4 華姫
結は動揺のあまり、しばらく口もきけなかった。
その間もあれよあれよと祭はすすむ。
神輿の一行が神社に到着すると、祭式がはじまった。
宮司による
舞の演目はこの地につたわる『華姫伝説』がもととなっている。これは華姫という土地の権力者の娘と、龍神の
ある日、沢で水浴びをしていた華姫を龍神が見初め求婚した。華姫は拒絶するも、龍神の三度の求愛によりついに心を動かされる。華姫は龍となり、龍神とともに大河となった――という話である。
奉納舞では、とりわけ姫に求愛する龍神の勇壮な演舞が見どころだった。
結は今年の『華姫』であるので、奉納舞の最後では龍の神輿とともに舞を披露した。
龍神の再三の求愛を受けいれ、そしてみずから龍となる舞である。広げた扇子を空にかざし、ひらひらと蝶のように揺らす。
扇子を持つ結の手は震えていた。なにせ他人事でないのだ。今にも、こうして自分が龍になるのではないかと身がすくむ。それなのにどういうわけか、心のどこかで“それでも良いか”と思ってしまう自分がいるのも事実だった。
結はふいに泣きそうになった。
――わたしはいったいどうしたいのだろう。
桟敷席を見やれば、最前列に
彼はじっとこちらを見つめていた。龍の神輿でも囃子方でもなく、舞いおどる結だけを見ている。彼の薄茶の瞳は、松明に照らされて赤く映っていた。そのせいなのか、普段よりもずっと視線が強い。
まっすぐに見つめられ、結はまた身を震わせた。
達は沢を渡ったあとから、何も言わなくなった。結の返答も乞わなかった。動揺する結を察して彼なりに気づかったのだろう。けれど、今や感情を隠す必要がなくなったぶん、彼のまなざしは多くを語ってあまりあるものがあった。その感情を見つけるたび、結はどうしようもなくなってしまう。心が落ち着かず、居心地が悪くなってしまう。
しかし悠長に返答を考えている場合ではなかった。
結の心境にも構わず、いままさに人生最大の選択を迫られているのだから。
奉納舞が終わると、一行は神社の鎮守の森へ入った。
傾斜の多い山道をしばらく歩くと、やがて雷のうなりのような轟音が響いてくる。そこまで来ると激しい清流の沢があり、その奥に大滝があらわれる。
山腹の高所から噴出するその滝は、巨大な黒岩を叩き、垂直に落下する。その勢いのある
この滝は結が水浴びをする沢の源流にあたる場所だった。
滝の裏には、岩石をくりぬいたような巨大な洞窟があり、そこは『龍の巣穴』と呼ばれている。村の神事の多くはここでおこなわれるのがならいだった。
この秋祭も『龍の巣穴』に出向くことが最後の行程となっていた。ここで今年の『姫』が一晩こもり、龍神に豊穣を願い、祈りをささげるのだ。
結は『龍の巣穴』を目前にして、めまいを覚えていた。気付けばのどがひどく乾いている。
龍神は必ずあらわれるに違いない。結の答えを聞くために、やって来るにちがいない。
「結」
そっと囁かれ、結は達を見た。彼の眉が心配げにひそめられている。
「大丈夫か」
衝動的に結は達に飛びつきたくなったが、それをぐっと押しとどめた。
「――答えは出ている。わたしは人のままでいたいのよ」
「本当にそれがおまえの本心か?」
一瞬つまり、結はうなずいた。
達がさらに眉根を寄せる。
「さあ、巫女様がお待ちかねだ」
ふたりの会話に神輿の一行が割って入った。もう洞窟に入る刻限だった。
結は小さくうなずいて前に出る。その手をすばやく達が取った。
「結。本当に結が龍になりたいのなら、その方がおまえらしいのなら、選べばいい」
「達……」
「それでもいいんだ。おれの思いは変わらない」
ぎゅっと手に力を込め、そして達はゆっくりと手を離した。
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