命の塗り変わる、たった一瞬

 その決意の延長上。明空あけそら真直ますぐちゃん――本名、日野ひの直香すぐかちゃんとの付き合いは順調に続いた。


「――ああ、行き過ぎちゃった」

「大丈夫、ちょっと前に出よう。後ろを右側に持って行きたいから――」

 運転が苦手な直香ちゃんの練習に付き合ったり。


「ほら、志穂さんも印象変わるじゃん!」

「これは……確かに?」

 しても無駄だからと避けてきたコスメについて、直香ちゃんから教わったり。


「うわあ、ついに来ちゃった……本当に良かったの?」

「いいよ、割とお金余ってるし。直香ちゃんが喜んでくれるなら安いよ」

 金欠会社員な直香ちゃんを、憧れだというフレンチに連れていったり。


 Vtuberの活動以外にも、たくさん一緒に過ごした。重ねてきた努力が報われるような、幸せでいっぱいの時間だった。

 そうして育った自信は、封印していた想いを疼かせる。


 居場所ができた今なら、依存しなくても済む今なら。

 ちゃんと、飯田くんに向き合えるんじゃないだろうか。

 今の彼がどんな姿で誰と一緒でも、今の志穂なら受け容れられるから。

 


 相談がある、と直香ちゃんを家に呼んだ。

「で、何かな志穂さん」

「人探しって言うのかな……あのね、」

 言い方に迷ってから、一番素直な言葉にする。

「10年くらい。連絡も取ってないけど、ずっと好きだった男の子がいてね」


 飯田くんと共に過ごした1年と、それからの執着を、正直に話す。

 笑われて当然の、非常識すぎる片想いだったけど、直香ちゃんは真剣に聞いてくれた。


「私を彼女にしてくれるかもしれないって。たったひとり、思えた人なんだよ。

 Vtuberやってればいつか、この声に気づいて、迎えに来てくれるかもしれないって夢見てさ……けど、やっぱり、探さないと再会は無理じゃん」

「うん、志穂さんがすごく大事に想ってるのは分かった。けど、直香に話してくれたのは、どうして?」

「ヤバい発想だと思ったら止めてほしい」

「……ヤバいんじゃないかなあ、ずっと連絡取ってないんだったら。仲良かった友達でも怪しむレベル」

「だよねえ……非常識だとは分かってたけど、諦めきれなくてさ」

「普通に考えて……って言い方も良くないけど。もう、彼の方はさ」

「忘れてるよなあ……けど私にとっては、女として愛されるたった一回のチャンスだだったんだよ。まあ、どっちにしろ無理か」


 志穂にとっては当然の、諦めの境地だったけれど。

 

「志穂さんは。どうしても、男相手じゃないと、嫌かな」

 固い声色で、直香ちゃんに問われる。

「それは……女同士じゃ無理か、ってこと?」

「うん」

「考えたこともなかったけど、この顔で好きって言ってくれるなら男女どっちからでも嬉しいと……」


 しばらく考える。飯田くんに見ていた夢の、因数分解。

「彼が特別で、彼の特別になりたかったのは勿論だけど、その上でね。

 王子様が迎えに来たシンデレラみたいに。立派そうな男と一緒になれば、周りからの視線だって覆せる気がしたんだよ。妻として祝福されれば、今まで嫌われてきたことも覆せるんじゃないかって」

「志穂さんは……周りからどう見られるかって、大事?」

「そこ気にしたら負けだって思うようにしたけどさ。気にしちゃうじゃん、やっぱり」

「そっか……じゃあ、直香も正直に言うね」


 直香ちゃんから只ならぬ気配を感じ、姿勢を正して向き合うと。

「人には全然言ってないんだけどね、直香は女の人が好きです。ガチ百合のレズビアンです。

 それでね。画面越しに観ていた矢津裂貫那さんのことも、いま向き合っている傘崎志穂さんのことも、大好きです。恋、しちゃってます」


 ――意味が、分からなかった。

 だって男の目にも女の目にも、志穂が醜く映るのなんて変わらないはずで。

 直香ちゃんは……母数は減って大変だろうけど、女性にだって可愛がられるはずの美少女で。


「……いや、そんなの、信じられないって」

「どうして? 女同士だから?」

「じゃなくて……ごめん、人からそう言われるの、初めてで、分かんなくて」

「絶対お付き合いしてほしいとかじゃないよ、友達のままでも良いよ。ただ、志穂さんが女として愛されたいって願っているなら。応えるのが直香じゃ、ダメかな?」

 こんな良い子に、文句なんてあろうはずがなかった。彼女の笑顔に、志穂の心がどれだけ照らされてきたことか。

 それでも、ずっと抱えてきた疑念は、そう簡単に消えない。


「……怖いんだよ、疑っちゃうんだよ。

 自分はコイツより可愛いって優越感とか、コイツと仲良いと思われるのが不快だって嫌悪感とか……素直な好意じゃなく憐憫なんだとか。そういう女の本音を、直香ちゃんも持っているんじゃないかって。

 だから、同性の友達にだって心を許せたことがなくて。顔を見せないVtuberって在り方に甘えて、好きだった男が迎えに来る夢に甘えてた」


 直香ちゃんの手に力がこもる。

「志穂さんが、これまで他の人に何言われたかは知らないけど。他の人の本音なんか知らないけど。直香の気持ちは信じてよ……どうしたら信じてくれるかな」

 脳裏をよぎるいつかの哄笑――カサザ菌とキスするなら死んだ方がマシ、とか。

「……キス、して」

 

 言いながらも俯いた志穂の頬を、直香ちゃんの両手が挟む。

「傘崎志穂さん。大好きです」

 そっと、唇が触れ合う。柔らかな温度、甘い湿度――志穂を映す、優しい眼差し。


 ありがとう、とか。

 信じるよ、とか。

 私も好きだよ、とか。


 言葉はたくさん浮かんだのに、その全部を体が追い越して。

 直香ちゃんを固く抱きしめて、貪るようにキスをした。

 今まで吸っていた空気が偽物で、彼女の吐く息だけが本物だったみたいに。


 ただ、彼女が愛しかった。

 志穂への愛を全力で伝えてくれた彼女を、心の底から、可愛いと思った。

 彼女が志穂を可愛いと言ってくれるなら、志穂もそう信じることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る