ニュータイプ ――2041――

明日乃たまご

第1話 誕生日

♪Happy birthday to you♪Happy birthday to you♪Happy birthday, dear みんなー♪Happy birthday to us♪


 千坂アオイがハッピバースディ・トゥ・ユーを歌う子供たちの声を聞いたのは、福島県K町にある放射性物質除去技術者養成センターの、テーブルとイス以外には何もない会議室で母親を待っている時だった。


 壁越しに、大勢の子供たちの歌う楽しげな声が聞こえて、アオイも口ずさんだ。ただ、dear みんなーとto usという部分は言葉を合わせられなかった。


 ディア、みんな? トゥ、アス?……意味が理解できず首を傾げた。


 パチパチと小さな拍手が聞こえ、わずかな静寂がある。


 子供がロウソクを消す可愛らしい光景。……アオイは想像する。


「いただきまーす」


 壁の向こう側の元気な声を聞きとることが出来た。


「お誕生日おめでとう」


 アオイは知らない誰かにささやいた。


 それからは、はしゃぎ声や足音、笑い声が雑然と聞こえるだけで、話の内容を聞き取ることは出来なかった。


 でも、どうしてここに子供がいるのだろう?……放射性物質除去技術者養成センターという堅苦しい名称とその設置地域から想像できるのは、原子力発電所の事故で飛散した放射性物質や燃料デブリの回収だ。それは大人の仕事で子供は関係ない。


 あぁ、ここで学ぶ人々の子供たちが集まっているのかもしれない。きっとそうだ。……答えをひねり出したところで、正解に至った確信はなかった。


 どうしてママはここに来たのだろう?……4月戦争という核攻撃で父親を亡くしたアオイには〝核〟は身近なものだった。だからといって、国立つくば生命科学研究所で所長をしている母親が出張でここにいる理由は想像できなかった。


 アオイの母親は千坂朱音で医者であり、国立つくば生命科学研究所で研究に携わる生命工学博士でもある。その日アオイは研究所に母を訪ねたのだが、出張に出ていると教えられて、放射性物質除去技術者養成センターまで足を延ばしていた。


 母親は、研究に夢中になると数日間も家に帰らないことがある。それで突然の出張には驚かなかったが、アオイにも都合があった。明日には進路希望の書類を学校に提出しなければならなかった。その電子書類には保護者の認証が必要なので、慌てて福島県までやって来たのだ。


 アオイは薄っぺらなシート状のタブレットを机に広げて電子書類に目をやる。保護者の認証をもらうスペースも進学希望大学名も空白だった。


「どうしようかなぁ」


 アオイは、進路を決められないでいた。


 小さなころ、身近なところに科学があった。その記憶はぼんやりと霞の向こうにあって形にならないのだけれど、自然の大気とは違った、消毒の混じった清潔な空気の中で過ごしていたと思うのだ。その影響が、科学への関心のスタートにあるのに違いなかった。なのに、素直に踏み切れないのは、母親の暮らしぶりを見ているからだ。正直、不規則で子供を放置するような生活を支持する気持ちにはなれない。


「パパがいたらなぁ」


 アオイは天を仰いだ。


 アオイの父親はSF作家の千坂亮治で、アオイが7歳の時に4月戦争に巻き込まれて死んでいた。大好きな父親だった。その死は突然で、子供のアオイには何事が起きたのかわからなかった。ただ大好きな父親に、もう抱きしめられることはないのだと思うと、身体の真中に大きな空洞ができたような感じがした。


 それから10年。身体にできた空洞には哀しみがいっぱい詰まっていて埋まらなかったけれど、時の経過と共に穴自体が小さくなっているのも事実だった。時間と理屈が空洞を埋めているのだとアオイは考えていた。そのことで、自分を薄情者だと責めることもあった。


 父親を失ったアオイは母親というより、祖父母に育てられた。母親は週の内4日は研究所に泊まり込むような仕事バカの人間で、たまに帰ってきたかと思うと死んだように眠り、翌日、アオイが気づいた時には出かけていた。そんな母親がアオイは嫌いだった。


♪Happy birthday to you♪……再び声がして、アオイの思考が中断した。


 歌は一斉に歌っているのではなく、数人の子供たちが遊び半分に歌っているものだった。ドアの開閉する音がして、廊下を走るパタパタという軽い足音がした。


 ――ゴト……、音がして、会議室のドアが開いた。姿を見せたのは母ではなかった。


「あっ、人がいる!」


 アオイと視線が合ったのは小学生ぐらいの子供だった。部屋を間違えてドアを開けたのだと思った。


「こんにちは」


 アオイが声をかけると、「こんにちは」と子供が応じた。ドアから中を覗いた子供は1人ではなかった。


「こんにちわん」


 別の男の子が笑っていた。その背後から女の子が覗いていた。


「えっ……」アオイは言葉をのんだ。


 子供たちの顔が皆同じものに見えた。まるでおもちゃ屋の棚に並んだ人形のようだった。


「お姉さん。だれ?」


 先頭の子供が訊いた。


「ち、千坂アオイよ。よろしく」


 アオイが笑みを作ると、子供たちがぞろぞろと入ってきた。6人ほどいて、男子と女子で多少の違いはあるものの、4人は顔も身体も瓜二つだ。残りの2人は4人よりも身体が一回りほど小さかったが、顔は大きな4人とそっくりだった。制服なのだろう。着ているものが全く同じシャツとパンツなので、尚更似て見えるようだ。


「千坂博士の子ども?」


 彼らがアオイを取り囲んだ。


「そうよ……」


 アオイは、同じ顔を持つ子供に囲まれて自分の顔が引きつるのがわかった。


「私の仲間?」


 小さなほうの子供が訊く。


「3803号はバカだな。よく見ろよ。顔が違うだろ」


 大きな男の子が言った。


「バカって言う3708号の方がバカなんだよ」


 小さな子供が言い返した。


 3708号って何だろう?……疑問に思いながら、声をかける。


「今日はお誕生会なのね?」


 言ってから、母親がクローン人間の実験をしているのだろうと思い至り、気持ちが沈んだ。それは法律で禁じられている。自分の声が震えていないことを願った。


「そうだよ」


「誰がお誕生日なの?」


「みんなだよ」


「みんな?」


「3701号、3702号、3703号……」


 1人の子供が延々と数字を並べ始める。


「私たちは、生まれた日が同じなんだって。先生が言ってた」


 別の子供が的確な答を返した。


 子供たちと話していると、何度もドアが開いて子供が増えた。小さな会議室は同じ顔の子供でいっぱいになった。


「こら! みんな自分たちの部屋に戻りなさい」


 廊下で大人の声がする。


「先生、千坂博士の子供がいるよ」


 子供たちは無邪気に外の大人に向かって教えた。


「わかっていますよ。だから、部屋に戻りなさい」


「はぁーい」「はーい」「ほーい」


 顔は同じでも、反応は微妙に違っている。つまらなそうに応える者がいれば、元気に応える者もいた。


 子供たちがぞろぞろと廊下に出ていくと、隣の部屋が大騒ぎになった。6人以外にも子供がいるようだった。


「すみませんね。彼らは外部の人との接触がないものですから……」


 ドアの前に立っている職員らしい女性が、うるさくなった隣の部屋の方に視線を向けた。


 やっぱり!……アオイは母親の研究が何か、確信を持った。


「……博士は、まだ来られないのですか?」


 女性が事務的に訊く。


「ええ、まだ……。忙しいのでしょうか?」


「そのようですね。もうしばらくお待ちください」


 彼女は言葉を残してドアを閉めた。隣の部屋で手を叩く音と、「静かにしなさい」と叱る彼女の声がした。


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