第2話 焼却の呪い
野次馬でごった返す事件現場に、青柳の運転する覆面パトカーがけたたましくクラクションを鳴らし、その鼻面を突っ込んだ。バンパーで尻を小突かれた野次馬のひとりが文句を言ったが、車を降りた青柳の体躯を見ると、口の形をそのままにそそくさと逃げていった。
「なあ宮本」
青柳はポンと真夏の肩を叩いた。
「ヤー公と仲良くするのは大切なことだが……いや、実際、お前はうまくやってるよ」
「──ありがとうございます」
真夏にマル暴としてのイロハを叩き込んだのは、青柳だった。
やくざという生き物の生態、警察との力関係、汚い金の行方──。
真夏は過去に全く同じことを露子から教わったが、青柳のそれとは全く違う倫理で捉えられていた。
その違いは、真夏にとって興味深いことだった。
「しかしな、うまくやりすぎだ」
「やりすぎてますか」
「今に、何でも奴らの都合のいいように動かされちまう……」
青柳は真夏の胸元を指で突いて、念を押すように言った。
「本分を忘れるな」
「──はい、わかりました」
真夏は無表情を装い、頷いた。
青柳は、真夏が道端露子──ひいてはヤカタ会と、なあなあであることを知らない。彼女は組織暴力と真っ向から対立する気概のある刑事で、捉えようによっては、真夏の敵ともいえる存在だが、真夏は青柳を非常に尊敬しており、実際、彼女の言葉を深く胸に刻みさえした。
「どれ……」
青柳は警官と二、三、言葉を交わすと、バリケードテープをくぐった。人混みをかき分け、真夏もあとに続く。
遺体は検死に回されたあとで、アスファルトの上にテープが貼られていた。
「微かに焦げ跡があるな」
言ってから、青柳はクンと鼻を鳴らした。彼女が指し示すまで、真夏は焦げ跡を見つけられなかった。
「ここだ」
「は……なるほど」
「ガイシャは相手のカースで焼死したと見られるそうだが。それにしちゃ焦げ跡がすくないな。灰や焦げカスも、ほとんど飛んでいったようだ」
「炎を操る能力で、まして人ひとりを殺すとなると、普通、もっと……なんていうんですか、壮絶というか」
「そうだな。ほんの一部にしか跡がついてないように見える」
青柳はちょうど通りがかった警官を捕まえると、被害者の様子について根掘り葉掘り尋ねはじめた。
「魔力の痕跡は道路に残ってないのか」
「ええ、見たままですよ。どういう魔法を使ったんだか。ホトケはそのまま骨壷に入れちゃえるくらいカンカンに焼かれてるってのに……」
「──遺体の写真は見られるかい?」
警官はちょっとためらう様子を見せたが、すぐに仕事の顔に戻った。
「こちらです」
二人は、差し出された大判写真を覗き込むと、訝しげに顔を見合わせた。
遺体はほとんどが灰になっており、辛うじて焼け残ったわずかな衣服が、壊れた傘のように骨に引っかかっている有様で、歯型を用いてやっと個人の照合ができたという。
「これだけの魔法を使えば、通常あちこちに痕跡が残るはずですよね」
真夏の言葉に、警官は頷いた。
「そうでしょうね。魔力の痕跡もそうですし、それに、もっと焦げ跡も派手に残るでしょう」
「どっかで焼いたのを道路に捨てたんじゃないのか?」
「考えなければならない可能性のひとつですが、遺体の損傷の仕方を見るに──」
「ああ、そうだな。遺体から魔力の反応は?」
青柳は警官の言葉を途中で遮った。もとより反論を期待しての質問だった。
警官は口元を撫でると、仕切り直して答えた。
「はっきりと魔力の反応が見られました。数値については詳しく聞いていませんが、かなりの使い手であることが予想されるようです」
「遺体はまだ検証中?」
「はっ、そのようです」
「一応、聞きたいんだけど……」と、青柳は警官の耳に口を寄せた。
ボソボソと二、三言聞くと、警官は苦笑交じりに首をひねった。
「いやー、さすがに難しいでしょう」
「だから、とりあえずで聞いてみたんだよ。無理ならいいさ」
「お力になれず申し訳ありません」
「こちらこそすまない。ご苦労さま」
「いえ。ところで、刑事はガイシャに恨みを持つ人物に心当たりはありませんか?」
「──やくざだからね」と青柳は事もなげに言った。「いくらでもいるよ」
「は……失礼しました」
「いや、どうもありがとう。もうすこし現場を見ていくよ」
「承知しました。また何かあったら、声をかけてください」
警官は丁寧に礼をして、仕事へ戻っていった。
「さっき、何を聞いたんですか?」と真夏は青柳に尋ねた。
「あー」と返事のあと。「遺体の一部を借りられないか、って」
「そりゃあ、まあ……難しいですよね。検死が終わってないなら」
「だから、オレもそれはわかってる」
青柳は苛立たしげに、真夏の肩を軽く殴った。
「すみません」
「さて、そうなれば、だ」青柳は声を潜め、真夏の肩に手を回した。「魔力の痕跡のあるブツを探すぞ」
「しかし、聞き込みとか、現場検証は──」
「他の奴らに任せとけばいいんだよ。いいか、魔力の痕跡がなるべく濃いやつだ。それで、手のひらに収まればなおよし」
「は……了解しました」
「見つかったらオレのとこ持って来い。警官には渡すな」
「なぜです──」
「オレは先輩だろう。先輩の言うことには従うもんだ」
「でも、ヤカタ会の今の担当は私ですよ」
「生意気言いやがって」
そう言ってケタケタ笑い合った。
青柳は独自の捜査ルートを持っており、魔力の残る証拠品はそのために必要なのだろう。それが非公式なものだとしても、より早く犯人に近づくことができるなら──真夏はアスファルトへ目を走らせた。
真夏は遺体のあった箇所を中心に、ぐるりと歩き回ってみた。唯一の手かがりらしい手がかりは、微かに残る焦げ跡だが、これはすでに十分調べたあとだろう。
〝魔女の台所〟の通りはどこへ入っても狭い。煤けた住宅がぎゅうぎゅうと軒を並べ、ただでさえ狭い往来に、バラックの露店が我が物顔で連なっている。
被害者を焼死せしめた魔法は苛烈だが、往来に残された痕跡はごくわずかだった。
ふと、真夏は自分の靴底に、鋲のような物がくっついていることに気がついた。しゃがんで、手にとって見ると、煤で汚れた金属だった。それが何か悟るよりも先に、直感が彼女の心臓を蹴り上げた。
「──青柳さん」
真夏はさり気なく青柳のそばへ行き、横腹を肘で小突いた。
「何だ、どうした」
「銃弾です」
「──そうか」
青柳は努めて冷静に頷くと、真夏に車へ戻るよう指示した。
「撃ったのは被害者ですかね?」
「魔法少女なら銃で撃たれた程度じゃなかなか死ぬまいが……」
魔力で身体能力を強化した魔法少女にとって、小口径の拳銃は大した脅威ではない。そのことは、暴力を生業とする者ならわかっていたはずだ。まして、被害者は同じ魔法少女の素質を持つ者だったのだから。
「見てください。この弾丸、頭のほう潰れてますよ」
真夏は弾丸を手渡した。9ミリパラか、と青柳はつぶやいた。
「こりゃ、潰れているんじゃなく溶かされてるぞ」
「──飛んでくる弾丸を、その……炎で弾いたってことですか?」
「だとすれば、すごい力だな」
青柳は弾丸をまじまじと観察し、鼻に近づけにおいを嗅いだ。
「わずかだが、魔力の痕跡が残っている」
「分析してもらいますか?」
「へっ。どうせ大した情報は得られねえよ」
青柳はハンドルに顎を乗せた。
魔法少女の魔法の干渉を受けた物や場所には、魔力が残留する。強い魔法であるほど痕跡も色濃くなるが、それを分析にかけたとしても、せいぜい魔法を使った時刻を推測できる程度だった。
「ちょいと、こいつを占ってもらおうぜ」
青柳は弾丸をポケットにしまって、エンジンをかけた。
「占う、って? どういう意味ですか?」
「おまえ、犯人捕まえたいか?」
「そりゃまあ……」
「じゃ、すこしばかり目をつむっててくれよ」
車はボロボロの舗装の上を犬のように跳ね走り、〝台所〟の別の通りにその体を押し込んだ。
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