第13話

 一方、その頃のヴォルティアには、エミリアとは対照的に蒼白になるフィリップ=ヴォルティアの姿があった。


 調度品に蹴つまずいて、サイドテーブルにぶつかる。グラスと水差しが横倒しになり、昨晩から注がれたままのワインが零れた。


 今は絨毯の染みなど気にしている状態ではない。


 他にも部屋は荒れがちだった。使用人を遠ざけていたからだ。


 フィリップは書斎にいた。床には書類の束、一度も目を通したことのない本なども散乱している。


「エミリアがアルデン伯爵家を訪ねていないだって!? そんな馬鹿な話があるか。家の中は、あらためたのか!?」


 フィリップは、よろめく身体を机に預け、報告をもたらした衛兵に声を荒げた。


 ヴォルティア王国の国王、フィリップは荒れている。


 浮気現場を目撃した妻エミリアは「出て行く」と宣言した。


 宣言通り、妻は、忽然と姿を消してしまった。


 エミリア妃の捜索指示を出してから、丸一日が経過していた。


 フィリップは近衛の者の内、信頼の置ける3人と、普段からエミリアと接点のある3人の精鋭にエミリアの捜索にあたらせている。


 しかし、妻は一向に見つからない。


 ――エミリアが当てにできる場所など、碌にない。


 甘く見たのが間違いだったのか?  いや、酸い甘いなどで片が付く話ではない。


 事態は既に把握していたが、信じたくなくて現実から目を逸らしていた。


「いえ、家の中までは……、内密に捜索せよとのご指示でしたので。無理に押し入って捜索すれば、逆に何事かと勘繰られます」


 フィリップは押し黙る。


 現アルデン伯は気が弱い。王家の意に背いてエミリアを匿うとは考えにくい。


 ならばいったいエミリアは何処へ行ったのか。


 昨日、侍女の訴えで明らかになった。


 朝の支度に部屋を訪れた時、すでに寝室はもぬけの空だったと聞いている。


 部屋に乱れたところはなく、本人だけがいない。


 ただ、バルコニーの扉だけが開け放たれていた。


(エミリアが自ら出て行ったのか? それとも誰かに連れ去られたか?)


 しかしエミリアの寝室は2階だ。


 何の仕掛けもなく、無傷で降りられるはずもない。


 城内の警備にも、問題はなかったはずだ。


(まさか城の中に身を潜めて、私の動揺を嘲笑っているのか? まさかな。エミリアは何よりも、品性を重んじる。そんな醜態をさらす筈もない)


 ではどうした。


 先ほどから思考は迷宮の同じ箇所をぐるぐると回るばかりだ。


(どこで判断を誤った? 貴族が妻の他に女を持つことは良くある話だ。それに5年。5年も待ったんだ。側妃を迎えようとしたくらいで、こんな騒ぎを起こすなんて)


 サンフラン嬢――ウィルマと恋仲になったのは、エミリアとの婚約とほぼ同時期だった。


 フィリップはウィルマを妃にするつもりがあったが、父母の強力な後ろ盾で、エミリアが立后した。


 ウィルマは辛抱強く、フィリップを待っていた。正妻になりたくない筈もないのに、側妃でいいと言ってくれた。


 だからこそ、有無を言わせぬ力を得て、ウィルマを得ようとしただけだったのに……!


(皆が私を非難するだろう)


 エミリアの失踪が知れたら、誰もが原因を探ろうとする。


 フィリップとサンフラン嬢の関係は、直ぐに知れ渡るだろう。


(いや、いいんだ。関係は知られても……だが、エミリアが失踪したとなると)


 しかし、替わりにエミリアを失うとまでは予想していなかった。


 美しいばかりで、決定的に何かが足りない。


 フィリップはエミリアと寝室を共にする度、愉悦と、果てのない虚無感に襲われた。


 それでも、公平に愛を注ぐつもりだったのに。


 フィリップは、天井を仰ぐと誰に向けるともなく力なく呟いた。


「ああ、どうしてこうなったんだ……?」


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