第5話 普通になりたかった少女


「おにいちゃーん、準備できたー?」

 蘭の声に、僕は。

「うんっ」

 とわずかな自信を湛えた声で答える。

 やがて、こんこんと僕の部屋にノックの音が響いて。

 蘭は目を丸くした。

「えへへ……。ちょっとカジュアルな感じにしてみたけど、どうかな……」

 そう口にする僕の姿は、正直言って男のそれでは決してない。

 甘めのピンクのロリータ風スカートに、白いフリルブラウス。

 ピンクブロンドのウィッグはいつも通りのツーサイドアップだけど、お花の髪飾りをつけてちょっと華やかに。

 白のニーソックス。足元は黒のパンプスでちょっとメリハリをつけて。

 淡いピンクのリップとチークで顔も万全にかわいく仕上げた僕は、まさしく都会のファッションビルにいてもおかしくないほどの美少女だった。

「わ、お兄ちゃんすっごくかわいい!」

「……ちゃんと『りん』になれてる、かな」

「カンペキ! ちょっとわたしでも気が引けちゃうくらいかわいいよ、りんちゃん!」

「それは褒めてるのかな」

 対する蘭は、本当にカジュアルでラフな、なんかよくわからないロゴ入りシャツとハートの描かれたショートパンツといった格好。

 確かに不釣り合いかもしれないけど、同時に蘭のさっぱりとした性格を表しているようで。

「蘭も似合ってるよ」

「……ありがと、お兄ちゃん」

 お礼を言いながら何故か照れる蘭。かわいい。


「いってらっしゃーい。楽しんできてね。日吉さんとのデート!」

「で、デートじゃないって!」


 ショッピングモール直結の大きな駅。改札前のベンチ。

 キョロキョロと辺りを見回す少女に手を振った。

「こっちだよ、アヤちゃん」

 女声で言うと、向こうもそれに気づいたようで、軽く駆け足ぎみでこちらに来る。

「ぜー、はー……おはよ、りんちゃん」

「大丈夫?」

「だいじょう、ぶ……」

 深呼吸するアヤちゃん。僕よりわずかに背が高い彼女に椅子を譲って、少し休ませる。

「おちついてきた……ありがとね、りんちゃん」

「どういたしまして」

 微笑んだ僕。アヤちゃんは頬を赤く染めて俯く。

 それにしても。

「アヤちゃん……すごい格好だね」

 彼女の格好は、あまりにも微妙だった。

 一言で言えば、すごく地味。

 茶色いトップスに茶色いロングスカート。黒髪ぱっつんにメガネの組み合わせは、どうしても垢抜けない印象がぬぐえない。肩掛けのバッグも茶色。

 足元は黒い靴下にスニーカー。ものすごくオーソドックスでラフで無難。

 もう一度言おう。地味だった。

「そうかな……。私には似合ってると思うけど」

 似合っていないわけではないけど。

 アヤちゃん……日吉 綾香は、磨き上げれば美少女であるはずなのだ。

 その可愛さを自覚していない。自己肯定感の欠如とはよく聞く話ではあるけれど、彼女はその好例だった。

「……りんちゃん、すごいおしゃれだね」

「えへへ、がんばったんだ。今日のために」

 褒められてつい笑ってしまった僕は、次に続いたその言葉を一瞬聞き逃しそうになった。


「いいなぁ。……私には似合わないから」


「そんなことないよ」

 僕はアヤちゃんの手を握って。

「決めた! 今日はアヤちゃんを目一杯かわいくしてあげる日にする!」

「え、えぇ……。いいよぉ、どうせ似合わないし」

「ううん。アヤちゃんは気づいてないかもしれないけど、アヤちゃんはとってもかわいいんだもん。だから……」

 手を引いて、背中に手を回しつつ。

「今日は、いっぱい楽しもうよ。オシャレ!」

 告げると、彼女は目を丸くして。

「……うん!」

 満面の笑みで答えたのだった。


    *


 どれくらいの時間がたっただろうか。たぶんだいたい二時間程度かそこら。

「……着替えられた?」

「うん……」

 女児服ショップの試着室。その返事に頷く僕。

「開けるよ?」

 生唾をのみ、僕はカーテンを開けた。


 そこには可愛らしい少女がいた。


 春めいたピンクのロングスカートがまず目を引く。それに合わせた白いトップスに黒髪が映えて美しく感じる。

 足元はパンプス。ストッキングの黒とスカートのコントラストがまた美しく。

「……きれいだ」

「ふぇ!?」

 思わず口からこぼれた賛辞に、アヤちゃんは驚きの声を上げた。

「マジですっごいきれい。マジ」

「りんちゃん、語彙力がどっか行ってる……」

 呆れて笑ったアヤちゃん。

 僕もつられて少し笑って。

「で、どう? 生まれ変わった感想は」

 なんて聞いてみると、彼女は。

「……信じられない。これが、私だなんて」

 目を細め、口を動かす。


「ありがと、りんちゃん」


 微笑んだ彼女に、僕は不覚にもドキッとしてしまった。

 ……年下の少女に、なにときめいてんだ。

 一度深呼吸して、落ち着いて――。

 そのときだった。


「ごほっ、げほっ」

 突然、アヤちゃんは胸を押さえてうずくまった。

 一瞬、忘れそうになっていた。彼女は体が弱いということを。

「だいじょうぶ!?」

 駆け寄る僕。ゼエゼエと荒く呼吸をするアヤちゃん。

「だい、じょうぶ……ちょっと、がんばりすぎちゃったみたい……」

 持ってきた肩掛けのバッグから取り出したのは薬。錠剤を取り出して、個包装からはずし。

 買い物中に自販機で買った水のペットボトルを出し、錠剤を口に放り込み、水で流し込む。

 ショップの店員さんも駆け寄ってきて、騒ぎはより大きくなっていって……。


    *


「綾香、今日は残念だったわね……」

 お母さんが心配そうに告げる。

「ううん。だいじょうぶ。……りんちゃんにはごめんねって言っておいた」

「そう? ならいいんだけど……」

 ……いまは夜。私は自分の部屋のベッドで横になっている。お母さんが部屋から出ていって、この空間は私一人のものになる。

 あのあと、私はどうにか回復したけど、りんちゃんは「今日はもうここまでにしようか」と言って、駅で別れた。お父さんに車で迎えにきてもらって、おうちに帰って、ベッドに横たわって、いまに至る。


 本音を言えば、もっと遊びたかった。プリクラもやってみたかったし、歩いてる途中で見かけたアイス屋さんにも寄ってみたかった。

 だいじょうぶ。わたしは、ずっとずっと我慢してきたんだもん。だから、こんなの、今さら……どうってことはない。

 そう、そのはず、なのに。

「……すっ、ぐずっ……」

 どうして、涙がこぼれるんだろう。


 こういうとき、「普通」の女の子ならどうするんだろう。

 私にとって、普通は理想を意味すると言っても過言ではない。

 それこそ、りんちゃんとか、キラキラした女の子。それが私にとって目指したかった普通。

 ……でも、普通はこうはならないか。

 私のせいで、迷惑をかけてしまった。普通なら……こうして迷惑をかけずにすんだはずなのに。

 大きくため息をつく。


 りんちゃん。

 不意に思い出した「友達」のこと。

 ああ、だめだ。思い出したら胸がドキドキしてきた。

 ……こんなときでも、好きな人のことを考えると、気分が盛り上がって……エッチな気分になってしまう。

 私は、女の子が好きだ。

 男の子のことは性的な目ではとても見れないし、逆に同性のかわいい子を少し変態的な目で見てしまう自分がいる。

 ネットで調べたら、レズビアンという言葉が出てきた。名前がついていることにほっとしたと共に、でも名前がつくくらい珍しいことなんだって思い知らされた。

 まして……はじめて、自分を肯定してくれた友達に、少女漫画みたいに恋をしただなんて……最初は認めたくなかった。

 りんちゃんに触れあえば触れあうほどに、好きという気持ちが膨れ上がっていって。

 そんな、アブノーマルでイレギュラーな恋愛感情を抱いている自分に嫌気がさした。


「ふつうに、なりたいよ」


 普通ならこんな恋心も抱かず、純粋に遊んでいられたはずなのに。

 普通なら遊びも中断されることはなかったのに。

 普通なら……。


 ギュッと胸が引き締まるような感じがして、げほげほと咳き込む。軽い発作だ。頓服の薬を飲めば落ち着くはず。

 上体を起こし、読書灯をつけ、ベッドサイドのテーブルを漁って……。

 ふと、自由帳が目に入る。

 自由帳、白紙の上に刻まれた魔法陣。


 ……そういえば、と思い出す。

 なんでも願いが叶うおまじない。その存在をクラスメイトから聞いたことがある。

 大倉 蘭さんだっけ、話してたの。

 確か、大いなる……なんだっけ、こっくりクトゥルフ大納言ハスターだっけ……を呼び出して、願いを叶えさせるってやつ。

 確か、あれでお兄さんを……あれ? 記憶にもやがかかっているようで、あんまりよく思い出せないけど。

 やり方だけ、ひどく鮮明に覚えていた。


 髪の毛を魔法陣の上にのせて、その上に指をのせて、強い願いを込めて唱える。

「……我、崇め奉る。偉大なる、こっくりクトゥルフ大納言ハスターさま、目覚め、我が願い叶えたまえ」

 なんて、出来るはずないか。

 錠剤を水で流し込み、軽く笑ったのもつかの間。

 魔法陣が鈍く光っているのに気づいた。

「え」

 瞬間、風が吹き荒れ、強いめまいと頭痛が私を襲う。

 身体が一瞬で鉛のように重くなり――目の前に、それは顕現した。

 狐耳が生え、十二単を着た、緑のタコのような名状しがたき化け物。いや、神。

 触手をニュルニュルとくねらせ、何語かもわからない未知の言語で呪文を唱え。

 能面のような顔面は、私を見据えていた。

 まるで、早く願いを言えと急かすかのように。

 心臓がバクバクと音を立てて拍動する。興奮と困惑が正気を削る。

 私はプルプルと震えながら、すがるように叫んだ。


「私を、普通の女の子に――」


 瞬間、触手が私を捕らえた。

「……え?」

 能面がパカッと割れる。

 そこには大きな口があった。

 大きな大きな口を開けて、私という名の愚かな人間を喰らわんとする。

 触手に手足が絡めとられて、うまく身体を動かせない。抵抗できない。

 私は直後の運命を悟った。

 ……ああ、この化け物はいままでもこうして、願いを餌にして愚かな人間を釣って食ってきたのだろう。

 一瞬でも、楽に願いを叶えようと思ってしまった自分が許せない。……普通になりたいだなんて、思わなければ。

 無理な話だとしても、後悔してしまう。

 生暖かい口腔内。最期まで、私は後悔していた。


 ああ、最期に……りんちゃんに、告白しておk


 バキッ、グシャ。


    *


「お兄ちゃんお兄ちゃん、今日はどうだった?」

「楽しかったよ。とっても。だけど……」


 僕、りん……京介は、ひどく大切なことを忘れてしまっていた。


「今日、誰と遊んだんだっけ」


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