第25話

 白い部屋。椅子に座った私。


 動けない。

 体が硬直して、指一歩動かせない。


(なんで……! 声が、出な……)


 コツ、コツ、コツ……


 足音が近づいてくる。怖くなってぎゅっと目をつぶると、私の前でピタリと止まる気配がした。


(怖い、誰っ……来ないで――!)


「そんなに拒否なさるな」


 敵意のない言葉にゆっくり目を開けると、立っていたのは優しそうな顔をした男の人だった。


「栄明寺……御月さんかな?」

「は、い。あれ、言葉が……」

「本当に怖いと感じた時、言葉は出ないものだよ。体も動くのではないかな」


 手を握ってみると、きちんと握ることができた。視界を動かして見てみると着物に袴、ブーツを履いて、あの錫杖の刀を腰に差している。


「あなたは……?」

「申し遅れてしまってすまないね。私は栄明寺樹月きげつという」

 はにかんだ樹月さんは、いつの間にか現れた椅子に座って私に話しはじめた。


「栄明寺の浄化師は代々、月の字を名乗ってきた。月の字を名乗ることで、栄明寺家の時を操る能力を格段に強く扱えるようになるからね」


 御月の名前は強かな名前。これはそういうことだったのか。


「今ここには来ていないのだけれど、桜月おうげつさんという方がいらっしゃって、その方が栄明寺剣術の元祖だ」


 伝術書にも書かれていない、栄明寺家の秘密。それを淡々と出し惜しみすることなく話す姿に疑問が湧いた。


「なぜ今教えてくださるんですか?」

「今じゃないといけないんだ。御月さん、貴方の名前について」

「名前……?」


「先程、月の名を冠する者は強い力を得ると言ったね」

「はい」


 なぜかこのとき、話が読めた気がした。


「その昔、私より後に生まれた栄明寺の人間は、更に強さを求めた。そして今まで暗黙の了解として受け継いできた禁忌を破ることになる」


「禁忌?」

「禁忌と言っても、当時であれば私たちが臆病だっただけだよ。その内容は月、その意味だけで名前をつけないこと」


 ぞくり、と背筋が冷えた。


「私たちでさえ、堂々と久々宮家に張り合うことができる。それより強い力を持つとなると、力の制御ができるのか、定かではなかった」


 しかし、だ。


「漢字で月だけを表す名前の方が生まれたんですね」

「そう。そしてその男は強大な力を授かったにもかかわらず、更に力を求めた。その者とは既に、出会っているはずだ」


(もしかして――)


 あの、京都駅で私を見て笑っていた着物の男が、頭の中にフラッシュバックする。人相を説明すると、樹月さんはその男だと肯定した。


「少し話は逸れるのだけれど、栄明寺には禁忌が二つある。一つは今話している、月の意味ひとつで名前をつけないこと。もう一つは何か、お分かりかな」


 首を横に振ると、樹月さんはほっと息を吐いた。

「話しに来ておいてよかった。栄明寺は時渡人。時間を操る上で人間の道を大きく外れる行為が一つだけ存在する。それは、不老不死となることだ」


 確かに、私も伝術書を読みながら可能性があるのではと思っていたのだ。

(やっぱり、やっちゃいけないんだ)


「その禁忌を、その男は破った。あの男は明治時代からあの体で生き永らえている」

「め、明治!?」

「文明開化の頃から」

「文明開化!?」

「何か聞きたいことはあるかな?」

「廃刀令は……」

「もちろん、黙殺」

 にこりと笑って言う。


「で、だ。問題はここから」

 話の先がどんな内容かなんて、簡単すぎた。


「……私の名前について」


「そう。まさかこう来るとは思わなくてね。月の意味を表すにしても、御がついていてさらに丁寧になっていることを加味して力は未知数。だから、釘を刺しに来たんだ」


 私の名前は禁忌に触れる。力もまだスムーズに使えるように訓練中。そんなまだ未完成の、駆け出しの頃だからこそ、言い聞かせるには良いと考えたのだろうか。


「くれぐれも禁忌は破らぬように。二つ目の禁忌は破れば最後、後戻りはできなくなる」


 不老不死は、現実に存在してはならない。人の領域を超えることはしてはいけないというお達しだろう。私が人間であるために。


「そして貴方にはこれから、重い責務を負わせてしまうことをお詫びしたい」

「責務?」


「あの男――――栄明寺月えいめいじつきを殺して欲しい」

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