第40話 魂の記憶は誰のもの?

 記憶は、バラバラに、次々と押し寄せてきた。

 

 

 

 師匠に記憶が封印されたことも、鮮明に思い出した。師匠は、リデルと魔獣をひとりで討伐に来たのだ。

 

 魔獣はリデルの婚約者の成れの果てだった。リデルは、魔獣に繋がれ命じられて従う、そんな設定を自ら造り出し、淫猥と命を弄んだ。婚約者を独り占めするために。

 彼を魔獣にしてしまったのはリデルだ。

 

 師匠に諭され、リデルは魔獣を解放した。解放の礼に、魔獣はリデルの時を巻き戻す……。そして、師匠が記憶を封印した。

 師匠は、小さい子供のリデルを養女にした。

 

 強い強い、一生効いているはずだった師匠の封印。

 封印を失い、リデルは魂に刻まれた記憶に翻弄され、恐慌していた。泣き叫び、慟哭どうこくが止まらない。

 

 

 

「落ちつけ、リデル」

 

 遠くから、レヴィンの声がする。

 いや、極間近での声だ。

 

 恐慌し慟哭し続けるリデルを、抱きしめている?

 

 雷の衝撃に震える身体の振動が、抱きしめの腕から伝わってきた。

 レヴィンはずっと抱きしめてくれている。呪いによる雷魔法の苦痛などものともしない、かのように。ずっと抱きしめてくれている。

 

「ゎぁ、ゎぁ、ゎ、ゎたしぃ……なんてことを!」

 

 何より、レヴィンから離れねば。腕から逃れようと、リデルはくが、ビクともしない。

 レヴィンと別れなくては。でも、終身雇用になってしまった。離れることなんて不可能だ。あの契約書は手強い。

 魔道師が関わって作ってる。強烈な契約魔法。

 

「落ちつけ、リデル!」

 

 冷静なレヴィンの声。

 

 どういうこと?

 自分の記憶なの? 封印が解けて現れた記憶? わたし? わたしの所業なの?

 さまざまな思いが入り乱れ、行きつ戻りつゴチャゴチャだ。

 

「レヴィン……さま? 視たんですよねぇぇぇ? わたし、なのですかぁ? わたし、こんなに人を殺して、それに、ああぁぁ、言葉にするにも酷すぎる……」

 

「落ちつけ、リデル! お前、ホントに、ちゃんと全部見たのか?」

 

 何度目か、落ちつくように諭された。

 レヴィンは、あんな酷い映像を視たはずなのに、いつもと変わらない。苦痛が酷いだろうに、抱きしめてくれている。

 

 リデルは泣きじゃくり、混乱していた。

 呪いの苦痛で身体を震わせながらも平然とした表情を保つレヴィンへと、リデルはしがみつく。

 

「わたし、わたしじゃないけど、わたし、たくさん人を殺しました……ああ、どうしましょうぅ」

 

 レヴィンは笑う。

 

「落ち着け。それは、お前かもしれないが、お前じゃないだろう?」

 

 確かに、身体も記憶も、巻き戻された。あの淫猥なリデルは、どこにも存在していない。だが、あの場所で起こった事実は残る。

 

「わたし……ですぅ……」

 

 抱きしめ続けるレヴィンは、少し苦しげに呻きながらリデルの頭を撫でた。

 

「心配しなくていい」

 

 レヴィンは、恐慌しているリデルをずっと抱きしめてくれている。雷魔法が続く苦痛のなか、衝撃に身体はびくびく震えているのに、抱きしめ続けていた。

 震える感覚が、伝わってくる。

 

 その振動が、リデルを正気に戻して行った。

 

「ああ、レヴィンさま! 腕、離して! わたしぃ落ちつきますからぁぁ。雷で死んじゃいますぅぅ」

 

 ようやくレヴィンの状況が、意識へと入り込んできている。リデルは慌ててレヴィンから離れようといた。

 

「あれは、お前じゃない! 前世みたいなもんだろう?」

 

 言い聞かせるように囁きながら、レヴィンは抱きしめの腕を解いた。だが、苦痛だろうに、今度はリデルの肩を掴みながら顔を覗き込んで笑みを向ける。ビクビクっと身体を震わせた後、ようやく完全に身体を離した。

 ふうう、と、身体を震わせながらレヴィンは、深呼吸している。必死で、耐え切ったようだ。

 やせ我慢にも程がある。

 

「ぅぅ、でも、レヴィンさまを、魔獣にしてしまうかも……」

 

 リデルは自らの盲目的な溺愛から発した魔法が、当時の婚約者であった青年を魔獣に変えてしまったことを知った。レヴィンも同じような目に遭わせてしまうかと思うと、恐怖心で一杯だ。

 

「オレは大丈夫だ。忌々しい契約書で領主権限がある」

 

 雇用者の魔法で痛手を被ることはないぞ、と、言葉を足す。

 

「ホントに? あ、あ、あ、でも、わたし、なんて罪深い……」

「気にするな。過去なんて。しかも、それ、お前自身じゃないじゃないか。夢をみたのと、かわんねぇぞ?」

 

 動揺し続けるリデルへと。さらっとレヴィンは言い切った。

 

「はぅ?」

 

 レヴィンの言葉にリデルは首を傾げる。

 

「お前は、巻き戻された、刻を、身体を、記憶を。今見た記憶は、お前の魂の記憶かもしれねぇが、お前の記憶じゃねぇぞ!」

「ひゃ、そそそそ、そんな、ほんとうに?」

 

 確かに、今のリデルの所業ではない。とはいえ、自分でないとも言い切れない。

 

「前世での行いだ。お前に責任なんかねぇよ! いや、たとえ、お前の過去だったにしても、過ぎ去ったことだ。今のお前とは無関係だ」

 

 レヴィンは断言する。

 

「だだだだだけどぉ! わたし、たくさん人をあやめましたし、ああぁぁぁ! たくさんの淫猥を?」

 

 リデルは反芻はんすうするように脳裡を廻る、自分であって自分でないものの映像に混乱している。

 困惑し、また狂乱へと堕ちて行きそうだ。

 

「じゃあ、訊くけどな? お前、今の身体は、男を知らねぇだろう?」

 

 レヴィンはリデルの間近に迫り、顔を覗き込みながら訊いた。

 何故か確信をもった口調。

 リデルは、自分の記憶をまさぐる。

 

「レヴィンさまの手……それ以外、知らないですねぇ、そういえば」

 

 どう考えても、自分の記憶のなかでは、レヴィンの手以外の男は知らない。

 

「なら、記憶の誰かは、お前じゃない。オレを信じろ」

「ぁぁぁぁぁ……確かに……」

「過去のことなんて、どうだって良いだろう?」

 

 レヴィンは言い含めるように告げて笑みを向ける。

 

「は、はうぅ、そうなんですかぁ?」

「そうだ。オレはリデルを愛してる。それ以外、どうでもいい」

「はぁぅ、でも、衝撃が強すぎなんですよぉぉぉ!」

 

 あんな映像が、魂の記憶として封印されていた。レヴィンも見てしまったろうが、リデルも見てしまった。

 

「誰かから物語を聞かされて、感情移入しただけだ。そう思え。何度でも言うが過去なんて、どうでもいい。今を生きよう、一緒に!」

 

 レヴィンは、力説し続ける。レヴィンは自分に言い聞かせてるのかな? リデルはぼんやりと考えた。

 

「レヴィンさまに、ダダダ抱きついて泣きたいです!」

 

 泣きじゃくりながら、リデルは呟く。

 

「いいぜ?」

 

 極上の笑みで、レヴィンは腕を開いた。

 

「しませんけどぉ。呪いが解けるまでゎ」

 

 胸に飛び込みたい思いを、グッと堪える。レヴィンの呪いは、衝撃が強いのだ。

 

「バカだなぁ。今を大事にしろって言ったばかりだろう?」

 

 レヴィンは、再びギュッとリデルを抱きしめた。しばし耐え、絶叫しながら離れる。

 

「お前、良い師匠に育てられたな」

 

 呼吸を乱しながらレヴィンは微笑んだ。

 抱きしめ続けられなくてゴメンな、と、言葉が足される。

 

 正気に戻ったリデルは、抱きしめられた衝撃ですっかり涙が止まっていた。

 

 

 

 師匠は厳しくも優しく、さまざまな魔法を教えてくれている。

 罠を踏んで呪いを受け、リデルはポンコツ魔女になってしまったが、レヴィンと出逢って以来、使える魔法は戻ってきていた。

 

「さあ、忙しくなるぜ?」

 

 レヴィンは今までと少しも変わらず、いや、以前よりも笑顔が増えている。リデルを見詰めていることが増えた。

 

 魂の記憶の氾濫は徐々に収まり、今は静かだ。

 道を踏み外さないように、レヴィンを魔獣にさせることなど決してないように。

 リデルは、記憶は封印せずに宥めた。

 十年以上も前のできごと。

 

 もうひとりの、わたし。

 だけれど、リデルはもうひとりの自分が育ってきた過程を全く知らない。貴族だったらしいが、貴族だなんて縁遠い感じがしている。

 

「秋に向けて、張り切って魔法使いますよぉぉ!」

 

 約束された大収穫ではあるが、手抜きをしたら目減りする。

 大収穫の上にも大収穫、超大収穫を目指すのだ。

 

「無理はするなよ? 長期戦なんだからな?」

「はいぃぃ! 夏に備えなくてはなりません!」

 

 農作物によっては、そろそろ収獲可能なものもでてくる。

 テシエンの市場には、新鮮な野菜が並ぶだろう。繁栄の予感を感じ、テシエンの街へと商売に来る者たちも増えている。

 

 ミルワールの都では最も外れ。都境に接するレヴィンの領地は、精霊の助けも得て都外の近隣との繋がりが増えて行くのだろう。

 

 

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