第11話 エレベーター①

◆エレベーター


 徐々に記憶が戻りつつあるのが分かる。

 あの日、誰かの声・・女の人の声が聞こえた。

 幻聴かと思ったけれど、それはちゃんと言葉になっていた。

「そんな男、許せないわね」

 誰の声?

 あなたは誰なの?

 これはセクハラばかり受けて、ノイローゼ気味な私にしか聞こえない幻聴だ。そう考えることにした。


 あの日もそうだった。信じられない現象が起きた。

 朝、少しぼうっとしてエレベーターに乗ったのが悪かったのだ。

 気が付くと花田課長と二人きりだった。

 この男が先に乗っていると知っていたなら、エレベーターを一回見送っていたのに、うっかり乗ってしまった。

 花田課長は、この機会とばかりに私に体を寄せ、

「こんな場所で二人きりになれるなんて、思いもしなかったよ。今日は本当についているよ。朝のテレビの星占いで私の星座は一位だったんだよ」と囁くように言った。

 吐く息が臭い。加齢臭なんてものじゃない。これは心の腐った男の匂いだ。


 一階から五階に上がるまでの短い間に、花田課長は言った。

「そうそう。今度、工場の経理の調査に行くことになったよ」

「そうですか」私が小さく返すと、

「白井くんも一緒だよ」

 花田課長はそう言って、何が可笑しいのか、ニヤニヤと笑い、

「場合によっては、泊まりになるかもしれないねえ」と言った。


 まさか、課長と二人きり? しかも泊まりになるかもしれないって、そんなの冗談じゃないわ。まさに地獄よ。

 実際、過去に課長の出張に同行した女性社員が退職している。聞いた話では、夜になると課長は同行させた女性社員の部屋を訪れ、無理やりに行為に及んだということだ。職権乱用、セクハラの極みだ。


「もし、断ったりしたら、どうなるか分かっているだろうね」

 花田課長は更に詰め寄り、そう言った。これは脅かしだ。断れば、会社に居れなくしてやる、そう言いたいのだ。

 頭の中が、黒い心で一杯になっていく、そう思った時、

 私は心の中で叫んでいた。

 こんな男、死んでしまえ!


 そう思った瞬間、背中にゾゾッと寒気が走った。空調の誤作動なのか、エレベーターの箱内を冷気が包んだ。

 同時に、

「あ・あ・あ・ああ・・」呻くような声が耳に届いた。

 何なの、この声? どこから聞こえてくるのか分からない。

 女性の断続的な声だ。苦しんでいるような声にも聞こえるし、誰かを恨む呪詛のようにも聞こえた。

「課長なんか死んでしまえ」と、不道徳なことを言ったことで、神様がお怒りになっているのだろうか。


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