還り道

武 頼庵(藤谷 K介)

還り道

※前書き

 この物語はジャンル的にホラーとなっていますが、『そういう類の物』は出てきません




 大事な事や大切な事、それは時間と共に忘れてしまうモノなのかもしれない……。

 いや、本当は覚えているのかもしれないが、だけなのかもしれない――。


 そんな事を考えている俺は未だ20歳半ばを過ぎたばかりのはずなのだが、会社の同僚や近所で仲良くしてくれている主婦の方々からは、30歳の後半に間違えられるほど老け込んでみられる。


 小さい頃からそうだった。いつも年相応にみられる事は無かった。それは決まって本当の年齢よりもずっと年上だと思われていたことからも分かる。


 気怠い体を無理やりに起こしつつ、窓の外で雀がペアで仲良く歌い踊る様子をつつ、重い脚を引きずる様に洗面台へと進み、ようやく顔を洗う。

 その時に見えた鏡に映る自分の顔。

 

――そりゃ言われるのもあながち間違いじゃないな……。

 自分の顔を見ながらフッと笑ってしまう。

 そしてこれが社会人3年目になった御藤杏輔ごとうきょうすけこと俺の、毎朝のルーティーンである。



 社会に出れば色々なしがらみに縛られて生きていく事になる。学生時代は自分が中心で考えて行動していても、仕事を始めればそうはいかない。

 会社で働く同僚や、上司などとの絡みもあるし、住んでいる場所によってはその地域のルールが存在する。


 自慢にならないかもしれないが、自分はその柵を上手く乗りこなして生きて来たと思っている。ただし、見る人からすればそれが八方美人に映る事が有るとは自覚している。

 朝は早くから起きて、毎日同じ人たちと顔を合わせつつ出勤し、汗かきながら仕事をする。そして終電に間に合うように会社を出るのだが、初めは慣れない習慣で体を壊す。

 耐えられないモノから辞めていくのだが、そこは少しだけ世渡り上手な所を利用して、何とか生き残っていた。


「おい御藤」

「ん?」

 いつものように机に向かいながらパソコンを打っていると、同僚で同期入社の菅沼すがぬまに声を掛けられ、そちらの方を向く。

「大丈夫か?」

「は? 何がだ?」

「何がだって……」

 いつもと変わらぬ作業をしているのだから、心配されるような事は無いし、この仕事も既に3年目なのだ。慣れていないという事もない。

「気付いてないのか?」

「だから何が――」

「お前……今日は朝から凄い汗かいてるぞ」

「は?」

 そう言われて初めて気が付いた。


――あれ? そういえば……やけにワイシャツが張り付くような感覚があると思ったけど……。


「それにお前……顔色悪いぞ……」

「顔色……?」

「あぁ……。熱がありそうで赤いとかじゃなくて、なんというか……青白いような感じだ」

「いや……特にそんな感じは――」

 俺がそう反論しようとして、菅沼は課長を呼ぶと俺の様子を報告。課長も俺の様子を見るとぎょっ!! とした表情をして慌てて俺に帰る様にと促してきた。


――なんだ? 今までこんなこと無かったのに……。

 いつもの事だと思っていた日常なのに、いつもとは違う反応をされて困惑する。


 因みに俺が勤めている会社は所謂ブラックというわけではない。ちゃんと休みはあるし。定時になれば帰っていい。ただし自分の仕事や内容によっては残業していく人もいるので、基本的にはその人に任せているような感じだ。


「御藤、今直ぐ帰りなさい。そしてしっかり休め!!」

「は、はい……」

 同僚や上司に促されて、それまでしていた仕事を引き継ぎ、俺はゆったりとした足取りで会社を出た。


――なんだろう? 今日はやけに皆優しいな……。

 そう思いつつ、出社してきた道をとぼとぼと歩いていく。


――帰ってもどうせ一人きりなんだ……。途中で何か買って行かなきゃな……。

 自宅のある最寄り駅について、構内から外へと出ると、照らされた光にウッと目をしかめる。

 大きなため息を一つつき、自宅と駅との中間にあるスーパーへと向かう。



「あら? 杏輔じゃない!? どうしたの?」

「あぁ……明奈あきなか……」

 店の中に入り、今の自分に必要だと思われるものを買い物かごの中へと突っ込んでいると、聞き慣れた声が背中越しに聞こえて来た。振り向いて声の主を確認してそんな声が漏れる。


「なんだは無いでしょう~!? 幼馴染の明奈だよ!!」

「それは……見ればわかるよ……」

 明奈が言った通り、俺達は幼稚園に上がった頃から高校までの幼馴染である。そして彼女はこのスーパーで働いている店員さんでもあるのだ。

 その胸についている名札を見て、明奈に聞こえない様にため息をついた。


『成田明菜』

 俺が知っている明奈は、『早川明菜』。つまり俺と会わずにいた大学時代に彼女は誰かと結婚したのだろう。初めて気が付いた時は凄い驚きとショックを隠せなかった。

 まぁそれは俺が小さい頃から明奈の事が好きだったという事も有るのだけど……。


「ねぇちょっと!! 聞いてる?」

「え? あ、あぁ悪い……。どうした?」

 少しばかり思い出に浸っていたら、心配した明奈が俺の顔を覗き込んでいた。


「どうしたって……杏輔すごく顔色悪いわよ? 大丈夫なの?」

「そうだな……俺的には大丈夫だと思っているんだけど、会社の人にも言われたよ。だから今日は帰されたんだ……」

「そっか……みんな心配してるんだよ。しっかり帰らなくちゃね……」

「そうだな……。帰っても……まぁいいか。買い物したらすぐに帰るよ」

「うん!!」

 元気に返事した明奈だけど、その顔は今にも泣き出しそうな表情をしていた。


――どうしたんだ? 俺の心配をしてる? まぁ幼馴染だからそういう事もあるか……。

 特に気に留める事もなく、俺は買い物かごを持ってレジへと移動し、そのまま会計を済ませると一人スーパーを後にした。


「杏輔!!」

「ん?」

 店を出てすぐに名前を呼ばれて振り返る。


「待ってるからね!! ずっと!!」

「う、うん?」

「ちゃんと帰って来るんだよ!!」

「お、おう!!」

 何のことを言われているか分からずに、俺は戸惑いながらも手をぶんぶんと振る明奈に、自分も手を振り返した。





いつもはスーパーからそんなに時間がかからないはずの帰り道。どんどん足取りは重くなり、引きずるような感じで歩いているのもやっとな状況になって初めて気が付く。


――あれ? 本当に俺の体調が悪いのか?


 そのまま時間をかけて歩いていると、前から二人こちらの方へと向かってくる人影が見えた。


「あれ?」

「お~う!! 杏輔!!」

「叔父さんと……おば――」

「誰がおばさんよ!!」

「あはは……」

 いつもの調子で返してくる俺の叔父さん夫婦。


「どうしたの?」

「ん? まずは久しぶりだな杏輔」

「うん。久しぶり。確か……父さんのお葬式以来だから……」

「あぁ……5年ぶり……かな?」

 すっと遠くを見つめながら叔父さんは言う。


 俺が今住んでいる家は、5年前に父さんが癌で亡くなってからずっと一人で住んでいる。母さんは俺が小さい頃に病気で亡くなってしまっているので、実質俺を育ててくれていたのは父方の祖父と祖母なのだ。しかしその二人もまた7年前に病気で相次いで亡くなってしまい、父さんと残された俺とで住んでいた。

 父さんが亡くなったのは急な事で、病気だったことを俺にはずっと隠していた。大学へと通っていた俺は亡くなる寸前になってようやく病院で父さんの姿を見て、父さんが悪くなるまで頑張っていたことを知った。

 残される俺には言えなかったと亡くなる前に言ってくれたことが、今でも忘れられない。


 一人になって何をしたらいいのか分からなくなった時に、父さんの代わりに俺の事を気にかけてくれたのが叔父さん夫婦だった。

 落ち込んでしまった俺を励まし、葬式の手配や相続の事などをしっかりと手伝ってくれた。

 父さんの遺言と共に、保険の事に関しても生前から父さんに頼まれていたらしく、父さんや叔父さんの思い出のある家をそのまま俺へと名義を変えてくれたりと、何もできない若造の俺に良くしてくれたのを忘れない。


 一度家の相続に関して聞いたことが有るが――。

「バカ言うな!! この家を護れるのは杏輔しかいないだろ? 俺達の事? 気にするな!! 既に俺たちは家があるし家族もいるんだからな!!」

 ガハハと大きな声で笑いながら、俺の頭をわしゃわしゃと撫でまわす。その大きくてあたたかな手の温もりに父さんの影を見たような気がする。



「どうしたの急に?」

「ん? いや杏輔が帰ってこないもんだから心配になってな……」


――ん? 俺が帰らないから? なるほど!!


「会社のやつから叔父さんに電話行っちゃったのかな?」

「そんなところだ……」

「…………」

 俺の質問に大きく頷きながら答える叔父さんと、俺の方をジッと見つめるおばさん。


「大丈夫か?」

「え? うん大丈夫だよ」

「そうか……早く帰れよ……」

「うん? ウチに用事があったんじゃないの?」

「家にってわけじゃない。杏輔に用事があってきたんだ」

「俺に?」

「そうよ? みんな心配してるんだからね? しっかり帰らなきゃだめよ?」

 叔父さんもおばさんも俺の事をじっと見つめながら静かにうなずく。



「直ぐに家だし。大丈夫だよ!!」

「そうか……」

「気を付けてね……」

 俺が家へと向かおうと歩き出すが、二人はそこから動こうとしない。


「あれ? いっしょに行くんじゃないの?」

「いや。俺たちはここまでだ……」

「え?」

「待ってるからね杏輔君」

 そう言うと俺に手を振る二人。


 意味が分からないけど、とりあえず荷物はあるし、体調が良くなっていないので家へと向かう事にした。



「ただいまぁ……」

――なんてな。誰もいないけど……。

 家に着いて鍵を開け、玄関へと入りその場で腰を下ろす。


「おかえり!! 杏輔!!」

「え?」

 またしても背中越しに聞こえてくる声。



 そして俺は記憶が途切れた――。





「――け!! き――け!! 目をあ――!! 杏輔!!」

「う、うるさいなぁ……」

 しっかりと声を出したつもりが、かっさかさの声が出て自分で驚く。


「杏輔!!」

「杏輔君!!」

「良かったわ!!」


「は?」


 静かに目を開けると俺を覗き込んでいる人達の顔がぼんやりと見えてくる。


「え?」


「看護師さん!! 杏輔が目を覚ましました!!」

「良かったぁ杏輔ぇ……」

 俺の顔に泣きはらした目をしたまま、ぐちゃぐちゃになった顔を押しつけてくる明奈。俺の事を静かに見つめるおばさんと、どこかへ向けて大きな声を出す叔父さん。


――どういうことだ?

 俺は今だカオスな状況になっている状況に困惑するのだった。






「――と、いうわけで、今病院に居るのよ」

 右手の人差し指を上に向けて、何故か自慢するかのように状況を説明してくれる明奈。


 俺は通勤途中に、居眠り運転しながら突っ込んで来たトラックに刎ねられてしまったらしい。ただ轢かれてしまったわけではなく、目の前で横断歩道を渡っている小学生をかばって、その子を突き飛ばし、自分だけがトラックに刎ねられブロック塀へと衝突、その後から意識のないまま病院へと運ばれた。


 外傷もとてもひどく、内臓もけっこうな損傷をしている為、助からないかもしれないと病院からは説明されていたという。


 それから既に半年。俺は意識のないままだったのだけど、俺の誕生日を迎えるからと皆がお祝いをしに病室へと来たところ、俺が少しだけ手を動かした。

 それからは皆で声を掛けたり、体をさすったり握ったりといろいろして、気のせいだったのかと諦めたとき、明奈が俺へと抱き着きつつ声を上げた。


 それに俺が反応したのがあの瞬間だったのだ。


 しばらくは検査をしたり、リハビリをしたりと忙しい日々を送っていたが、そんな俺にずっと明奈が付き添ってくれた。


「あなたが還って来るのをずっと待ってた!! 信じてたんだから!!」

 そう泣きながら俺に抱き着く明奈をそっと抱きしめ返した。

 その時に明奈が結婚しているわけではなく、両親が離婚して名字が変わった事を知る。さすがに旦那さんがいる女性を抱きしめたとあっては申し訳が無いと思って確認したのだ。


「確認しなさいよ!!」

 プンスカと頬を膨らませながら起こる明奈を、何とか宥めて許してもらうまで時間がかかったのは良い想い出だ。


 この時を境にして、俺は明奈とお付き合いをはじめ、その1年後に結婚する事となる。





 今も自宅で二人過ごしている時に、その時の話が出る事が有る。


 俺が歩いたあの帰り道。

 その中で出て来た人達。

 そして幼馴染の明奈も。

 もしかしたらもっと出て来ていたのかもしれない。俺自身が覚えていないだけで……。


 あれは俺の事を心配する人たちが見せてくれた、生ある世界への『還り道』だったんじゃないか……。



 二人肩を寄せ合い、静かにそんな事を語りあう。

  この先も僕ら二人は寄り添い、支え合いながら暮らしていくだろう。家族が増えてもずっと……。



 心の中で、助けてくれた人たち皆に感謝を込めながら。


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