第21話 『珈琲とコーヒーとおっさん』/「珈琲と」始まり指定

 珈琲と書かれてあると、身構えてしまう。

いや、今ではモーニングで有名なチェーン店など、カジュアルに入店できる喫茶店のいくつかも、看板に「珈琲」と銘打っている。

それは承知の上なんだが、体が勝手に反応してしまうのだ。


 ガキの頃、よく親父に連れて行ってもらった純喫茶は、スペシャルティコーヒーを提供する店だった。土曜日の午後、旨そうに一杯を満喫する親父の前で、クリームソーダを食べるのが楽しみで、楽しみで。

男同士だから特に会話に花が咲かないけど、好きな時間だったように思う。

 常連のおっさん達は、平日の昼間毎日のように入り浸っていた。新聞を片手に、実に暇そうに。下校時にガラス張りの店内を覗くと、土曜日にも居合わせるお馴染みの顔ぶれが揃っていたから、わかる。

「あんなおっさんにはなりたくないなぁ」なんて、なんとなく思っていた。


 世間体的にも結婚した方がいいだろうと思い、30代は婚活に勤しんだ。

結婚相談所で紹介された相手と初めて顔を合わせるのは、決まって喫茶店だった。

現代的なカフェだと気後れするし、初対面の緊張感はあのおしゃれ空間では浮いてしまう気がして。

 例え男と女だとしても、相当な努力をしなければ、会話に花が咲かないこともあるのだと知った。珈琲の苦味ばかりが記憶に残っている。


 そして、今現在40代の俺には、結婚相手も、珈琲もない。

ついでにいえば、家族もいない。親父は俺が中学生の頃、突然の病気で呆気なくこの世を去り、母子家庭で俺を育てた無理がたたったのかお袋も長生きしなかった。

 一人で生きていくための稼ぎはあるが、スペシャルティコーヒーを愉しむほどの余裕はない。かといって、サイズやらの呼び方が独特で、注文に戸惑う長ったらしい名前のコーヒーを飲むくらいなら、同価格帯で一食済む牛丼屋や定食屋を選択するし。映えなんて俺の生活には一切不要なものだから。

 全てを時代や環境のせいにするつもりはないが、懸命に受験勉強をして、奨学金制度を利用しながら苦労して大学を卒業したのに、新卒採用時には就職超氷河期だった。

俺は、これ以上どう努力すればいいというのだろう……。


 ガキの頃、「あんなおっさんにはなりたくないなぁ」と思っていたおっさん達は、実はものすごく余裕のある大人だったんだなと実感する。

できることなら、あんなおっさんになってみたかったと考えながら、次の営業先に向かう合間、ガソリンとして、コンビニのコーヒーを啜った。

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