鸚鵡
刹那
鸚鵡(オウム)
「これですか?」
思わずぼやき、呆れて見ている私に刑事は申し訳なさげに言った。
「証拠品なんかで必要ないものに関しては元あった場所に戻したんですが、これもなんて言いますか警察ではちょっと…ねえ」
かけてある布を取ると、現れたのは高さが一メートルほどもある鳥籠だった。
「うわ…」
思わず声が出るほど驚いたのは、その鳥籠にではなく、中に入っていた物に対してだった。
「これって――」
「オウムです」
「そんなの分かります!」
これまで実物を見たことはなかったが、それがオウムだというのは私にだって分かる。
全身を濃い緑掛かった羽根が包んでいる。所々に黒や淡い緑色が混ざり、美しいと言えば美しい。鳥に興味はないけれど。
ただ、何よりも私の目を引いたのは、そのオウムの眼だった。
「気味悪い眼ですね」
私も感じていたことだが、刑事は遠慮なくそう言った。すぐに「あ、いや…」と口ごもったが。
「何か言うかなって思って署に持ち帰ってはみましたが、何もしゃべりません。まさか飼い主のいない家に戻すわけにもいかず」
「それで私——ですか?」
刑事はニヤリと笑った。何か喋るかもって、まさかミステリー小説みたいにオウムが犯人の名でも言うと思ったのかしら?私は呆れて刑事の顔を見た。
「亡くなられたお祖父さんの、何せ唯一のご親戚ですので」
そうなのだ。祖父が死んだという報せを、私は大学で警察から受け取った。個人の番号が分からないという事から学生課に掛けてきたのだ。いい迷惑だ。
大学に入り、三年が過ぎていたが、女手一つで育ててくれた母も昨年他界した。父は、私の記憶にもない昔、何かで死んだと聞かされている。
幸いというのか、父がある程度残してくれた遺産と、小さいながらも事業を経営していた母のおかげで、なんとかここまでは来たが、まさかその存在すら知らなかった祖父の死を——それも、他殺による死などという現実を突きつけられることになるとは夢にも思っていなかった。祖父などと言われても、あなたは一体誰ですか状態なのだ。それは故人にしてもきっと同意見だと思う。
警察署内で対面した〈祖父だという男性〉は、実に悲惨な状態だった。
警察は他殺という線で動いていると話したが、何で傷つけられたのか判然としない傷が全身にあった。
「鋭利なもので滅多刺しですな」
刑事が気のない声で言うのがおかしかった。
この時ほど医学部に進学していたことをありがたく思ったことはない。傷など、屁でもない。
ニュースにもなったし、マスコミが数回チャイムを鳴らしたが、何か思うかと言われても、何もない。何を思えば満足ですか?と尋ね返してやった。もう少しマシな質問ならば話くらいして上げたかも――といって、何かマスコミに敵対心があるわけでは無い。
警察は「捜査は進んでいる」と言うが、新しい情報は何一つもたらされない。見知らぬ人だったおかげで、悲しみすら湧かないのはありがたかった。
そんなことを思い返すうちにオウムを連れてきた刑事が帰ると、リビングは私と、体高が30センチ以上はあろうかというオウムの「二人きり」になった。
「はぁ…」
思わずため息を吐く私を、オウムはただジッと見つめていた。
臨床医学の講義は楽しい。消化器官と脈管系は特に。それが突如休講になったので、私は仕方なく駅前のペットショップに足を運んだ。
幼い頃、犬を飼ってと〈せがんだ〉私に、ママは仕事だし、あなたはまだ子供だから飼えないわよ——と言われ、泣く泣く店を後にした思い出がある。
店内に入ると、イメージしていたものとあまりにもかけ離れていて驚いた。犬も猫もいない。
「最近は実際の動物を置かない店も増えたんですよ」
大柄で目の細い店主は、そう言って笑った。多分笑顔だと思う。
「それで?何をお探しです?」
問われて私はオウムの餌はないかと尋ねた。種類は何かと言うので手で大きさを表した。
「このくらいの」
店主は首を捻った。
「でかいですね。種類は何かな…」
それでも、多分これでいけると思いますよと言って商品を出してくれた。
「多分、ですか?」
そう訊く私に、店主は目を細めた。
「個体によって結構違いがあるんです」
「何を食べるかがですか?」
そんなものなのかなと一応納得して会計を済ませた。商品を入れた袋を手渡しながら、店主は「それを食べないようなら、飼い主さんに訊くのが手っ取り早いですよ」と言ってきた。訊けないからここで訊いているのだとは思わないらしい。
帰ってから与えてみたが、案の定一口も啄まない。見ることすらしない。ただただジッと黙って私を見ているだけだった。
「あんた、なに?」
そう愚痴てみたが、静かに過ぎるオウムは視線を逸らさずに私を見ていた。
このまま餓死されても寝覚が悪いと思い、スマホを手に取った。警察から教えられている祖父の自宅の住所を確認した。そう遠くないのが奇妙で、尚且つ助かった。
警察に尋ねると、規制線は張られたままだが、エサを確認する程度ならば私は入っていいそうなので行ってみることにした。鍵ははじめに渡されている。
駅から徒歩十分ほどで目的地に到着した。至って地味な住宅街の中で目立たないように隠れるように、ひっそりとした場所に祖父の家はあった。
いずれ相続関係の話でお邪魔します——と、確か弁護士と名乗る男に言われた気もするが、正直こんな家はどうでもいい。私はどうでもいい家のドアを開けた。
それでも、老人が一人住まいするには広すぎる感のある戸建だ。玄関も広々としている。何より驚いたのは、ゴミひとつ落ちていないことだ。
独身老人の家というので、ある種の想像をしてきたが、想定の外だった。他殺だというが、ものひとつ散らかっていない。警察が掃除などするはずもなく、つまりは祖父が死んだ時のままなのだ。遺体があった床に、ドラマと同じ人型の線があるだけだ。
「綺麗すぎ…」
とは言え、線の周囲には夥しい量の〈黒い染み〉がある。それが血なのは当然だが、言葉に置き換えられない違和感を覚えた。その正体は分からなかったが。
私の部屋よりも綺麗なリビングに入った。カーテンは厚手のものが全ての窓にかけられ、日差しを遮断している。薄暗い中で、私はマスクをつけた。
他人の家には特有の匂いがある。それが苦手なのだ。
キッチンのみならず、クローゼットや押し入れ、果ては天袋まで開けて見てみたが、餌と思しきものは見当たらない。
疲れたので、リビングのソファーに腰を下ろして室内を見回してみた。
母はなぜ、祖父の存在を私に知らせずに逝ったのだろう?
幸せなことだが、子供の頃から不自由を感じたことはなかった。それでも、こんな祖父が居たのなら、お小遣いはもう少し貰えただろうな——などと不謹慎なことを思い、苦笑した。
その後も探してみたが、結局見つけることはできなかった。
鍵をかけ、門を出ると、中年の主婦が私を見ていた。頭を下げてきたので、こちらもそうすると、話しかけられた。
「小山田さんの、ご親戚?」
人懐っこそうに笑うが、私はこういうタイプが苦手だ。
「はい」と答えるとおばさんはホッとした様子を見せたので「ご近所の方ですか?」と尋ねてみた。
「そこのね、その角の家なの。小山田さん、大変だったわね!近頃姿を見かけなかったから、どうしたのかしらねってみんなで話してたのよ」
そのことが通報につながり、訪ねてきた警察によって死体が発見されたのだと教えてくれた。
「先々月あたりまではお元気だったのよ!月に一度はお大きなスーツケースを持って出掛けてらっしゃったわ」
「スーツケースですか…」
「そうよ!ご旅行が趣味だったのかしらね?でも長くても二日もすると戻ってらしたから、近場が多かったのかな、なんて」
恐れ入るほど近所の様子を観察している。だから苦手なのだ。
話すうちに捜査はどうなっているだのの話になったので、早々に辞去した。
帰り道、私は違和感を覚えていた。
——近場の外出に、スーツケース?
違和感は、勝手に大きくなっていった。
夜、鳥篭の前に椅子を置き、オウムに話しかけてみた。
「お腹空いたんじゃない?でも、何を食べるかも分からないわけだし…」
オウムは黙っている。
「何か話せたりしないの?オウムなんだしさ。まだ一度も声すら聞かせてくれてないわよね」
オウムは、微かに目を細めた。だがそれだけだった。私は背を向け、テーブルに突っ伏した。テレビでは夜のニュースが、不明児童の続報を伝えていた。正直いって、見知らぬ老人の死よりも、長い未来を持つ子供のこうした事案のほうが胸苦しくされる。もしもそれを不謹慎というならば、世界のどこかでいまも戦争被害を受ける人のことをどれだけの人が思い浮かべながらご馳走に舌鼓を――。こういう理屈っぽいところが苦手だと言われて以来、彼氏はいない。当たり前かも知れないけど。
チャンネルを替えた時、電話が鳴った。あの刑事だった。
「捜査の方は、正直に言って芳しくありません。他殺のセンは揺るぎませんけど、何せ亡くなり方が特殊です。類似の犯罪がないか、その辺りからも追ってみてるのですが——」
捜査状況など話していいのかしら?と思ったが放っておいた。刑事は続けた。
「検死では、鋭利なもので刺された後、内部の組織が僅かずつですがこう、抉り取られてるというんですね。直接の死因は頸動脈を裂かれての失血性ショックだろうということなんですが、奇妙なのは体中の傷のうち、幾つかには生活反応が無いことなんですよ。あ、生活反応ってお判りですか?つまり——」
「大丈夫です。医学部ですので」
そう言うと刑事は「あ、そっか」と笑い、電話は切れた。捜査はきっと手詰まりなんだろうな、これだから――と思ってしまう。
聴きながら想像した。どんな意図、目的があるのだろう、その傷の付け方に。
突かれ、裂かれ、内部組織がえぐられて——。しかも死後もまだ執拗に……。
突然、私の脳裏に自分でもおかしく感じる想像が閃いた。
近場に出るのにスーツケース。
餌の買い置きはない。
ならば、祖父は一体何をしに出かけ、どんな餌を与えていたというのか?
苦笑が出た。その想像が正しければ、祖父は〈エサの調達〉に出かけ、与えきったから常にエサは家に無く、そして次のエサがなにかの理由で手に入らなければ、愛するオウムに何を与えようと思い立つか。
笑ってしまった。それだと確かに致命傷では無い傷はできるかも知れないが、そうなるまで痛みに耐えているなど現実的では無い。
「馬鹿馬鹿しい――」
呟いた時、背後で小さな金属音が聞こえた。私はそっと振り返ってみた。鳥篭のスライド式の出入り口を、器用に嘴で開けるオウムの姿があった。
静かに外に出ると、オウムは私の前に立った。その目は〈私だけ〉を見つめている。ジッと、真っ直ぐに。
その眼差しはまるで好物を前にしたように、爛々と輝いて——。
鸚鵡 刹那 @arueru1016
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