第3話 秋のセブンワンダーズミステリー
1 ポーとペー
窓を閉め切っていても、どこからか隙間風が漏れている。
上着を着るには暑いが、半袖では冷えるようになった9月末だ。
静かな廊下正面の隅には、錆びた掃除用具入れがポツンと置かれている。
『用具室』と書かれた鍵の掛けられた教室の奥に、ミステリー研究会の部室がある。
「ちーっす」
2年生の
一般教室よりも狭いが、本棚や長机、窓際にはソファーも置かれたくつろげる空間だ。
「……おつかれー」
3年生の
窓際のソファーに黒タイツの細足を伸ばし、ぐったりと寝そべっている。
「どうしたんですか、青枝先輩。具合悪いんですか?」
長机に通学鞄を置き、菅黄は青枝の顔を覗き込んだ。
「ううん。ちょっと、これ見てよ」
寝そべったまま青枝は、ふたつのソファーの間に置かれたテーブルを指差した。
菅黄が目を向けると、二つ折りにされたB5サイズのプリントが1枚。
向かい側のソファーに腰掛けながら、菅黄はプリントを見下ろした。
「読書の秋、図書室からのおすすめ?」
「さっき、図書室で見つけたの」
「へー。あ、イラストの生徒が『モルグ街の殺人』を読んでますね」
「うん。私も最初にそこに目がいってさ。でもよく見たら、イラストの本に書かれてる作者が、Edgar Allan Peeになってるでしょ」
「あ、本当だ。ポーがペーになってる」
「うん。スペル、PeeじゃなくてPoeだったよなーって思って見てたら、司書の先生がここをさぁ」
寝返りを打つように腕を伸ばし、青枝は二つ折りのプリントを開いて見せた。
「えぇ……?」
菅黄が目を丸くする。
「ビックリして、
「えっ? 図書委員長ですか?」
廊下からタイミングよく、キュッキュッと上履きの音が聞こえた。
コンコンッと軽くノックし、スカートの丈も長い長身の女子生徒が顔を見せた。
「青枝ー? あ、居たし。なに、急に呼び出して」
図書委員長の藍川はセミロングの黒髪を揺らしながら、トコトコと部室の奥へやって来た。
菅黄にヒラヒラと手を振り、菅黄もペコリと会釈する。
ソファーに寝そべる青枝を見下ろし、藍川は、
「聞きたい事あるから、うちの部室来てって。どうしたのって返しても既読無視とかさぁ。この呼び出し、何事かと思うじゃん。怖かったんだけど」
と、言った。
どっこいしょ、と身を起こして青枝は、
「いや、ごめんて。さっき図書室で、このプリントもらったのよ」
と、テーブルの上のプリントを指差した。
藍川は青枝の隣に腰掛けながら、
「あ、私がイラスト描いたやつ」
と、言って、プリントを手に取った。
「あ、マジで? 作者の文字は?」
「作者? あ、oがeみたいになっちゃってる」
「oを書いたつもりだったの? ポーをペーって書いてるのかと思ったよ。使用料対策かなんかの配慮で」
と、肩を落としながら青枝が言った。
「生徒が作るプリントで、そんな配慮いる?」
「知らないよ。でも英語のテストでは気を付けなよ」
「うん……え、それが聞きたかったの?」
「いや、こっち」
二つ折りのプリントを開き、青枝はオススメ図書の紹介された一文を指差した。
すぐに藍川は、思いきり眉を寄せた。
作者欄にカタカナで『エドガー・ランポー』と書かれているのだ。
「エドガー・ランポー……?」
「最初はランボーになってたのよ。それを司書の先生が『ランポーよねー』って、ボールペンで濁点を半濁点に書き換えてくれてさ」
と、青枝は溜め息交じりに話す。
「司書の先生がですか?」
と、菅黄も眉を寄せた。
「原稿は他の図書委員に任せてたんだよね。全然、気が付かなかった」
藍川は、プリントを眺めながら苦笑いだ。
「最近のカタカナ表記って、ランポーになっちゃってるの?」
「それはないでしょう」
と、言いつつ、3人ともポケットからスマホを取り出した。
念のため、スマホで検索する女子高生たちだ。
「……アラン・ポーが、ランポーになっちゃう事はなさそうですよ」
「うん。よかった」
「これはさすがに、ミス研に呼び出されても仕方ないかもね。イラストは『殺人』とか書いてたら目を引くかと思っただけなんだけどさ。図書委員総出で手書き手直しするわ」
苦笑いのまま、藍川が言う。
「手書きで手直しなんですね」
「紙の無駄削減って言われるの。前にもあったのよ。日本語の文章が変になってたところ、校長が見付けちゃったとかなんとかで」
「図書委員も大変ねぇ」
「まぁね。でも、そんな不機嫌にならないでよ」
と、藍川は、プリントを眺める青枝を肘で小突いた。
「読書の秋に図書室からオススメされてる唯一のミステリーが、ランボーってどういう事なのよって話。イラストがポーなのに」
「でも逆に、気付く人は気付いて『詩人ですか? アクション映画の方ですか(笑)』とか、突っ込み入れてくれませんかね」
「あ。その突っ込み、好き」
菅黄に言われ、くたびれた顔の青枝は、やっと笑みを見せた。
「まあ、図書委員は各クラスひとりずつだから、全員が本好きって訳じゃないけどさ。司書さんはヤバいよねぇ」
背もたれに寄り掛かり、藍川は首を捻る。
青枝も同じく背もたれに寄り掛かり、テーブルに足など乗せながら、
「新しい司書さん、産休の司書さんの代わりで来てるんだよね。有資格者ではないの?」
と、聞いた。
「司書資格はある人だよ。じゃなきゃ、短期間の非常勤でも公立高校は無理なんじゃん? 教員免許とかは知らんけど」
「あー、そうなの」
「なんか、本業は舞台女優さんなんだって。お芝居の原作から本に興味もって、司書資格の講習を受けたって言ってた」
「へー。舞台女優さんですか。そっちは今、休業中なんですかね」
思い浮かべながら青枝は、
「確かにキレイな人だったかも」
と、言っている。
「そう。肌とか、めっちゃキレイなんよ」
「へー」
「そういえば、農家の娘のわりに肌キレイな
と、藍川が真面目な顔で聞いた。
「いつも部室来る前に、どっか寄り道してるんですよ。でも、そろそろバタバタした足音が聞こえてくるんじゃないですか」
菅黄が答える内に、廊下からバタバタと駆けて来る足音が聞こえた。
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