唯識の虚空

龍ヶ崎蓮斗

愛玩人形


───月明かりが綺麗な夜だ。

しんしんと舞い落ちる雪が、夜の闇に映える。

晴れているのに、雪が降る。そんな幻想的な風景の中、俺は一人、裸足で歩いていた。

人通りの無い道。人工的で病んだ光を点滅させる街灯と月明かりの鈍い輝きが照らす、薄暗い道。

そんな中に───


───ふわり、と。妖精は姿を見せた。


雪のように白く、月のように綺麗な髪。此方を見詰める青い眼は宝石みたいだ。俺よりも背が少し高いのに、顔立ちは幼い。

着ている白い和装が、闇の中でくっきりと輪郭を浮き彫りにし、一種の神々しさを醸し出している。


「ね、なんではだしなの?」


舌足らずな声。興味津々と言った顔で、そいつは話しかけてきた。


「・・・うるさい」


ぶっきらぼうに返す。当然だ、俺は彼女を知らないのだから、こんなに馴れ馴れしく話しかけてくる奴、警戒するに決まってる。


「・・・脚、痛そうだよ?」


そんな俺の精一杯の警戒を無視して、こいつは心配そうな表情を浮かべた。

ちらり、と足下を見やれば、確かに血が出ていて、今まで歩いていた道には赤い足跡が雪の上に残っていた。多分、硝子か何か踏んだのだろう。


今夜は酷く冷えるとはいえ、痛覚すら麻痺していたか。俺はどうでもよさそうにそう考えると、少女に背を向けて歩き出す。


「・・・大丈夫。慣れてるから」

「大丈夫じゃないよ!」


ガシっと、彼女は俺が羽織っていたジャンパーの袖を掴んで引き留める。

その力強さに思わずよろけそうになったが、なんとか堪えて苛立たし気に振り向く。


「私の家、すぐそこだから!ほら、行くよ!」

「お、おい!」


俺が文句を言う間もなく、彼女はとても同い年──かどうかは分からないが──とにかく、子供らしからぬ馬鹿力で俺の手を引いて、歩き出した。


「私は雪代ゆきしろ彩愛あやめ!君は?」

「・・・黒鉄くろがね一真かずま

「一真くん・・・じゃあ、カズくんだね!」

「いや、出会ってすぐにアダ名をつけんなよ」


───雪が月に寄り添う夜。俺は運命と出会った。


◇◇


暗雲が垂れ込めた空から雪が降り始めた。

まだ十月だというのに、雪が降るにはあと一ヶ月か二ヶ月は速い。

俺はフルフェイスのヘルメットの中で、小さく舌打ちをしながらバイクのエンジンを止めた。

黒いヘルメットを取り、ハンドルに掛ける。

跨がっていた愛車──CB400SFスーパーフォアから降りて、冷えた空気を吸い込んだ。

直ぐそこまで近付いて来た冬の気配を感じながら、背筋をブルリと震わせる。


「あーあ、最悪だ」


雪を吐き出し続ける雲空を睨み付けながら呟く。

今朝の天気予報では、確かに晴れだと言っていたのに、この仕打ちだ。

何十万もの歴史を積み上げた人類史でも自然を完璧に予測することは出来ないのか、と。この星の無常さを感じながらスーフォアに鍵を掛け、歩き出す。


肌寒さから逃れるように漆黒のライダースジャケットのポケットに手を突っ込み、予報を裏切った雪をコンバットブーツの靴底で踏みつけながら行進する。

有料の駐車場を出て右折、建ち並ぶ居酒屋は昼間だからか、客数は少なく、明かりがついてない所も多々見える。


そんな飲み屋街を突っ切って更に右折。人気の無い路地裏に入って、直進。

フィリピンパブや多くの風俗店が入った灰色のビルの隣に、目的地がある。


───一言で言うなら、廃屋。

幽霊屋敷と言っても良い。とにかく廃れて、退廃的なオーラを放つ二階建てのビル。

俺は溜め息をしながら建て付けの悪いドアを開け、中に踏み込む。埃が混じったぬるい風が吹いてきて、思わず顔をしかめた。


伽藍とした一階を通り抜け、奥に見える階段を昇る。登りきるとすぐに事務所に辿り着く。

乱雑に床にばら蒔かれた衣服と資料。部屋の中心に鎮座するテーブルを挟むように置かれたソファには、店主が趣味で集めた骨董品が所狭しと並べられている。

相変わらずだな、と苦笑して。器用に散らばった資料や脱ぎ捨てられた服を避けながら、窓際のデスクに向かう。


ギシっと中古のゲーミングチェアを軋ませ、黒タイツに包まれた脚を机に乗せて惰眠を貪る女性。

肩で切り揃えられた紺色の髪が微かに揺れて、僅かに身じろぎする。

赤いアイマスクで眼は見えないが、それでも整っていると断言できる顔立ち。


──此処、「阿頼耶アラヤ」の店主、緋咲ひざき奈緒子なおこだ。


床に大量の空き瓶や空き缶が転がっていることから、昨日の夜はまた浴びるように酒を飲んだのだろう。

その証拠に、アルコールの匂いが部屋に残っていた。

少し換気をしようと窓を開ける。冷たい風が吹き込んできて、鋭く頬を撫でて、アルコールの刺激臭を払拭していく。


冷たさに眠気を削がれたか、奈緒子は唸り声と共に眼を覚まし、ゆっくりと脚を下ろす。

そして、アイマスクを取った事で露になったルビーを思わせる灼眼で俺を見て──ふぅ、と息を吐いた。


「やあ黒鉄。彩愛はどうした?」

「どうも。彩愛は委員会で遅くなるってさ・・・ってか、またあんた酔い潰れてただろ」

「ほう?どうしてそう思う?」

「床に散らばった空き瓶に空き缶。部屋に充満してたアルコールの匂い、おまけにあんたの顔色は最悪だ」

「なるほど大正解だ。花丸をやろう」


・・・これだけの状況証拠があれば、小学生だって分かる。随分とまあレベルの低い推理ゲームだ。

俺は青白い顔で煙草に火を着ける彼女を見ながら、スマホを取り出して昨日送られてきたメッセージを表示して、デスクの上に置いた。


「で?仕事、入ったんですよね」

「ああ。入ったさ、大口のヤツがね」


ふぅ、と紫煙を燻らせながら俺の台詞を肯定する奈緒子の表情は、無表情で人形のような印象を抱かせた。

その様子から、今回受けた仕事はまた厄介なモノだと察した俺は、内心溜め息を吐いてスマホを戻す。


ジュっと吸殻を灰皿に押し付け、奈緒子は灰色のフラットファイルを差し出した。

それを恐る恐る受け取ると、ファイルの表面には親切にマル秘と黒いマジックで大きく書かれている。


洸靈会こうれいかい経由で受けた仕事だ。つまり───

「・・・久しぶりだな、その手の仕事」

「ああ、一年ぶりだ」


二本目の煙草に火を点け、奈緒子は憂鬱そうに窓の外を見やる。

硝子を挟んで向こう側では勢いを増した雪が一面の銀世界を作り出している。どうやら今夜はここに泊まっていくしかないようだ。


「どうせまたバイクで来たんだろう?」

「ええ、そうですよ・・・っと」

「まったく、少しは天気予報を見たらどうなんだ?」

「見たよ。見て、晴れだって言ってたからバイクできたらこの仕打ちさ」

「なるほどそいつは失礼。泊まってくなら、そこのソファーを使え。まあ、何回も来ているから勝手は知ってるだろ」


俺の心を読んでいた頼りになる店主様は、壁際の茶色のソファーを指差しながら、いつの間にか吸い終わっていた二本目の煙草を灰皿に押し付けた。


「・・・さてと、それじゃあ仕事の話といこうじゃないか」

「漸くか」


頬杖をついて不敵に笑う彼女は、手元の資料を見ながら今回の仕事について話し出す。


「最近、話題をかっさらってる事件があるだろう」

「あー・・・連続殺人だろ?犯行範囲が朝凪あさなぎ市だけで、もう十人が犠牲になってるヤツ」

「そうだ。最初はイかれたヤツが犯人だと捜査してたらしいんだがな、どうやら魔術の痕跡が見つかったらしい」

「なるほどな、それで洸靈会に話が回ってきたと」

「ああ、で。ちょうど暇してたからな。これ幸いにと請けちまったんだ」


後悔するように奈緒子は大袈裟に片手を上げて溜め息を吐いた。

その動作が、昔見たB級ホラー映画に出てきた殺人鬼の科学者を連想させて、俺は口角を少し緩ませた。


「今確認されてる最新の事件に残されてたのは、おびただしい血痕と、遺体だけだ」

「・・・今度は右足か」


今回の事件───通称、「朝凪市連続猟奇殺人事件」は、被害者の遺体から身体の一部が失われているのが特徴の殺人事件だ。

被害者の共通点は女性ということだけ。犯行時間は約数分。警察は必死になって捜査をしているが、犯人象のプロファイリングすら出来ていない。

更には、失われる部位は犠牲者ごとに全く別だ。

一人目は髪と両目。

二人目は両耳。

三人目は鼻。

四人目は唇と歯。

五人目は右腕。

六人目は左腕。

七人目は胴体。

八人目は腰。

九人目は左足。そして、今回の十人目で右足だ。

猟奇的で、どうしようもなく狂いきった事件の概要に、俺は不快感を滲ませながら吐き捨てる。


「ったく、よくもまあここまでネジを外せるよな」

「仕方ないだろうさ。魔術師私たちのような人種にとって、倫理観なぞ薄っぺらいフィルターに過ぎない。おおかたこの犯人も、何か重大な目的、執念があるのだろう」

「執念?」

「ああ、悲願と言い換えても良い。これだけの人間を殺害し、部品パーツを集めてるんだ。おのずと目的は推察できる」

「パーツ・・・ってことは、人形か」

「あくまで仮定だがね。そう考えると、魔術的に筋は通る」


言い切る奈緒子の表情は何処か憂いを帯びていた。

こういう悲劇的な話題は彼女の好みだが、今回はあまりお気に召さなかったらしい。

俺は灰色のフラットファイルをパラパラとめくりながら、残されていたという魔術の痕跡を確認する。


「糸、か」


一枚の書類に貼り付けられた写真。そこに写っていたのは、深紅の血潮で彩られた糸だった。

警察一般人が見れば、絞殺に使った凶器だと考えるだろうそれは、魔術を知る者からすれば、これは凶器ではなく──間接的な意味ならば、凶器と言えるが──凶器を操っていたモノだと理解できる。


「だがまあ、魔術師としちゃあ素人・・・三流も良いとこだ」

「確かにな」


一般的に、魔術師が起こした事件というものは表に出てくること自体、極稀だ。

理由は簡単。からだ。


ある程度の実力を備えた魔術師にとって、証拠隠滅など朝飯前だ。物的証拠はもちろん、目撃者なども暗示や記憶干渉で記録を消してしまえば良いのだから。

そうなると必然的に警察も捜査のしようが無い。

証拠が何一つなく、場合によっては遺体すら残らないのだから、どれだけ必死に捜査しても迷宮入りが確定してしまう。

解決しない事件に、優秀な刑事たちはいつまでも構ってはいられない。


だからこそ──阿頼耶俺たちがいる。

阿頼耶は表向きは物好きな連中が集うアンティークショップだが、本業は魔術絡みの案件を扱う何でも屋のようなものだ。

人探しやら物探し。護衛やお祓い・・・そして殺し。

何でもござれの魔窟だが、阿頼耶には一つルールがある。それは、「外道の仕事は受けない」ただそれだけだ。

とまあ、そんな理由ワケで阿頼耶には警察からの依頼もたまに来る。


「ま、お陰で私たちは楽ができるけどな」


奈緒子は三本目の煙草に火を着け、勝ち気な笑みを浮かべた。


「で?いつから調査を始めるんです?」

「明後日からだ。とは言っても、私は関われんがね」

「は?」

「別件の仕事が入ってる。なに、心配するな。お前たち二人なら余裕だろう」

「いや、そうかも知れないけどよ」

「それに、後始末は私がするさ」


奈緒子は立ち上がり、煙草を咥えながら椅子に掛けていた白衣を羽織って階段へと向かう。


「さて、私は別件に行く。戸締まりはちゃんとしろよ?」

「あんた何時も鍵してないだろ。それに、結界張ってあんだから泥棒も来ねえだろ」


俺の言葉を無視して、奈緒子は歩きだそうとして、なにかを思い出したように俺へと振り返り、二枚のチケットを投げた。


綺麗な軌道を描いて俺の右手に納まったそれに眼を通す。

それは、人形館の観覧チケットで、期限は明日までだった。


「どうしたんだ、これ」

「なに、知り合いから貰ってね。行こうとは思っていたんだが、仕事が入ってしまった。このまま無駄にするには忍びないから、君にあげただけのことさ。明日はちょうど土曜日だしな、彩愛を誘って行けば良い」

「・・・じゃあ、ありがたく貰っとくよ」

「青春を楽しみたまえよ、少年」


ヒラヒラと手を振りながら奈緒子は緩やかに階段を下りていく。

俺は暫しの間チケットを見詰め、スマホを取り出してSNSアプリを開く。

二回ほどスクロールしてその名前を見つけると、トーク画面を開いて一言メッセージを送った。


十秒程で既読がつき、返信が来た。

『良いよー!!』と表示されたメッセージに口角を緩ませる。


スマホを仕舞って、窓へと眼を向ける。

あれだけ降っていた雪は止み、夜の闇が空を埋め尽くしていた。

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