21g
南木 憂
本編
虚ろな目つきで、麗華ちゃんは周囲を見つめていた。その細い身体は、これ以上何を失えば彼女自身を満足させるのか、私にはもうわからない。
「ねぇ、麗華ちゃん……」
柔らかな光が零れる講義室の一角で、私は心からの慈しみを込めて彼女の骨張った手に触れた。思っていたよりもずっと氷のように冷たい指先にびっくりし、彼女の顔を見つめる。すると、彼女は「どうしたの?」と優しい微笑みを浮かべた。心の内にある苦しさを無視して持ち上げられた彼女の頬は、見るに堪えなくて、私は俯いて視線を逸らす。
「もう少し食べたって平気だよ……体を大事にしなきゃ」
私はこれで何度目かわからない台詞を呟く。そして彼女は首を振った――これも、何度目かはもうわからない。数えたくもない。
「私、デブだから……もっと痩せなきゃ……」
彼女の声は小さく、しかし強い意志を感じさせた。もう削ぎ落とす脂肪なんてどこにも残っていないというのに。
それからの日々、麗華ちゃんはさらに自分を追い詰めていった。私は彼女に少しでも食べさせるために、一緒にいる時間を増やし、さりげなくお菓子を差し出したり、味見させてあげると言ってカロリー爆弾の限定ラテを飲ませようとした。
麗華ちゃんの痩せた手が私や友人たちの差し出すお菓子を拒む瞬間、彼女の瞳には絶望が宿っていた。おそらく、太った自分の姿と食べることへの恐怖だ。
いったい彼女は何がきっかけでこうなってしまったのだろう?
ある日、急につまずいて転んだ麗華ちゃんを見て、私は耐えられなくなって問い詰めた。麗華ちゃんは初め黙り込んでいたが、私は「麗華ちゃんが心配」だと何度も伝えた。そうしている内に涙が溢れてきて、鼻水を啜るために何度も言葉を区切らないといけなくなった。
「麗花ちゃん、そんなにダイエットしたら消えてなくなっちゃうよ!」
ぐちゃぐちゃの私に、良心の呵責に苛まれた麗華ちゃんは、ようやく理由を話してくれた。
「……50kgある女は、ありえないって」
「へ?」
どう見たって、今の彼女にそんな体重はない。そもそも、彼女の身長を考えると50kgあったところで太っているともいえない。
「誰がそんなこと、言ってたの……?」
「…………」
「麗華ちゃん、もしかして好きな人?」
麗華ちゃんは静かに頷いた。
ショックだった。ずっと昔から仲の良かった私の言葉より、麗華ちゃんは好きな人の言葉を大切にしているのだと、わからされてしまった。
「…………麗華ちゃん……私が一番、麗華ちゃんのこと大切に思ってるから……!」
「ありがとう」
「麗華ちゃん、今、体重どのくらい?」
「……もうずっと40kgから変わらない」
麗華ちゃんの声は、消えゆく炎のように弱々しい。その身長で無理して体重を落としたのだから、当たり前だろう。本当は怒りたかった――私の大切な麗華ちゃんを大切にしない麗華ちゃんを。
私は何もできない自分の無力さに打ちのめされつつも、麗華ちゃんを病院に連れて行った。
そこで私たちは
麗華ちゃんが抱える問題は決して小さなものではなかった。しかし神野先生の存在は、少なくとも麗華ちゃんが一人で苦しむことはないという確信を私に与えてくれた。それは私が探し求めていた、ほんのわずかな希望だった。
少しして、麗華ちゃんの入院生活が始まった。窓から差し込む光が白いベッドシーツをやさしく照らす病室。そこで過ごす日々は、どこか時間がゆっくりと流れているような感覚をもたらした。
そんな中でも麗華ちゃんの心の中で「痩せなければ」という焦燥感と闘っていたことだろう。食べることへの恐怖、自分の身体への嫌悪感――彼女が一人で闘っているその状況を、私は神野先生に任せてただ静かに見守るしかなかった。
見舞いに病室を訪れる度、神野先生はいつも、彼女のベッドに寄り添って話しかけていた。その時の先生の表情は穏やかで、その童顔と合わさると、まるで天使のようだった。
私はいつも少し立ち止まって、その様子を眺めていた。二人の話の内容は分からなかったが、時折見せる麗華ちゃんの小さな笑顔が私を安堵させた。神野先生は少しずつ、しかし確実に、麗華ちゃんの闇を照らしてくれていた。
いつもの様に見舞いに行ったある日のこと、病棟はバタバタと慌ただしかった。私はなぜだか嫌な予感がして、近くにいた看護師を呼び止める。
「あっ……貴方、麗華さんの……」
一瞬、表情を暗くした看護師を見て嫌な汗が噴き出す。私は纏わりつく嫌な物を振り解こうと、病室に向かって駆け出した。
勢いよく開けた扉の先では、神野先生が穏やかに微笑んでいた。
「麗華ちゃん!」
ベッドで横になっている麗華ちゃんの側に行く。私の存在に気が付いた神野先生は、麗華ちゃんの体を揺すって起こそうとした私をそっと制した。
「先程、ご両親に連絡しました。手を尽くせなくて申し訳ありませんでした」
「……へ?」
「ご愁傷様でした」
急に体から力が抜けて、私はへなへなと床に座り込んでしまった。そんな私を見て神野は慌てる。
「大丈夫ですか? ゆっくり椅子に座って……」
神野先生は私を支えて椅子に座らせてくれる。その優しさのせいで、麗華ちゃんを失った悲しみと怒りは行き場を失う。彼が麗華ちゃんを励まして続けていなかったら、もっと早く彼女は――。そうわかっていても、私は涙と共に「どうして……」と気持ちを吐き出すことしかできなかった。
「彼女は極端なダイエットのせいで、生命にとって削ってはいけないものまで削ぎ落としました」
先生の言葉は静かだった。
「何……ですか?」
私の声は、自分でも驚くほど小さく、か細く響いた。先生は一瞬だけ目を閉じ、次の言葉を選ぶ。
「……彼女の体重は39.979kgでした」
「麗華ちゃん……」
「21g——魂の重さです。つまり、彼女はダイエットで〝魂〟を削ぎ落としてしまったんですよ」
その言葉を聞いて、私は声を上げて泣かずにはいられなかった。それは彼女が、私が大好きだった麗華ちゃんが、ついに自分自身を殺してしまったという意味だった。
その後、私は麗華ちゃんのおじさんとおばさんの車で家まで帰った。私は終始泣いていた。
* *
麗華さんのご両親と友人を見送って、ホッと息を吐く。これで、僕の仕事はとりあえず終わりだ。
「今回は21gと報告しておきましょう」
ある日のことです、地上の人間たちを見ていた神さまが唐突に言いました。
「人間の魂を作り直そうと思う」
なんでも近頃の人間界では、本当の顔も名前も知らない人間同士でも、いがみ合ったり、傷付けあったりするそうです。神さまはその様子を見て、大変心を痛めておりました。
そういう訳で、改めて人間の魂を作り直そうと仰ったのでした。
「ところで天使くん、人間の魂は何グラムで作っておったかな?」
「えっ? えっと……すぐに確認してまいります!」
私はそう言って、慌てて資料室に向かいました。
そこで、愕然としました。何も記録が残っていなかったのです。世界をたった一週間で作り上げた神さまは、何の記録も残していなかったのです……!
どうしようか……困り果てた私の耳に、地上の人間達の話し声が聞こえて来ました。
『麗花ちゃん、そんなにダイエットしたら消えてなくなっちゃうよ!』
私はピンッと来ました! そうです! 人間の肉体がなくなるまで無くして、残った魂の重さを量れば良いのです! 名案です! そうと決まれば、あとは実行に移すのみ!
そんな経緯で、私は人間界へと降りたのでした。
「うーん、人間の名前かぁ……
さあ、仕事仕事っと!
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