第10話 救難信号
彩晴をトイレから引きずり出したのはハツからの呼び出しだった。
『彩晴さん、涼穂さん。至急指令室まで来てください』
トイレから出た彩晴は、涼穂と共に指令室へ向かう。移動中、涼穂が彩晴の腕をしっかりと掴んでいたのは言うまでもない。
「どうした? ハツ」
「実は救難信号をキャッチしまして」
「救難信号? 間違いないのか?」
この世界については、未だ言語の翻訳にすら手間取っている状態だ。しかしハツは、間違いないと頷いて見せる。
「広域周波数で連続した信号は地球の緊急信号と酷似しているというのが、一点。これまでに付近で事故を起こした船が類似の信号を発していたというのが、一点。発生地点が他の船が通らない航路上から外れた場所である事が一点。以上の三点から、救難信号であると判断しました」
ハツが宙域図を開き、信号が出ている地点を示す。
海や空にも実は道が存在し、船や飛行機はその道に沿って航行する。それが航路だ。もし、航路から外れた場合、座礁したり、事故で漂流した際、発見が極めて難しくなる。宇宙だって同様だ。広大な分、むしろ地上より航路が厳しく定められていると言ってもいい。
この世界でも航路の概念があるようで、ハツは行き交う船の動きから周辺宙域の航路図を既に作成していた。
「ただ、気になる点もあります。もし、救難信号なら、付近にあるコロニーや航行中の船舶が反応しそうなものなのですが……」
「無いのか?」
「はい」
コロニーに警備隊があるのは確認している。彼等は武装した警備艇を数隻保有し、日々パトロールを行い、これまでも事故があれすぐに駆けつけている。地球人には理解出来ないところもあるが、この世界の人々は決して薄情なわけではない。にもかかわらず、今回に関しては一切動きがみられないのが妙だった。
「確かに妙だな。気付いていないとか?」
「流石にそれは無いかと……」
首を傾げる彩晴。
「もしかして海賊じゃないかな?」
「海賊?」
「うん。みことが言ってた。海賊ってのは縄張りにあるコロニーに伝手を持っていて、救難信号を出しても無視するように圧力をかけてるんだって」
「そういえば、みことは宇宙海賊に家族を殺されたんだったな」
宇宙海賊を始めとする、反社組織社は24世紀の地球においても存在する。彩晴と涼穂の同期生である春日みことの家族は不運にもその犠牲となった。
「ここの連中は見て見ぬふりをしてるっていうのか?」
「確かにありえる話です。残念ながら地球でもそういった事はありますから」
コロニー管理局も、駐留している警備隊も、組織としてなら海賊に対抗できる力を持っている。だが、組織を構成するのはあくまでも普通の人間なのだ。人は暴力に弱い。家族もいれば、保身にも走る。反社はそんな人の弱点につけこんでくる。家族の安全、自身の保身の為に、要求を飲まされ、やがて、組織全体が反社に支配されていく。
情けない。背信行為だと責めるのは簡単だ。だが、社会に出れば、いつ自分にもそういった暴力による支配が襲いくるか分らない。そういった反社への対策、戦い方を24世紀の地球では小学生で学ばさせられる。
「ハツ。信号の発信源に向けてレーダー波を照射しろ。それで何かわかるはずだ」
「本艦の存在に気付かれる恐れがありますが?」
逆探知されることを防ぐため、ハツヒメはこれまでレーダーをパッシブ状態で使用してきた。だが、広域探査には量子通信波を高出力で放出する必要がある。ハツヒメの発する地球製量子レーダー波の波長はこの世界では異質だ。使用すれば近隣の船やコロニーが気付くだろう。また、追われることになりかねない。
「構わない。地球連邦宇宙軍のシンボルが入ったこのハツヒメを、救難信号を無視した船にはできないからな。涼穂もそれでいいか?」
「もちろん! ハツにも軍にも恥はかかせられないよ!」
彩晴の判断に涼穂も迷いなく同意する。
もし、彩晴が「困っている人を放っておけない」とか、「海賊行為を許さない」などと発言していたら、国家と国民を護る為に兵器という強力な力を預けられた軍人として失格だ。軍人は貸し与えられたその力を個人の正義や義憤で振るうことは許されない。その場合、ハツは救難信号を見捨てるべきと具申しなければならなかった。だが、彩晴はハツヒメと地球連邦宇宙軍の名誉の為と言った。この世界にいる唯一の地球連邦連邦宇宙軍の艦として、恥ずかしい真似はできない。その為ならば危険も厭わないというふたりの心意気に、ハツは胸を撃たれる思いだった。
要は建前が大事なのである。一分一秒を争う現場では、如何に都合のいい建前をとっさに思いつくかというのは指揮官にとって重要な能力であり、彩晴はそれをクリアしてみせたのだ。
「彩晴さん、涼穂さん……地球連邦宇宙軍全艦艇を代表してお礼を言わせて頂きます」
泣きそうな声で礼を言うハツ。フィギュアヘッドアンドロイドは涙を流さないが、泣きたくなることもある。
「おいおい、それは流石に大げさだろう? ハツ、エンジンに火を入れろ。すぐに出られるようにしておけ」
「アイサー! クオンタムレーダーアクティブ。恒星炉起動。ステルスモードを解除します」
ステルスモードと聞くと、所謂光学迷彩のようなもので視覚的に見えなくなるようなものを想像するが、ハツヒメにはそんな機能は装備されていない。ステルスモードとは、熱などのエネルギー反応を外部に漏らさないように遮蔽する状態のことを言う。言うなればただの死んだふりなのだが、視覚的には見えなくなるが、周囲にエネルギーを垂れ流す光学迷彩より実は効果が高いのだ。
指向性レーダー波による長距離サーチは、救難信号を出す400メートル程の船と複数の小型船を捕えた。
「レーダーに感有り! 中型船1と小型船5。小型船の1隻が中型船に接弦している模様!」
「信号はまだ出ているか?」
「中型船から出ています! これは明らかに海賊行為です!」
小型船が救護の船である可能性はある。だが、それなら信号が出され続けているのはおかしい。
「あや?」
「ああ、やるぞ」
海賊。それは船乗りの敵であり、許されざる行為。彼等と対峙するならば命のやり取りをする覚悟が必要となる。
「ハツヒメはこれより海賊の取り締まり、及び被害船の救援に向かう! ハツヒメ発進!」
「アイサー! 固定アンカー解除、発進よし!」
小惑星の影から、見慣れぬ白い艦が姿を現すのを、付近を航行していた多くの船舶が目撃する。その白い船は機敏な動きで小惑星群を抜けると、あっという間に宇宙の闇の中に消えていった。
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