アイデアはどこに消えたのか

 ある日、私がてくてくと外を歩いていると、何か物凄く斬新で、独創的で、美しく、圧倒的なアイデアを思いついた。そのアイデアの素晴らしさはまさに、革命的とも呼べるものだった。しかし、その時は急いでいたこともあって、メモをすることを忘れてしまったのである。ああ、創作をする者ならば誰でもわかることだろうが、これは致命的なミスなのだ。なぜなら、もうそのアイデアはどこか遠い彼方に、奈落の底か、宇宙の果てか、ピラミッドの最深部か、微生物のDNAの配列の中かに消えてしまったからである。


 さらに問題なことは、何か物凄いアイデアを思い浮かんだという記憶だけが残っているということである。安っぽい表現で申し訳がないが、雷に打たれたような、全身がぞくぞくするような、あの感覚だけは残っているのである。ああ、いっそのことあの感覚も一緒に消え去ってくれれば、どれだけいいことか。しかし、残酷なことに、アイデアを思い付いた衝撃と、そのアイデアを失ったという記憶だけが残るのである。丁度その間の記憶だけがすっぽり抜け落ちてしまうのである。


 ついでだから、アイデアなど、そんなもの必要ないではないかという人間がいるかもしれないから、そこのところを説明しておこう。創作をする人にとってはアイデアとはとても重要であって、無から何かを生み出すことはほぼ不可能に近い。無から生み出すという経験がある人には是非とも聞いてみたいのだが、それは本当に、絶対に、神に誓って(もっとも、神を信じないならまた別だが)、無から生み出したものだろうか。だから、アイデアとは、創作する者にとっての魂であるということを言っておこう。


 というわけで、創作を行う私にとって、アイデアが消えたことは一大事なのだ。なぜなら、恥ずかしいことなのだが、私はそう簡単に新たなアイデアを生み出せる人間ではないからだ。しかし、創作をしたいという意志や情熱があるから、より一層たちの悪いことになる。例えるなら、車にガソリンを満タンに入れたはいいものの、タイヤがついていないようなものなのだ。悶々として、どうしようもない状態なのだ。


 そこでひとつ、私は消えたアイデアを探す旅に出ることにしたのだ。簡単なことではない、針の穴に糸を通すようなものだというが、そもそも、その針を藁の中から探さなければならないようなものなのだ。


 まず私は、そのアイデアを思い付いた場所に赴くことにした。その場所に何かアイデアのヒントがあったかもしれないからだ。考え事をしながら歩いていると、周りの景色は見えないものだが、実際のところ、私のこの眼はしっかりと見ているはずだから、ふとしたきっかけがあれば、思い出すと思ったのである。


 しかし、まあ、皆様のご察しのとおり、アイデアを思い出すことはなかった。自分自身でも、うすうすわかっていたことだから、致し方ないことではあるのだが。ああ、あの素晴らしいアイデアはいったいどういったものだったのだろうか。人間は進化するだとかいうが、本当にそうなのだろうか、とヘーゲルと愚痴でも言いながら、酒でも飲みたいものである。


 ただ、考えてもみれば、それが本当に優れたアイデアであったかの確証はないのではないだろうかと思う者もいるだろう。つまり、今思い出したところで、その時ほどの衝撃はなく、「なんだこんなものか」と言う程度のアイデアだった可能性もあるのではないか、と。だったら、もうそんなアイデアを思い付いたことなど忘れてしまった方がよっぽどいいのではないだろうか、と。


 しかし、それは違うのだ。なぜなら、アイデアを思い付いたという記憶だけがあるこの状態は、実はとても素晴らしい状況なのだから。つまり、そのアイデアというものを、私が想像し得るなかで、可能な限りの美しいものであると想像できるからである。つまり、プラトンのイデア論のような、ガウディのサグラダファミリアのような状態がそこにはできあがっているのである。


 なあ諸君、このように考えれば、アイデアが抜け落ちてしまった状況も、そう悪くはないのではないだろうか。とまあ、自分を無理やり慰めることしかできないわけだが。はあ、まったく私のあの素晴らしいアイデアはどこに消えてしまったのだろうか。何か物凄く面白い小説ができるはずだったのに......。はあ......。

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