話をしている私に対して向ける目がそれかしら? もっと頭をさげてもいいのよ?」

「いや、まあ、はい。ありがとうございます。まあいいよ。確かにそれは面白そう」

「でしょう。ふふふ。だからあなたも一生独り身でいるがいいわ」

「いや……一生は重いでしょ。確かに今はなんもないけど、いつかは恋人ができたりーとか、一応そういうの、私だって考えないでもないし、そもそもドロシーが自由恋愛派でしょ? 一人結婚して私だけ残されるとかさすがにまじめに怒るけど」


 ドロシーがそこまで言ってくれるなら、就職先として選ぶのは全然ありだ。ノープランだったし、しかもめちゃくちゃ楽しそうだし。でもそれとこれとは別だ。確かに婚約者をつくってもらう必要はないが、だからって一生独り身を決断するにはまだ若すぎると思う。

 そしてほかならぬそれを宣言しているドロシーこそ、誰かを好きになったらあっさり趣旨替えして当然のように人を裏切る。そういう女だ。そしてもし宣言したメアリーが先に裏切ったら死ぬほど責める。そういう女だ。


 メアリーの慎重な姿勢に、ドロシーはふむ、となんだかんだずっと持ってたメアリーの手を離して自分の頬にあてた。

 何かを考えこむような姿勢。ぱっと見は才女らしい凛とした美しさと思慮深さを思わせるが、どうせろくなことを考えていないに決まっている。

 メアリーはそう考え、警戒しながらドロシーの返答を待つ。


「ふむ。そうねぇ。あなたが一生独り身なら、私もそのつもりだけど。いいわよ、あなたが恋人を作りたいというなら、私がなってあげるわ」

「は? ……は?」


 理解ができなかったメアリーの間の抜けた顔に、ドロシーはくすくすと雑談をしている最中とかわらない笑みを浮かべる。


「あなたって本当に、理解が遅いわよね。愚鈍だわ」

「親友から急に告白されて戸惑わなかった実績を手にしてから言え。いやちょっと、え? 私のこと好きなの?」

「まさかあなた、この私が好きでもない人間と恋人になってあげるほど慈悲深い人間だと思っていたの? 笑ってしまうわ。あなたが私と恋人になりたいというなら、なってあげてもいいくらいにはあなたのこと評価しているのよ」

「……」


 どういう評価? いや、言葉尻を本気にしてはいけない。メアリーの経験上、この女は嘘はつかないが、ふわふわした言い方で煙にまくのが大得意だ。つまりメアリーが今のドロシーの言葉を翻訳するならこうだ。恋人になりたいくらい好き。

 いや、まじか。メアリーは自分で出した結論にびっくりする。これしかありえないけれど、そんなことを考えたこともなかった。もちろんドロシーのことは好きだけど、恋人だなんて。

 と考えてから、そもそも自分が恋人に何を求めるか、好みのタイプ、そういったことを考えたことがなかったことに気が付いた。ぼんやりと将来は親が言った誰かと結婚するんだろう。とだけだった。だからこそ自分の好みというのは関係がないと思っていた。


 では今考えよう。メアリーが恋人に求めるものはなんだろうか。趣味を否定しない? 気が合う? 一緒にいて楽しい? ……ドロシーはすべて当てはまっている。当然だ。親友なのだし一緒にいて苦であるはずもなく、一生付き合いを続けたいと思うのも当たり前のことだ。だけど恋人となると話はまた別だろう。

 例えば……例えば、キスとか? ドロシーと?


 ドロシーを見る。黙り込んだメアリーが何を考えているのかわからないはずなのに、すべてわかってますとでも言いたげにほほ笑んでいる。


「あら、なぁに? 今更私の顔に見惚れているのかしら?」

「いや、まあ……」


 確かに美しい顔だ。とても今更だし骨身に染みるほど知っているけど。キスをしようと思えばできるだろう。きれいな人形にキスをすると思えばなんということはない。だけどそれ以上となるとどうだろうか。

 いや、待てよ。とメアリーは思う。当たり前のことだと思っていたけれど、では例えば件のアーノルドとキスやそれ以上ができるか。それはできるだろう。我慢すれば。嫌だけど。そういった枕詞が必要になってしまう。つまり、親の決めた誰かと結婚することは我慢が前提であったのだ。だけどドロシーとならばとりあえず想像上でも嫌悪感はない。まあいいか。というノリだ。なら少なくとも現状、今の私に嫌悪感のない恋愛相手はそもそもドロシーしか存在しないのでは?


 もちろん、それは今の話だ。今後学園を出て、ドロシーと共に国外を渡り歩けばどれだけ出会いがあるか。そうなれば話が変わってくる可能性はある。だけど、どうだろうか。学園に通うようになった現状、すでにめちゃくちゃ出会いはあったはずなのだ。

 貴族子女が恋愛結婚をしたいなら貴族が集まるこの学園で見つけるというのが定番だ。しかし特別そういう努力をしていないとはいえ、一切出会いらしいものはない。それはドロシーと一緒にいるのが楽しくて二人でつるんでばかりだったからだ。顔見知りや知人以上の友人すらできていない。では学園から卒業して、仕事上の付き合いばかりの仲で、ドロシーといる以上に楽しい相手と出会うだろうか?

 メアリーはそれほど自信過剰ではないつもりだ。器用なほうでもなく、楽しい目先ばかり優先してしまうことも自覚している。なら結論はひとつ。ドロシーの言う通り、一生独り身でいるのだろう。だったらドロシーと恋人になるか、独り身でいるか。それしか選択肢はない。


 そう結論をだしたメアリーは思う。だとしてこのままドロシーの言う通り恋人になるのも面白くないな、と。そもそも今無理に恋人がほしいわけでもない。


「なるほどね、お美しいドロシー様が、恋愛弱者の私の恋人になってくれると、いやぁ、お優しいねぇ」

「……なによ、その言い方は」


 にやつきながら言ったメアリーの嫌味っぷりに、さすがにドロシーも表情を崩した。とりあえず出だしはいい。

 というか、いつもはこんなに動揺をあらわにしないのに、今日はずいぶん簡単に思ったように反応してくれる。こと恋愛においてはドロシーもいつも通りの余裕たっぷりではいられないのかと思うと、ずいぶん可愛らしいことだ。


「いやー、ま、別に今のとこ私は恋人募集してないし? いずれ真実の愛に目覚めるかもだしー? 恋人になるってのは気持ちだけ受け取っておくよ」

「な、あなたね。何よその言い方。もっと私の慈悲に感動して、膝をついて喜んでもいいのよ」

「はいはい。そうだね、私もドロシーのことは好きだよ。でも恋人になるほどじゃないかな。まあ、ドロシーが恋人になってほしいっていうなら別だけど」


 はい、これで立場は逆転だ。最も、本当にドロシーにその気はないというなら話はこれで終わりだ。だけどそんなわけがないことは、長い付き合いでわかっている。ドロシーは付き合ってあげてもいい程度の相手と付き合うほど、プライドのない人間ではない。メアリーと違って。


 メアリーの言葉にドロシーは強く眉を寄せた。そんな風にあからさまに感情を顔に出しているのはめったにない、いや、怒りや戸惑いという感情に限定すれば初めてだ。そんな顔を見ていると、心の中に妙な優越感がわいてくる。

 ドロシーに嫉妬したことはない。だけどかなわない存在だと思っているからだろうか。あのドロシーがメアリーを思い、婚約破棄をわざわざさせるほどメアリーに執着し、メアリーの為に感情を出している。そう思うとなんだか楽しくなってくる。悪い気はしない。こんなドロシーをメアリーだけが見れるというなら、恋人になるというのは意外と悪くない話かも知れない。


「……ふ、ふふふ、そう、そうなの。まったく、メアリーときたら、プライドが高くて困るわね」

「いやー、あんたに言われたくないんだけど」


 メアリーの言葉に一瞬固まったドロシーは動揺を隠すようにことさら笑みを深くした。ということを分かる関係だというのに取り繕うことをやめないメアリーよりプライドが高い人がこの世にいるのか。

 しかしそれでも、こんな風にわかる程度には動揺がでているのだ。それ自体ドロシーには珍しい。さっきからずっと、珍しい。それがメアリーに恋をしているからなのだろう。

 そう思うとメアリーからしてもともとドロシーの顔はいいのだけど、今のちょっと変わった表情すら可愛く見えてきてしまった。これすらドロシーの策略なのだとしたらまんまとドロシーの魅力に踊らされていることになるけれど。


 自分でも急に感じる心情の変化にメアリーは自分でもおかしくなって少し笑う。そんなメアリーにドロシーはむっとわかりやすく頬を膨らませてから、ぱっと表情を変えた。

 その瞬間、まるで子供のようにも見えた。昔を思い出させる幼げな表情が可愛らしく、いつもと違いすぎるドロシーの表情に虚を突かれて思わずメアリーはドキッとしてしまう。

 そんなメアリーの心情に気づいているのかいないのか、ドロシーはそっとメアリーの肩にふれ、軽く撫でてから立ち上がり、体重をかけて上から押してきた。


「え? な、何? 重いんだけど」


 そのままメアリーの上に乗りあがり、起き上がれないようお腹の上にいるドロシーは戸惑うメアリーの唇に指先をあてて黙らせた。そのいつにない態度と姿勢に、メアリーは急すぎる展開についていけずに指示されたまま黙るしかなかった。

 触れた指先の思わぬなまめかしさと、見たことのないな熱のある表情。普段からスキンシップが多いドロシーだけど、そもそも親しい女友達はドロシーしかいないメアリーにはそれが普通だと思っていた。だけど、もしかしてずっとこんな熱量を隠していたのだろうか。

 

 ドロシーがメアリーを好きなだけで、メアリーはそうでもない。だからこそ主導権を握れていたのだ。こんな、ちょっとそれっぽく雰囲気をだされただけでころっと言ってしまうほどちょろくない。だから大丈夫。と自分に言い聞かせながらメアリーは妙に早い自分の鼓動を無視して平静を装う。


「しかたないわね」


 ドロシーはそんなメアリーの内心を、だけどわかっているのだろうか。その目をキラキラと光らせてその瞳の美しさでメアリーの視線をはなさせないようにしながら、ことさら余裕たっぷりの声音を出した。


「強情なメアリー、私と恋人になりたいと素直にお願いできるよう、あなたが私を大好きなのだと、分からせてあげるわ」


 そう言ってドロシーは顔を寄せてきた。その突然の行為に、だけどメアリーは目をそらすことができなかった。


 この後、メアリーはめちゃくちゃわからされるのだけど、恋人になってからもなんだかんだ二人一緒に楽しく幸せに暮らすのだった。





 おしまい。

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