漢籍の伝える七夕

ひとしずくの鯨

第1話 荘 綽『雞助篇』

 荘 綽『雞助篇』より、


【(北宋の皇帝の)徽宗きそうはかつて近臣に問うに、

「七夕[の伝説]は何で無仮[=本当]か?」

 時に王輔おうほは[宰]相をなしており、こたえて曰く、

「古今、無仮とされております」

 徽宗ははなはだ喜び、還って近侍に語るに、王輔の奏対[=返答]には格制[=品位]が有ったと。


[以下は著者である荘綽の言葉]

 たしか、柳永りゅうえい[=北宋の詩人]の詞に『この景を知るを須[=求]めるは、古今、無価[=最上]である』とあった。

 俗に謂うではないか。『ことの体を得る者は、格致[格物致知=最終的に至るべき知]を有すようになると』】





 恐らく、これは皮肉を述べたものです。なぜかといえば、まずは時代背景から。

 この荘綽は南宋の人であり、これを書いたのは、紹興年間。(序に紹興3年(1133年)2月9日とある)

 なので、1127年、北宋が金国により滅ぼされたあと(滅ぶ前を北宋、後を南宋と通称する)。

 このとき徽宗は(その息子で北宋最後の皇帝の欽宗とともに、)哀れ、金国へ連れ去られています。

 王輔はといえば、その滅ぶ前に、金国と戦争になったことの責を問われ、欽宗により追補の兵を差し向けられる。そして、逃走中に殺されるという、憂き目に会う。

 ここでは、どう転んでも、亡国の責任者たる王輔を褒めるはずはないのです。


 恐らくここで荘綽の言わんとしていることは、以下と想われます。

 「無仮」と「無価」と語を変えていることから、そもそも、徽宗と王輔は話がかみあっていない。王輔は柳永の詞を知っており、それを答えただけであろうと。ただ、たまたま音が同じなために、それが(徽宗の言うように)素晴らしいものになったに過ぎないと。


 格物致知を調べると、朱氏や王陽明の名が出て来ますが、王陽明は明代の人なので当然生まれておらず、朱氏も赤ん坊ですね。ただ、朱氏学は無論朱氏の独創ではなくそれまでの知を受け継いで成ったものなので、まったく関係ないという訳では無いでしょう。末文の『格致』には、そういう時代の雰囲気を味わっていただけたらと想います。


(他方、末文の『ことの体を得る者』は、正直、意味が良く分かりませんでした。体で「ありさま」や「本性」などの意味となりますが。?、?、?でした。もともと、儒学には詳しくないので、分からなくて当然かとも想いましたが)

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