時をかける喫茶店(飴玉の味)

 僕は大学2年生だ。東京の大学に通うために上京して、一人暮らしをしている。ある日、東京にいるという友人から連絡があった。その友人とは小学生以来会っていなかった。まさか東京にいるとは思わなかった。電話越しでも話は弾み、後日、駅で落ち合う約束をした。


 友人とは久しぶりにあったが、昔と変わらない様子だったから、嬉しかった。近くのファミレスに入ると、昔話で盛り上がった。しばらくすると、友人はそういえば、と言いながら、鞄からパンフレットを取り出した。友人はネズミ講だった。僕は用事があるからと言い、その場をあとにした。とても残念な気持ちだった。


 僕はどこに行くでもなく、とぼとぼと歩いていた。わざわざ友人に会うために電車に乗ってまで来たのだと思うと、なんだか悔しくて、このまま帰ることはできないでいた。すると、ふと、喫茶店を見つけた。レトロな雰囲気のその喫茶店に僕は吸い寄せられるようにして、ふらっと扉を開けた。


 店内はとてもシックな色合いで、レコードや置き時計など、お洒落な内装は落ち着いた印象を与えた。店内には他に客はいなかった。店員も一人しかいなかった。50代くらいの女性だった。話を聞くと、一人で切り盛りしているらしかった。穴場のような場所なのだろうと僕は思った。僕は席につくと、コーヒーを頼んだ。しばらくすると、明るい笑顔を浮かべながら、コーヒーを持って来てくれた。


 彼女はとても明るく、冗談の好きな人だった。僕は、故郷の母親を思い出した。それで、将来についての不安や、つい先程友人に騙された話をした。彼女は優しく話を聞いてくれた。そして、底なしの明るさで僕を励ましてくれた。冗談もたくさん言って、僕を笑わせてくれた。


 彼女が言うには、喫茶店は時をこえるらしい。なんと、喫茶店の外には異次元空間が広がっているのだそうだ。しかし、僕や彼女は喫茶店の中にいるからそのことに気づけない。しかも、外に出るとすぐさま元の次元に戻ってしまうから、決して気づくことができないのだそうだ。


 僕はとても楽しい時間を過ごした。僕は会計を済ますと、外に出た。気づけばすっかり夕暮れだった。なるほど時をこえるというのもあながち間違いではないな、と思った。しかし、もしかしたら本当に時をこえているのかもしれない。まさかな、と思い、後ろを振り返ってみた。そこには来たときと同じように喫茶店があった。本気で冗談を信じた自分が可笑しくなって、不思議と笑みがこぼれた。忘れていた少年の心を取り戻したようだった。








 駅に向かう途中、財布がないことに気づいた。どうやらあの喫茶店に忘れてしまったようである。急いで戻り、財布を忘れてしまったことを説明した。さっきまで座っていたテーブルの上に財布が置いてあった。良かった、あった、と思い財布を取ろうとすると彼女が笑いながら言った。「悪いわね。もうちょっと早く戻って来てくれれば返せたんだけど、もう時効だわ」


 冗談キツイですよ、と言ったが、彼女は時効なの、の一点張りだった。張り付いたような笑顔が怖かった。僕はなんとか財布を取ると、逃げるように喫茶店をあとにした。何だかとても悲しくなった。心がひどく疲れてしまった。


 電車に揺られながら、僕はずっと外を見ていた。もっとも、正確には見ていなかったという表現の方が正しかった。駅から家に向かうときも僕は何も考えられなかった。だから、「ハヤト、危ないから走らないで。前見なさい」という声も聞こえなかった。


 突然、何かが足にぶつかったのを感じた。見ると子供だった。遠くから走ってきた母親が何度も頭を下げて謝った。そして、ちゃんと謝りなさい、と子供に叱った。子供は申し訳無さそうに、小さい声で「おじさん、ごめんなさい」と言った。僕はおじさんと言われるほど年をとってはいないけど、「おじさんもぼーっとしてた。痛くなかった?ごめんね」と言った。

 

 改めて母親が謝った。僕は、全然大丈夫ですよ、と言い、その場をあとにしようとすると、子供は「おじさん、ごめんなさい。これ、あげる」と言った。子供の手には飴玉があった。母親は恥ずかしそうに、すみません、とまた謝ったが、僕は「いえいえ、ありがとう」と言うと、その飴玉を受け取った。


 家に着くと、僕はポケットから子供に貰った飴玉を取り出した。なんてことはない、どこにでも売っている飴玉だった。包装を破り、飴玉を口に入れた。その味は、すごく、ものすごく優しい味だった。

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