2 伝え続ける雪女


 なにも考えず、私欲に走れば善も悪もありません。

 悪事を正義の鉄槌に置き換えるのも容易なこと。

 ただ、そうだったという事にすればいい。

 ――この物語は、それを許さない娘のお話。


 むかしむかし、ある雪深い山奥に、賢く美しい娘がおりました。

 村の男たちは娘を嫁にと望みましたが、誰よりも娘に惚れ込んでいた男がひとり。

 執拗なほど通いつめては、

『お前が居れば何もいらない。俺にはお前しか見えない、聞こえない。一生、何よりも大切にする』

 と、口説き続けました。

 軽口を安々と並べる男など、娘は信用しませんでした。

 それでも、自分以外の娘たちに見向きもせずに自分の元へ通い続ける男を信じ始め、そこまで望むならと、いつしか結婚したのでした。

 しかし男の家には、嫁に惚れ過ぎる息子に腹を立てる、醜い姑がおりました。

 器量はともかく、性根の醜い姑でありました。

 嫌味も気にせず、仕事を課してもそつなくこなす嫁の、どこに非があると言うのでしょう。

 ただ、だからこそ気に入らないという醜い私欲。

 ある時、隣村で橋が壊れたと聞き、村の男衆数人が泊りがけで修補の手伝いに出かける事になりました。

 そう。男も可愛い嫁に後ろ髪を引かれつつ、出かけてしまったのです。

 姑は自分の弟を呼び寄せ、嫁に困り果てていると嘘を並べたてました。

 家事をするのは息子の前でだけ。美しさに自惚れ、年寄りは惨めだと蔑む。

 息子が母親の荒れ肌のために拵えてくれた着物まで、自分の玉肌にこそ相応しいと言って奪った。取り返して欲しいと。

 姑の弟は、姉の言うことが嘘だと気付いていました。

 器量よしで知られていた嫁が、甥と結婚する前から身に付けていた着物の柄を知っていたのです。

 しかし姑の弟は、姉の言うことを信じたふりをしました。

 若く美しい娘の着物を剥ぐという、悪行を正当化できるのですから。

 醜い姑を姉にもつ弟も弟。

 ある雪の夜。姑の弟は裏庭の納屋で、手を貸してくれと慌てた様子で嫁を呼び立てました。

 駆け付けた嫁から着物を剥ごうとするも抵抗されます。その抵抗に腹を立てた弟は、雪降る庭へ逃げ出した嫁を追いかけました。

 そして道から除けた雪山の中へ突き飛ばしたのです。

 重い雪の中でもがく嫁に、姑の弟はさらに雪を被せました。

 弟に話を聞いた姑は喜び、嫁は夫の様子を見に行くと言って出て行った事にしようと、口裏を合わせました。

 哀れな嫁の遺体が見つかったのは、男が隣村から帰ってきた後でした。

 嫁と一緒ではなかったのか、おかしいなと。

 姑は、夫の様子を見に行くと言って出て行ったが、見知らぬ男と一緒だったと嘘を付け加えました。

 あれほど『何よりも大切にする』と言い続けていたはずの男は、母親の言う事を信じたのです。

 不義の可能性を考えただけで、男は嫁が許せなくなったのでした。

 真偽も確かめず、浮気相手に殺された馬鹿な嫁だと自ら言い触らし、まともな葬式すら出さなかったのです。

 ある家の、醜い出来事でした。おしまい?

 ――いいえ。

 それだけならば、誰も知らない秘め事として時と共に消えていたでしょう。

 実は、姑の弟の酒癖が悪く。

 酔いに任せて、気分良く語ってしまったのです。

 武勇伝のように脚色された話を真に受ける者は居ませんでしたが、亡くなった嫁の妹が聞いてしまったのです。

 聡明な姉が浮気などするはずはなく、そもそもその相手はわからず仕舞い。

 亡くなった時に身に付けていた脱げかけの着物が、嫁に行く前と同じだった事もはっきりと覚えていました。

 妹は、姑が弟を使って姉を死なせ、男も姉を信じる事無くあかしもない不義を言い触らしたのだと知りました。

 この親子を妹は怨み続け、雪も乾いたある日。

 3人が寝静まった深夜に、妹は家へ火を放ちました。

 この親子は雪で火を消す事も叶わず、揃って焼け死んだのです。

 そして、この親子の悪行と姉の無念が忘れ去られる事のないよう、雪女でありながら着物が燃える幻を見せ、着物を脱がせて雪の中で凍死させるという怪異を伝え残したのです。

 この雪女の目撃談が増えていくのは……さて不思議、不思議。



「……っていうのが、この地域の雪女伝説の大元おおもとだそうです」

 話し終えた菅黄すがきは、祖母の話を書き込んできたミス研の活動記録ノートを閉じた。

 書物蔵に残されているという『雪女』の物語を聞き終え、赤井あかい青枝あおえだは並んで拍手した。

 ミステリー研究会部室の、いつもの窓際ソファーで向かい合って座っている。

 真面目に聞き入っていた赤井が、

「雪女伝説に、そんな逸話があったなんて……お嫁さん、可哀そうに」

 と、言って涙ぐんでいる。

「これ、いつ頃に書かれた話なの?」

 と、青枝も聞いた。

 菅黄は苦笑しながら、

「祖母が若い頃の解釈で書いたものです」

 と、答えた。

「若い頃の解釈?」

「要点は同じなんですよ。でも大昔の話だから、どんな無能男でも家長になれば一番偉くて、どんな才色兼備な娘も嫁なら家に仕える身分だし。姑の言いなりになるのも当たり前って時代に、そういう時代の感覚の人が『とはいえ、これは酷いよね』って書き方をしているのが腹立つって。そういう古い考え方を抜いた解釈で、要点をまとめ直したものです」

「おー、なるほど」

「けっこう現代風なノリで、わかりやすいでしょ? そもそも、昔の言葉で書かれてる文字じゃ、私は読めないですし。ちゃんと昔の時代背景のまま、現代用語に直されている文献も別にあるんですけどね」

 と、話す菅黄に、青枝はもう一度拍手し、

「すごい。時代が変われば言葉も変わるもんね。古い書物も昔の物事を後世に伝えるためなら、言葉は現代に通じるものに置き換えていく必要があるんだね」

 と、言った。

「そうなんですよ。その翻訳みたいな作業、祖母が子どもの頃に家族総出でやったものの滅茶苦茶大変だったって言ってました」

「スガんとこの蔵、マジでヤバいね」

 潤んでいた赤井の目はまん丸くなり、

「元の話は、いつ頃の時代なの」

 と、聞いた。

「百五十年ほど前だそうです」

「んー。じゃあ、岩山で見付かった氷漬けの女性遺体とは関係ないのかな」

 と、赤井が首を傾げる。

「そうですね。氷漬けの遺体は、二百年前のものって話ですから」

「氷漬けの遺体に関わってそうな、二百年前くらいの書物はないの?」

 身を乗り出して赤井が聞くが、

「知りません」

 と、菅黄は、素っ気なく答えた。

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