その味を知りたいから
もじずり しのぶ
前編
私たちのような子供を買いにくる人間は、どこかしら共通点があるように見えた。キラキラしていて、丸くて、髭が生えている。私たちを一目見ては不気味に微笑み、その裏では商人と激しいやり取りを交わしていた。
だけど私たちを買ったその人は、それらの特徴に一つも当てはまらなかった。
「初めまして、私はサトリ。今日から君たちは、私の奴隷だからね」
私たちの目線に合わせてしゃがむことで、腰まで届こうかという長髪が地面に触れる。同室の子や商人たちとは違う真っ黒な瞳が、私を捉えて離さなかった。
それが、サトリとの出会い。
地下から出た私たちは太陽の眩しさにやられ、次に目を覚ました瞬間には彼女の家に辿り着いていた。町の外れ、森に隣接する丘の上。そんな辺鄙な立地である。
サトリは私たちに名前を付けた。何のためかと不思議に思っていたら、「愛着が湧くから」と補足される。
「じゃあ、あなたはラトリア」
私を指さし、サトリは微笑む。同室だった女の子はソニアと名付けられた。二人でお互いの名を呼び合ってみると、確かに一段深い関係に踏み入れた気がしなくもない。
しかし、じわじわと不思議な感覚に襲われる。奴隷に愛着が必要なのだろうか? 単に飼い主が変わっただけなのに、環境の変わりように戸惑いを覚えた。
私が世間を知らないだけかもしれないけど、その後の待遇も奴隷の身分としては破格のものだった。おこがましいかもだけど、こういうのを家族と呼ぶんじゃないかと思えてくる。
食事は充分に与えられ、何ならサトリよりもたくさん食べさせてもらった。教育も怠らず、生活の知恵から世情や教養までありとあらゆる事を教え聞かされた。時々サトリの方が飽きて、三人で遊びに行ったりしたけど。
そんな待遇の裏で、サトリは私たちにある変わった要求をしていた。
一日三回、二人一緒だったり別々だったり。私たちは彼女の寝室に呼び出される。
「すーっ……ん、んんっ!」
私は今、サトリの足の間に座っている。そして抱き着かれたまま、後頭部に顔を押し付けられていた。深呼吸は脳にも届かんばかりの勢いで、色々吸い取られているんじゃないかと錯覚する。
いや、実際に吸い取っているとのことだ。実感はないけど。
「ふぅ……ごちそうさま。ありがとね」
「ソニアは?」
「今はいいや。遊んでおいで」
部屋の外では、ソニアが縮こまって待っていた。その手を引いて、庭へと駆けだす。
サトリは、私たちの『感情』を食べている……みたい。そういう特殊な体質らしく、そこからしか得られない栄養があるだとか。ちなみに、食べた感情は筒抜けらしい。嫌すぎる。
そんなサトリとの生活だが、三か月も経つ頃には私たちも慣れが出てきて、自我を持ち出した。最近のソニアは園芸と料理に夢中。対して私は、外を駆け回ることの方が多かった。
「あなたたち、良い夫婦になりそうね」
「夫婦? 私たち、どっちも女の子だけど」
「そうね、じゃあ婦婦。発音は変わらないから問題ないわ」
サトリと一緒に狩りに出かけていた時のことだ。猟銃を構える私を、サトリはそうやって茶化してくる。
「サトリは、私に女の子らしくしてほしい?」
「全然。むしろ、頼もしくて嬉しいわ。私がいなくなっても、ちゃんと生き延びてくれそう」
それは単純に、寿命や不慮の事故などを想定しての物言いだったのかもしれない。だけどその口ぶりは、まるで私たちを置いてどこかに——。
「……悲しいこと言わないでよ」
私の反応がナイーブだったせいか、サトリは面食らったような顔をしている。ただそれも一瞬、普段の余裕溢れる表情で笑い掛けてくる。
「ごめん、さっきのは忘れて。死ぬまで一緒に暮らそうね」
「……ほんと?」
「ほんと。でもラトリアも、どこぞの男と結婚して家を出るとか許さないから」
「うん。つまり、ソニアと結婚すればいいんでしょ?」
「あははっ! よく分かってるじゃない!」
お互い冗談めいた口調だったけど、少なくとも私は悪くない未来だと思った。ソニアのことは好きだし、押しに弱いから簡単に了承してくれるだろうし。
何より、それでサトリが喜んでくれるのなら。手放したくないと思えるような環境を築けるのなら、結婚だって何だってできる。
「……不純だなぁ。まったく誰に似たんだか、可愛いやつめ」
呆れ口調ながらも、徐々に声色は丸く。昼の食事をここで取るようで、帽子の感触が消える。頭皮をくすぐる吐息はしっとりと熱く、気温も相まってか体温の高まりを感じていた。
まだ日は高いものの、収穫が多いからか帰宅となった。ソニアにどう調理してもらおうかと、今晩の食卓に並ぶであろう山鳥を想いながら門をくぐる。
その瞬間、家の中から知らない人の声が聴こえてきた。ソニアの名を叫びそうになるのをぐっとこらえ、猟銃に手を掛ける。
しかしサトリは、銃をひょいと取り上げた。そのまま何の躊躇いもなしに、家に上がり込む。
「ごめんなさい。少し遅れたかしら?」
サトリに隠れるようにして、リビングを覗き込む。そこではソニアと談笑する女性の姿があった。サトリに気付くや否や、慌てた様子で手をわたわたさせる。
「全然、時間通りです! 今日は、そのっ——」
「あっ、ちょっと水浴びしてきていい? 先に寝室行ってて?」
なんだ客人か、と一安心する。
サトリは時々、大人を家に連れ込むことがあった。理由はお金稼ぎのためと、食事のため。性行為の前では人は獣同然なため、都合が良いのだとか。
本日の相手は、見るからに育ちの良いお嬢様だった。部屋に案内すると、初々しげに頬を赤らめている。
そんな一見デリケートな場面を、私たちはたびたび目撃させられていた。更に言うと、案内した後は寝室の前で待機させられている。給仕するわけでもなく、ただひたすら漏れ出る声を聞かされている。
「ね、ねえラトリアちゃん……」
ソニアは先のお嬢様と同じくらい、顔を真っ赤にさせていた。私も人のことは言えないけども。ソニアは気を紛らわすかのように、つんのめりそうになりながら言葉を紡ぐ。
「いつも思ってたんだけどねっ? その……夜になるとどこ家もこうなのかなっ?」
「えっ、ど、どうなんだろ。流石に近所迷惑だろうし……女の人同士だから、ああなのかもだし……」
「た、確かに! 男女で……せ、生殖目的ならうるさくならないのかなっ?」
変な空気を埋めようとする会話は、むしろ穴を掘り進めている気がした。誤魔化すように声量を上げる私たちを、サトリが注意しにくる。
「だめよ、静かにしてなくちゃ」
サトリの人差し指が、私たちの上唇を押さえた。
「驚かないでね。ちょっとの間、喋れなくするだけだから」
喋れなくする? 彼女の言葉に疑問を浮かべた瞬間だった。
「……?」
「……! ……?」
顔を見合わせ、目を丸くする。神経の回路が切られたみたいに、声が発せなくなっていた。ソニアと読んでいた絵本に出てくる、『魔法』が思い浮かぶ。感情を食べるって時点でおかしいとは思ったけど、より彼女が超常的な存在に見えてくる。
不安を顕わにする私たちに、サトリは微笑み掛ける。その雰囲気から、どうもおしおきが目的ではなさそうだと気付いた。
「終わったら部屋に呼ぶからね。あっ、やっぱ別室にしよっかな」
ペロリと舌なめずりして、サトリは部屋に戻っていく。扉を開けている間、彼女の後ろからは荒い吐息が垂れ流され続けていた。
もう雑談で誤魔化すこともできない。一層激しくなった嬌声を、私たちは悶々とした気持ちで受け止めていた。
「……」
「……!」
助けを求める視線に答えようとするも、恥ずかしくて目を逸らしてしまう。聴覚が研ぎ澄まされる。これは……隣の、ソニアの吐息か。顔が見えないせいか、距離感が掴めない。気になって横目で覗けば、タイミング悪く視線がかち合ってしまう。ソニアの頬が、また一層紅く染まる。
サトリ曰く、あの時の私たちは格別な味だったらしい。
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