第3話

 ジェーンを守るためには、私自身もこの学園で上手く立ち回る必要がある。

 ゲームでのローズは、ほとんど孤立していた。

 たまに取り巻きのような令嬢たちが近くにいることもあったが、その令嬢たちも裏ではローズの悪口を言っている始末だった。


 そのせいもあってローズの処刑がスムーズに決まってしまったのだ。

 ただ一人、ローズの付き人であるナッシュだけは減刑を懇願したが、彼だけの力では刑が覆ることは無かった。


 これでは駄目だ。

 処刑されてしまっては、ジェーンを守ることは出来ない。


「元の世界でも、他人から好かれるタイプじゃなかったのに」


 この世界では悪役令嬢ローズの状態で好かれなければならない。


「自殺するはずだったのに、どうしてこんなことに」


 死ぬどころか生き延びる方法を探している。

 さっき出会ったばかりの一人の女の子のために。


「……違うわね。これはきっと、過去の私を救おうとしているのね」


 私はきっと、過去の私によく似たジェーンを救うことで、過去の自分を救った気になりたいのだろう。

ジェーンを救いたいと言いつつ、本当に救いたいのは自分。

 とんだ偽善者だ。


「こんな人間を、誰が好きになると言うのかしら」


 心からそう思った。


 屋上でジェーンと別れてからまっすぐ自室に戻ろうとすると、ドアの前に立っている人影が見えた。

 その人影は私に気付くとこちらへと全速力で走ってきた。


「お嬢様! どこへ行かれていたのですか!?」


「……ナッシュ」


 その人物は、この世界に来て初めて出会う攻略対象だった。

 ローズの家に仕えている青年、ナッシュ。


「心配しましたよ。さあお部屋に戻りましょう」


「え、ええ。分かったわ」


 ナッシュは恭しくドアを開けると、私を部屋へと招き入れた。

 そして自身も部屋に入るとドアを閉めた。

 攻略対象と出会えたのは正直言って少し嬉しかったが、しかし気になることがある。


「ここは女子寮よ?」


 そう、ここは女子寮なのだ。

 しかもジェーンの話によると同じ女でも高等部の者しか入ることの許されない寮のはずだ。


「はい、これからお嬢様の暮らす女子寮です」


 ナッシュはにっこりと笑った。攻略対象だけあって顔がいい。サラサラの銀髪に澄んだ緑色の目。

何時間でも眺めていられそうだ。

 しかしそんな不審なことをしたら私が本物のローズではないと勘繰られそうなため、必死で理性をかき集めて彼から目をそらした。


「なぜ女子寮にあなたがいるの。寮では同性の侍女すら連れてくることが認められていないはずだけど?」


 これにナッシュは事も無げに答えた。


「お忘れですか? 旦那様が寮の管理人に金を握らせているので、お嬢様の付き人である私は女子寮への出入りが黙認されています。とはいえ女子寮にいる間は万が一の事態が起こらないように、監視魔法が掛けられてはいますがね」


 ナッシュが自身の肩の上を指さした。そこには小さな光の球が浮いている。


「もちろん私はお嬢様の簡単な身の回りのお世話と護衛をするだけです。旦那様は心配性ですから」


「私の世話をしてくれるの?」


 不思議そうにする私を見て、ナッシュは大袈裟に泣き真似をした。


「この学園には侍女も護衛を連れて来られないために、お嬢様と同い年の私が学園を受験したこともお忘れですか? 血の滲むような努力をしたのに、私は悲しいです」


 あのゲームにはそんな裏設定があったのか。

 いや、ローズルートをプレイすれば普通に出てくる情報かもしれないが。


「ちなみにお着替えや入浴のお手伝いは旦那様に許可されていませんので、お一人でお願い致します。私はお嬢様のヘアメイクや授業棟までの護衛を……」


 そこまで言ったところでナッシュが固まった。


「どうしたの?」


「お嬢様、頬の傷はいかがされたのですか」


 擦り傷と言っても大して血も出ていなかったし今ではそれすら止まっているのだが、めざとい。


「転んだだけよ」


「本当ですか」


「本当よ。石に躓いただけ」


 私がすまし顔でそう言うと、ナッシュは私の肩に両手を乗せた。


「お嬢様を転ばせたのはどこにある石ですか。灰になるまで切り刻んで参りますのでお教えください」


 口調は静かなもののナッシュの目は怒りで血走っている。

 過保護が行き過ぎていて怖い。


「お嬢様の歩みを邪魔するものは何であろうと私が排除しますのでお気軽に仰ってください」


 石を灰になるまで切り刻もうとする男にお気軽に言えるわけがない。

 屋上での出来事は黙っていよう。


 というか、そもそもナッシュはこんな男だっただろうか。


 ウェンディルートでプレイしたときは、ナッシュは『ローズの付き人』という役職に縛られている可哀想な青年だった。

 ローズの付き人であるがためにローズ中心の人生を送っていたナッシュに、ウェンディが『自分の人生を生きることの素晴らしさ』を教えていく攻略ストーリーには感動した記憶がある。


 しかし目の前の男は、役職に縛られているというよりも嬉々としてローズの付き人をやっているように見える。

 それともそう見えるだけで、本心では嫌々付き人をやっているのだろうか。


「それはそうと傷を化粧で隠さなくては……ああっ、化粧で隠すにはまだ傷が新しすぎる! 傷を隠せないまま入学式を迎えることになるなんて。お嬢様の気持ちを考えると辛すぎてご飯も喉を通らなくなりそうです」


「傷一つで大袈裟よ」


 ナッシュは顔はいいが、どうにも一緒にいると疲れる男だ。

 ウェンディルートをプレイしたときにはそんなことは思わなかったのに。

 ローズの前ではこんなキャラだったの?


 と思ったところで、はたとした。


「今日って入学式なの?」


「その通りですが……お嬢様、今日はどうなされたのですか? 失礼ながら、いつものお嬢様ではないように感じます」


 ナッシュが私の顔を覗き込んできた。

 まずい。まさか気付かれた?


 たった数分だけでもナッシュはローズに対して過保護が過ぎることが分かった。

 ローズに危害を与えようものなら誰であろうと叩き切られることが容易に想像できる。

 もし『私』がローズの中に入っていることを知られたら……終わりかもしれない。


「ちょっと緊張で記憶が飛んじゃったみたい。あははは」


 誤魔化そうとして作り笑いを浮かべると、ナッシュが息を呑んだ。

 数秒遅れて私も今の行動のおかしさに気付いた。


 そうだった。ゲームでのローズはいつも無表情で、決して笑ったりはしない令嬢だった。

 そのせいもあってローズは生徒たちに陰で『黒薔薇の令嬢』と呼ばれていた。

 『黒薔薇の令嬢』は、ローズの名前を文字っているのと、美しいが刺々しく不気味な令嬢という意味が込められていた。


 『死花の二重奏』の世界では、黒髪の人間はローズの他には登場しない。

 そのためローズは一部の生徒たちの間で不気味で不吉な人物だと噂されていた。

 公爵令嬢という立場があるため、表立って非難されてはいなかったが。


 ウェンディルートをプレイした私としては、無表情だけどワガママ放題の悪役令嬢という印象だが、遠巻きに見ているだけの生徒にとっては不気味な令嬢に映るのだろう。

 今の私はそのローズになっているというのに、うっかり笑ってしまった。


「お嬢様……今、笑って……?」


 ナッシュが信じられないものを見たと言わんばかりに自身の口を押さえている。

 私は今さら遅いと思いつつ慌てて取り繕うことにした。

 慌てつつも、無表情で。


「記憶が飛んでいると言ったでしょう。着替えるから出て行ってちょうだい」


「かしこまりました。ドアの外で待っておりますので、着替えが終わりましたらお呼びください」


 そう言うとナッシュは部屋から出て行った。

 ドアを閉めてからこっそりドアに耳を付けてみると、かすかにナッシュのすすり泣く声が聞こえた。


 わけが分からないが、あまり彼に構っている時間は無い。

 早く着替えないと入学式が始まってしまう。

 入学式に遅刻をして学園生活始まって早々に悪目立ちしたくはない。

 というか、この世界に来て一時間も経っていないのに、いろんなことが起こり過ぎだ。

 自殺する暇もあったものじゃない。


 とりあえず私がするべきことは、ナッシュに『私』の正体がバレないようにしつつ、ジェーンを他の貴族や『死よりの者』から守らないと。


 ……って、あれ。


 『死よりの者』はローズが召喚しているんだから、私が何もしなければ現れないはず。

 ということは、私がするべきことは『私』がローズの中に入っていることを隠すことだけで、あとはジェーンを守りつつ普通の学園生活を送るだけよね!?

 ローズは悪役令嬢だから処刑されたのではなく、『死花事件』犯人ゆえに処刑されたのだから。


 ローズになったからには死しか待ち受けていないと思ったが、そうでもないのかもしれない。

どちらにしても、ジェーンを貴族たちから守って学園に溶け込ませたら、私は消えるつもりではあるのだが。


「お嬢様。そろそろヘアメイクを始めないと間に合わないのですが、お着替えは終わりましたか?」


「あとちょっとで終わるわ」


 ナッシュにそう答えてから、大きく深呼吸をして学園の制服に袖を通した。





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