コップの中に水がある

しゆき

コップの中に水がある

「神様が人間に与える幸せの量は、おそろしいほど平等なのよ」


子どもの頃に読んだ、本の中にあった言葉だ。確か、白血病の女の子の闘病記で、その子の友達のお母さんがその子に言った。


「神様が人間に与える幸せの量は、おそろしいほど平等なのよ」


言われたその子は、自分はこんなに苦しんでいるのにと、傷付き、憤慨していた。読んでいた私も、すごいこと言うな、と驚いた。


その言葉が、ずっと忘れられなかった。ふと、時折思い出しては、考えた。だけど、いつまで経っても、その言葉の是非はわからなかった。


幸せの量は、平等なのだろうか?


いろいろな境遇の人がいるのだから、平等なわけがない、と言ってしまえばそれで終わるけれど。だけど。こんなにもその言葉が気になって、忘れられないということは、もしかしたら、平等に与えられているのかもしれない。もやもやと考え続けた。


今は、平等な気が、している。


幸せは、コップにそそがれている水のようなものなのかもしれない。みんなが平等に水を与えられているけれど、それぞれが持っているコップが、違うのではないだろうか。


普通のコップを使えば、ちゃんと充分な量の幸せを手にしているはずなのに。


同じ量でも。大きなコップにそそがれると、少なく思えて。小さなコップにそそがれると、溢れてしまって。色や模様のついたコップでは、水はよく見えなくて。形がいびつであれば、それはなおさらで…。日々起こるできごとの影響で、コップは姿を変えるのではないだろうか。


例えば、とてもつらいことがありそれに耐えられないと、コップは大きく、いびつな形になるのかもしれない。その中では、普通のコップに入れられたら適量に見える水も、底にほんの少ししか入っていないように見えるだろう。


私は。自分の中にはいつも、シンプルな普通のコップがあるのだと思い描く。そこに、水がちょうどいいくらい、8分目くらい入ってる。いつでも。


いつでも。


いい日にも、悪い日にも、どんな日でも。私の人生には幸せはちゃんと、ちょうどいい分だけ与えられている。それを、ちゃんとわかっていたい。


どんな日でも。嬉しい日でも、悲しい日でも、辛い日でも、同じだけの幸せが与えられている。


ただ私が、そう思っているだけだ。


それでも。


あなたが、嬉しいときも、悲しいときも、誰かがいる。悲しいときや、辛いときには、孤独になって、その人の存在を忘れたり、小さく感じたりすることがあるかもしれないけれど、それでも、いつも、あなたには、その人がいる。


いい日にも、悪い日にも。いつでも、変わらずにだ。


そして。その人には、いつもあなたがいる。



自分には誰もいないと思うのであれば。私には私がいる。いい日にも、悪い日にも、いつでも、変わらずに。

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