2 秋祭
秋祭とは、一年の収穫を神に感謝し、翌年の五穀豊穣を祈願する祭である。
村々にとって信仰する神は様々だが、
結と
この神輿を村の数十人の
「龍神さまは、金の鱗だったわ」
立派な神輿を見やり結がぽつりと呟くと、達はふと笑った。
「そうか」
結は達になだめすかされ、村に帰ってきた。恐怖は心のなかにわだかまっている。けれど“華姫”の務めを果たさなければ、龍神の罰がくだると思うと、もうどうすることもできなかった。
広場には男衆の太い笑い声が響いている。忙しなく女たちは走り回り、煮炊きや祭の準備に余念がない。それを見るともなしに見て歩くと、一軒の家から走り出てくる中年女の姿が見えた。
「ふたりとも何をしていたんだ! 祭に間に合わないじゃないか。早く来なさい!」
結の母だった。物凄い剣幕で近づいてくるものだから、ついつい後ずさりしてしまう。
「こっちもこわいのがいたな」。達が囁くので、結の気分がいくぶんか紛れた。
「まったく、“姫”は大切なお勤めなんだよ。落ち着きのないおまえに本当に務まるのか」
小言を言いながら、母
これでよし、と加耶は満足げに息をついた。
「おまえは人の目をまっすぐに見つめる癖がある。今日くらい伏し目にして、大人しくしておくれね。そうすれば立派な姫に見えるだろうから」
結はしぶしぶうなずいた。
“姫”とは、龍神の花嫁のことである。祭の儀式のひとつで、見目の良い村娘をひとり姫に選び、龍神に捧げ加護を乞うのだ。とはいえ本当に人身御供にするわけではない。実際の姫のお勤めは、「龍の巣穴」に一晩こもり祈りを捧げるだけで、あくまで形式的なものだった。
結はやにわに心が重くなった。
またふたたび龍神が現れたその時には、いったいどうすれば良いだろう。もし断ったときにはどうなってしまうのか。食われるだろうか、村に災いが降りかかるだろうか。
悪い神ではないはずだが、何が起こるかなんて誰もわからないのだ。
「暗い顔だね」
加耶が不思議そうに見やる。結は唇を湿し、顔をあげた。
「華姫なんて、やりたくない……」
「何を言っているんだ。緊張しているのかい?」
「そうじゃなくて」
「だめだよ。巫女さまが占をして、村の皆がおまえを選んだんだ。年頃の娘のなかでおまえがもっとも適任だと思われたんだよ。名誉なことじゃないか」
「でも」
「あたしは本当に鼻が高いよ。この家から、姫と近侍が出るんだから」
近侍とは姫の側近くに仕える従者のことで、その役を今年は達が務めることになっていた。
加耶はふくよかに笑んだ。
「おまえは少し変わったところがある。人やものへの執着が薄くて、ひとりでいつも遠くを見つめていた。大切に愛情を注いでも、まるで水のように、両の手からするすると流れ出てしまいそうだった。だから達を見つけてきたときには何だか安心した。おまえは人への興味を失っていないと思えてね」
結の瞳が揺れる。
「達がそばにいるようになって、おまえはよく笑うようになった。村娘たちにはうまく馴染めなかったけれど、達とは水が合うんだね」
愛おしげに、加耶が結の髪を梳く。
「おまえたちは血こそ繋がっていないが、血を分けた兄妹よりも仲が良い。前世から一緒にいたように見えるくらい。どういうわけか、今日この日もふたりして式に臨むんだから。不思議なものだ」
「かあさん……」
「――達は
優しい瞳で見つめられ、結は何も言えなかった。
ふと窓の外から村娘たちの歓声が聞こえ、同時に戸口が叩かれた。
「達です。入っても良いですか」
その静かな声に加耶が笑み、声をあげる。
「ああ。達、おいで。今ちょうど結の支度も終えたところだ」
結はどきりとしてがらり戸を見た。
返事に合わせ入ってきた男は、結の見知った人ではなかった。
流線模様が施された白の水干に藤紫の
長身で姿勢の良い立ち姿、そして整った顔立ちの達に、衣装は驚くほどよく似合っていたのだ。
達は戸外で騒ぐ娘たちをうるさそうに見やり、すぐに戸を閉めた。顔をあげ結に目を留めると、まぶしそうに目を細める。
結はなんだか恥ずかしくなって目を逸らした。
「――よく似合っている。まるでどこかのお貴族様のようだ。達はもしかして、やんごとなき所の落とし子なんじゃないか」
「なんだそれは」
加耶の言い分に、達は気恥ずかしそうに苦笑する。そしてまっすぐにこちらを見た。
「結、きれいだ」
みるみるうちに頬に血が集まり、結は慌てて俯いた。隣で加耶が笑いを零す。
「じゃあ姫様、行きましょうか」
達が近くまで来てすいと手を取るので、結は焦った。
「達」
「恥ずかしがってばかりじゃ、外に出るまでに日が暮れるだろ」
「……そんなことしたらまた
「別にいいだろう。言わせておけばいい」
達は楽しそうに笑うばかりで手を離してくれない。やきもきする結を引っ張り出し家を出る。
村娘たちの悲鳴と歓声が茜空に響いた。
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