第十二回「映画」
私は映画が好きだ。特に書くべき原稿を抱えていない時など、時間に余裕さえあればストリーミングサービスで映画ばかりを観ている。
大体の作品が二時間を目安に物語が完結するため、一つの物語を比較的短い期間に凝縮するべくキャラクターの成長やプロットの展開が迅速に行われることが多い。これは非連載の小説を書く上でも大いに参考になる。
予算に限りのあるテレビドラマと違い、映画は手間暇がかかっている。それは製作委員会方式ゆえのメリットか。映画は、その多くが壮大なスケールや特殊効果を駆使して視覚に感動を訴えかける。これが本当に好きだ。子供の頃は隣町の映画館に出かける度に「今日はどんな興奮や感動と出会えるのだろう?」と胸を高鳴らせていたものだ。
かつて職場の交流会で「おすすめの映画について話してください」と言われることがあった。コミュニケーションの技術を磨くための訓練、いわゆる五分間スピーチというわけだ。
流石の私もそんなところでバイオレンス作品を紹介するほど無粋ではない。ゆえに入社したばかりだった六年前、少し見栄を張ったつもりで語ったのが黒澤明監督の『乱』だった。
ストーリーをざっくりと説明すると、『乱』は日本の戦国時代を舞台にした巨大群像劇。自らの衰えを実感した老齢の戦国武将が三人の息子たちに隠退を話すのだが、それがきっかけとなり血で血を洗う大きな戦が始まってゆく。一文字氏という架空の武家の家督継承争いを主軸に、人間の醜さが嫌というほどフィルムの中に凝縮されている。
二十代前半のうちにあの作品と出会えたのは、私の人生にとって大きな財産というべきだろう。観る前と観た後では価値観が変わった。それほどの感動体験を創作物で得るのは、中学の時分に『平家物語』を読んだ時以来だ。
良い映画との出会いは人を変える。その作品を観てどう思うかは個人の感受性に依存するが、感情、思考、創造性、楽しみを提供し、深い影響を与えるものだと私は確信している。人生の豊かさを増やし、新たな考え方を提供するのに良い映画は欠かせない。
酒を飲んだ状態で映画の話をするときりがない。ついつい一時間は喋ってしまう。
高校時代の友人が大の映画好きで、少し前にリモート飲み会を開催したことがあった。そこで彼女は私に「あなたの言っていることが分かった」と言った。“良き映画は人生を変える”という私の持論に大いにに共感したのだという。
その友人はとある映画を観に行った。それは一人の主人公の過去の苦難と、新たな人生の可能性を探求する彼の旅を描くもの。映画を観ている間、彼女は主人公の心の葛藤や成長に共感し、自分自身の人生に対する見方を変えるきっかけを得た。映画の中で主人公は、困難に立ち向かい、自己発見の旅に出る姿勢を示し、新たな可能性を信じて前進した。友人もその姿に触発された。元恋人との失恋を引きずっていた彼女が吹っ切れたのは、その作品を観たからに他ならない。
「作品の一般的な評価は低いんだけどね」と彼女は自嘲気味に言った。その映画は全国公開されていたわけではなく、都内の映画館での限定上映。もちろん知名度と感動度は必ずしも等式で結ばれないので、日本映画の中にも隠れた名作はまだまだたくさん存在するのだろう。
駄作か良作かは観なければ分からない。仮に感動しなかったとしても、その映画を観た記憶は後々に何らかの形で思考に影響を及ぼすものと私は信じている。大切なのは「映画を観て何かを学びとるとこと」ではなく「映画を観ること」なのではないか?
金曜日の夜は映画を観るのにうってつけだ。レイトショーの映画館へ足を運ぶもよし、自宅でサブスクあるいは円盤を再生するもよし。
とりあえず、今宵は何かしらを観ようと思う。《ルビを入力…》
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