自選ひたすら蕎麦を煮る十話
九大文芸部OBOG会
自選ひたすら蕎麦を煮る十話
作者名:木倉 兵馬
一. 事実として
クリスマスイブに私は自宅で夕飯の支度をしていた。
ガスコンロの前に立ち、蕎麦の乾麺を煮るために水を入れた鍋を火にかける。
沸騰し、乾麺を鍋に入れしばらく待つ間に丼を用意した。
程よい固さに蕎麦が煮え、私はそれを食べた。
ふと気づいた。「今日は三十一日ではない!」
◆解説
この掌編のタイトルは「事実として」である。
しかし、実際には事実を述べていない。
なぜならば、私は基本的に年末年始には実家に帰るからである。
クリスマスに蕎麦を煮たこともない。
まあ、レンジでチンくらいはした覚えはあるが……。
ともあれ、これが基本の文章であり、残る九編は改造版となる。
二. ルー大柴のように
俺はクリスマスイブにワンヒューマンでした。誰か一緒にトゥギャザーしようぜ、と手当たり次第にコーリング。バット誰もがプランを持っていました。寂しいサッドデイ。ストマックをフィルするべくイーブニングミールをメイクしました。ふとファインドアウトしたのですが、このデイは大晦日ではありません。蕎麦をすする最中のことです。
◆解説
昔ルー語というものが流行った。
簡単に言えば日常語さえもイングリッシュにしてしまうものである。
これを使う者のことをルーマニアと呼ぶ。
決して東欧の国名ではない。
この掌編は、ルー語を使ったものである。
ちなみに、蕎麦もイングリッシュにチェンジしようとウォントしたがソバヌードルだとわかり易すぎるし、バックウィートヌードルだとわかりにくいのでストップした。
三. やだなー、怖いなー
いやー、この世には変なことがいろいろありますね。
その日はクリスマスの前の夜、ちょうど七時ごろでしたか、グツグツ、グツグツ、って蕎麦を茹でてたんですね、私は。
でもなーんか変だなー、変だなー、と思った。
グツグツ、グツグツって鍋のお湯が沸き立つにつれて、やだなー、一人ぼっちはやだなーって感じまして。
でも蕎麦は茹で上がったんです。
まあズルズルーッ、ズルズルーッて音を立てて食べた。
そこでハッと気がついたんですよ。
「十二月三十一日まで七日もある」って。
いやー、あのときは本当に驚きましたねえ……。
◆解説
怪談師、稲川淳二氏の語り口を真似たものである。
音読する際は深夜三時に三面鏡の前に座り、部屋を暗くし、顔に下からかぼそい光をあてて行うことをおすすめする。
四. 文語めきたる
今は昔、男なむありける。
師走の末、耶蘇の生まれたる日の前なれど、そばがき作りけり。
いざ食らわむとするに、男、大晦日ならざると覚えけり。
よろずのことにも先達はあらまほしきことなり。
◆解説
古文は得意ではなかったが、現代人の発想からは出てこなさそうな突拍子のない話もあって嫌いではなかった。
そんなことを思い出しながら書いた。
ちなみにこの掌編の最後の一文は『徒然草』の石清水八幡宮を詣でそこねた仁和寺の法師の話から引用している。
五. 下手なれどさあ伝えよう短歌にておのれの心とその有り様を
クリスマスイブに蕎麦煮るただ一人ほろりほろほろ涙の塩味
◆解説
これ以上何を解説すればいい?この掌編は短歌でしかない
六. 漢字にまみれて
我、欲食蕎麦。我独也。安止我也。
立瓦斯焜炉之前、置鍋、入水、点火、待沸騰。
空腹也。已煮蕎麦、将食蕎麦。
我、不知所謂耶蘇生誕祭之前日也。豈不愚哉。
◆解説
漢文もまた得意ではなかった。
しかしためになりそうなことが書いてあったので嫌いではなかった。
実践できていたか、また今実践しているかというと、うつむかざるを得ない。
ちなみに孔子は「何もしないでボーっとしているよりはギャンブルしたほうがよいぞ」というようなニュアンスの言葉を残している……らしい。
七. るれ流に逆
「!いなはで日晦大は日今」
(フリセだん叫人一たったてっすすらか丼、てえ終で茹を麺乾の麦蕎、にブイスマスリク)
◆解説
「るいてし悔後をさ甘の断判がたし襲踏をたかき書じ同も説解。編掌たっかさくどんめがのく書、ののもた似真り喋のータクラャキるくて出に『語刀』」
八. 過ぎたるは及ばざるが如し
海の底のように静かなクリスマスイブに、一人だけ祝福を受けなかったような私は、ウサギ小屋のような自宅で、突貫工事のような夕食の支度をしていた。
何年も使いまわし続けた古い靴下のようなキッチンで、雀のような鍋を置いてけぼりを食らって一人残されたようなコンロに置く。
讃岐うどんのような蕎麦を古瀬戸のような丼に移し、何年も飢えていたかのように食べていた。
とろくさい兵士のように気づいた。
「太陽が西から昇らないように今日は大晦日ではない!」
◆解説
オッカムの剃刀は文章にも有効である。
九. 同志諸君!
アメリカではあなたが一人で蕎麦をクリスマスイブに煮る。
ソビエト・ロシアでは蕎麦が一人であなたをクリスマスイブに煮る!
◆解説
いわゆるロシア的倒置法ジョークの一つである。
しかしソビエト連邦が存在していた頃、アメリカでは麺類としての蕎麦は一般的ではなかったし、ソビエトにおいてはカーシャという一種の粥がよく食べられていた。
なお立ち食い蕎麦は原料のそば粉の大部分をウクライナなどに頼っており、昨今の情勢により値上げせざるを得ないという記事を読んだことがある。
早く平和が訪れてほしいものだ。
十. スチームパンク・イン・ジャパン
私がパンチカードに打ち込んだ孔のうち、数個の打ち間違いのせいで無実の男を犯人だと階差機関が吐き出した。
どうもこの仕事は性に合わない。
ミスに激怒する上司に足で稼ぐ仕事がしたい、と言うと、お前は探偵より棒手振りがお似合いだ、今すぐ暇をくれてやるからさっさと出てけ、とのこと。
意気消沈した私はデスクから私物の計算尺と筆記用具を――残念ながらこれ以上のものは持ち出し禁止だった――カバンにしまって事務局から出た。
外に出ると『ピンカートン探偵社福岡支部』と書かれた真鍮看板の鈍い輝きがどす黒い石炭の排煙で曇った空に負けそうになっていた。
溜息を吐いて家へ戻る。
何度か蒸気自動車や馬車の乗り手に怒鳴られた。
呼び声がうるさかったので、売りの少年に三十銭を渡して夕刊を手にした。
心付け《チップ》がないと知ると奴は眉を上げて睨んだ。
こちらも睨み返してやった。なんという虚勢!
こうして身も心も疲れ果てつつ、
自室に入る前に、今日は私が料理当番だったことを思い出す。夕飯の支度をしなくては。
しかし、どういうわけか他の住人がいない。
大晦日だというのに、不思議なこともあったものだ。
荷物を片付けて台所へ向かう。
ミシミシと床が鳴る。安普請であるから当然だ。
インクの匂いがまだ残る夕刊を読んでみると、昨日の千代地区の大火事は古い集合住宅のストーブが火元だったと知れた。
明日は我が身、と思いつつ、銅製保管容器を開く。
乾麺蕎麦。
住人全員分はあるだろう。
さっそくコークスを窯に入れ、ほどよい火力になるまで夕刊の続きを読む。
碩学たちは新しい階差機関をイギリスから購入するらしい、今までの八倍もの計算力がある、と知った。
その分、孔開けが面倒になるな、機械を使うのではなく機械に使われるだろう、と思った。
ちょうど火力報知器が鳴ったので、据えた大鍋に蕎麦を入れた。
人数分煮るのは少々手間だった。
己の分だけ茹でればよかったと思いつつ、鰹節と醤油を煮汁に混ぜ、丼に盛った。
貧乏独身男共が食う飯である。
こんなもので十分であろう。食堂に持ち運ばずとも、ここで食えばいい。
今日の糧を与えてくれた碩学に感謝し、明日からの糧を不安定にした上司を呪って、食前の祈りの代わりとした。
もっとも私は基督教徒ではないが。
肝心の蕎麦は少し茹ですぎのようだった。
ちょっと箸でつまめばふにゃりと切れる。
つまめばぶつ切れとはなんと験の悪いことであろう!
ぐにゃぐにゃとした食感と粗雑な旨味を感じつつ、ふと壁に吊るされた日めくりを見た。
『十二月二十四日 クリスマスイブ』
阿呆一人、ここにありけり。
◆解説
他の文章に比べて長い作品になっている。
この掌編と同程度のものもあったが、今回は採用を見送った。
ところでスチームパンクはおしゃれで好きだ。
『ディファレンス・エンジン』も『スチームボーイ』も好きだ。
ディーゼルパンクとややこしいが好きだ。
『サイズ~大鎌戦役~』も好きだ。
この作品を書かれた作者さんは,こちらのアカウントでも活動されています
自選ひたすら蕎麦を煮る十話 九大文芸部OBOG会 @elderQULC
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