命の塗り変わる、たった一瞬
その決意の延長上。
「――ああ、行き過ぎちゃった」
「大丈夫、ちょっと前に出よう。後ろを右側に持って行きたいから――」
運転が苦手な直香ちゃんの練習に付き合ったり。
「ほら、志穂さんも印象変わるじゃん!」
「これは……確かに?」
しても無駄だからと避けてきたコスメについて、直香ちゃんから教わったり。
「うわあ、ついに来ちゃった……本当に良かったの?」
「いいよ、割とお金余ってるし。直香ちゃんが喜んでくれるなら安いよ」
金欠会社員な直香ちゃんを、憧れだというフレンチに連れていったり。
Vtuberの活動以外にも、たくさん一緒に過ごした。重ねてきた努力が報われるような、幸せでいっぱいの時間だった。
そうして育った自信は、封印していた想いを疼かせる。
居場所ができた今なら、依存しなくても済む今なら。
ちゃんと、飯田くんに向き合えるんじゃないだろうか。
今の彼がどんな姿で誰と一緒でも、今の志穂なら受け容れられるから。
*
相談がある、と直香ちゃんを家に呼んだ。
「で、何かな志穂さん」
「人探しって言うのかな……あのね、」
言い方に迷ってから、一番素直な言葉にする。
「10年くらい。連絡も取ってないけど、ずっと好きだった男の子がいてね」
飯田くんと共に過ごした1年と、それからの執着を、正直に話す。
笑われて当然の、非常識すぎる片想いだったけど、直香ちゃんは真剣に聞いてくれた。
「私を彼女にしてくれるかもしれないって。たったひとり、思えた人なんだよ。
Vtuberやってればいつか、この声に気づいて、迎えに来てくれるかもしれないって夢見てさ……けど、やっぱり、探さないと再会は無理じゃん」
「うん、志穂さんがすごく大事に想ってるのは分かった。けど、直香に話してくれたのは、どうして?」
「ヤバい発想だと思ったら止めてほしい」
「……ヤバいんじゃないかなあ、ずっと連絡取ってないんだったら。仲良かった友達でも怪しむレベル」
「だよねえ……非常識だとは分かってたけど、諦めきれなくてさ」
「普通に考えて……って言い方も良くないけど。もう、彼の方はさ」
「忘れてるよなあ……けど私にとっては、女として愛されるたった一回のチャンスだだったんだよ。まあ、どっちにしろ無理か」
志穂にとっては当然の、諦めの境地だったけれど。
「志穂さんは。どうしても、男相手じゃないと、嫌かな」
固い声色で、直香ちゃんに問われる。
「それは……女同士じゃ無理か、ってこと?」
「うん」
「考えたこともなかったけど、この顔で好きって言ってくれるなら男女どっちからでも嬉しいと……」
しばらく考える。飯田くんに見ていた夢の、因数分解。
「彼が特別で、彼の特別になりたかったのは勿論だけど、その上でね。
王子様が迎えに来たシンデレラみたいに。立派そうな男と一緒になれば、周りからの視線だって覆せる気がしたんだよ。妻として祝福されれば、今まで嫌われてきたことも覆せるんじゃないかって」
「志穂さんは……周りからどう見られるかって、大事?」
「そこ気にしたら負けだって思うようにしたけどさ。気にしちゃうじゃん、やっぱり」
「そっか……じゃあ、直香も正直に言うね」
直香ちゃんから只ならぬ気配を感じ、姿勢を正して向き合うと。
「人には全然言ってないんだけどね、直香は女の人が好きです。ガチ百合のレズビアンです。
それでね。画面越しに観ていた矢津裂貫那さんのことも、いま向き合っている傘崎志穂さんのことも、大好きです。恋、しちゃってます」
――意味が、分からなかった。
だって男の目にも女の目にも、志穂が醜く映るのなんて変わらないはずで。
直香ちゃんは……母数は減って大変だろうけど、女性にだって可愛がられるはずの美少女で。
「……いや、そんなの、信じられないって」
「どうして? 女同士だから?」
「じゃなくて……ごめん、人からそう言われるの、初めてで、分かんなくて」
「絶対お付き合いしてほしいとかじゃないよ、友達のままでも良いよ。ただ、志穂さんが女として愛されたいって願っているなら。応えるのが直香じゃ、ダメかな?」
こんな良い子に、文句なんてあろうはずがなかった。彼女の笑顔に、志穂の心がどれだけ照らされてきたことか。
それでも、ずっと抱えてきた疑念は、そう簡単に消えない。
「……怖いんだよ、疑っちゃうんだよ。
自分はコイツより可愛いって優越感とか、コイツと仲良いと思われるのが不快だって嫌悪感とか……素直な好意じゃなく憐憫なんだとか。そういう女の本音を、直香ちゃんも持っているんじゃないかって。
だから、同性の友達にだって心を許せたことがなくて。顔を見せないVtuberって在り方に甘えて、好きだった男が迎えに来る夢に甘えてた」
直香ちゃんの手に力がこもる。
「志穂さんが、これまで他の人に何言われたかは知らないけど。他の人の本音なんか知らないけど。直香の気持ちは信じてよ……どうしたら信じてくれるかな」
脳裏をよぎるいつかの哄笑――カサザ菌とキスするなら死んだ方がマシ、とか。
「……キス、して」
言いながらも俯いた志穂の頬を、直香ちゃんの両手が挟む。
「傘崎志穂さん。大好きです」
そっと、唇が触れ合う。柔らかな温度、甘い湿度――志穂を映す、優しい眼差し。
ありがとう、とか。
信じるよ、とか。
私も好きだよ、とか。
言葉はたくさん浮かんだのに、その全部を体が追い越して。
直香ちゃんを固く抱きしめて、貪るようにキスをした。
今まで吸っていた空気が偽物で、彼女の吐く息だけが本物だったみたいに。
ただ、彼女が愛しかった。
志穂への愛を全力で伝えてくれた彼女を、心の底から、可愛いと思った。
彼女が志穂を可愛いと言ってくれるなら、志穂もそう信じることにした。
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