第9話

「国母は自らの痛みを厭ってはならない。国王の妻になりたいのなら、そのくらいの覚悟をなさい」


「な、なによ……っ、偉そうに」


 ウィルマは涙目になっていた。


 しかし、泣きたいのはこちらのほうだ――


「お、お嬢様」


 御者のカールが腹を押さえながら起き上がった。


 いくら強がっていても、エミリアももう、限界に近い。


 次にどちらかが向かって来たら、太刀打ちできないだろう。と、息を呑んだ、その時――


「そこまでだ!」


 凛とした声が、木立の間に響き渡った。


 エミリアは息を呑んだ。その、よく通る声は……


(まさか)


 続いて、枝葉の鳴る音が聞こえた。次いで、影が飛び出す。


 ウィルマとの間に立ちはだかり、エミリアの視界を遮った。


「二人とも、動くな!」


 エミリアに背を向けるその人物は、夜の闇を思わせる黒髪の持ち主だった。


 肩章の付いたブロケードコートに深紅のマント。


 エミリアを背後に庇うように立ちふさがったのは、王子の称号に相応しい偉丈夫だ。


 木々の合間から現れたのは、紛れもないエドワードだった。


 自分の耳が信じられず、思わず幻ではないかと我が目を疑うが、間違いない。


(どうしてここに……?)


 呆然とするエミリアをよそに、エドワードは距離を詰める。


「貴女が、サンフラン嬢か? エミリアに何をした!?」


 ウィルマも御者も、勢いに気圧されて身動きできない。


「何をって……その、エミリア様が私の手を……」


「手?」


 エドワードが目を眇めた。


 とっさに弁解しようとしたウィルマの口を、御者が塞いだ。


「な、何を……っ」


 言葉を発しようともがくウィルマだが、御者は離す気配がない。


「いけません。何も口にしてはなりません。弁護団が到着するまでは……お嬢様が不利になるだけです」


 御者は、小声で必死に訴えかけた。


 ウィルマは目を見張って、口を噤んだ。


「エドワード様、共犯者を捕えました」


「そうか、よくやった。ご苦労だった」


 林の奥からもう一人、侍従姿の青年が現れた。


 腕で侍女の首元を締めあげていた。エミリアと目が合うと、鋭い視線で睨みつける。


(助かった……)


 全身の力が抜けて、思わずその場に膝をつきそうになったが、寸でのところで堪える。


 ふらりとよろめいたエミリアを、エドワードは抱き留めてくれた。


「大丈夫か、エミリア? いったい何が」


「女が全て吐きました。サンフラン嬢はエミリア様を国外へ逃亡させようと試みました。しかしエミリア様が拒んだため、殺害を目論んだのです」


 エドワードが目を瞠った。侍女は、顔を背けた。


「恐ろしい企みを……待て、これは血か!? 酷い怪我だ!」


 エドワードは、血に染まったエミリアの掌を引き寄せた。


 傷は浅いかと期待したが、流血が続いている。


「果物ナイフと侮って……油断しました」


 エミリアは力なく笑った。それしか、できなかった。


 まだ、何も終わっていない。けれどエドワードの顔を見上げたら、急に安堵が込み上げる。


 視界が滲んで、ぼやけた。


 張りつめたものが緩んで、脱力していくのが分かる。


「すまない、遅くなって」


 エドワードは、エミリアの身体を引き寄せた。肩を抱くようにして支えてくれる。


 その腕の中で、いよいよ立っていられなくなったエミリアは、そっと目を閉じた。


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