第7話 強襲
「新羅が山中に頼るとはなぁ……ちっとばかし予想外だ」
薄暗い部屋の中で電話を切り、村主刹は呟いた。
この時代この世界に、私室に電話を持っている人間はそう多くない。それだけで村主の財力の片鱗がうかがえるが、電話越しに伝えられた内容は村主にとって愉快なものではなかった。
貴方の紹介による少女は今後、買い上げることはできない。お抱えの風俗店からの言葉だった。山中屋の梁田篤がかけた圧力により、村主の行動は掣肘されたことになる。しかし村主は激昂することもなく、むしろ薄く笑う。風俗店を利用できなくなったのは痛手だが、致命的なものではない。寝取らせ遊びは個人でもできるし、店という、最低限のルールを介す必要もないぶん、そのほうが激しくもなるというものだ。
「まあ、こんくらいはしてくるか。けどなぁ、新羅。あんまり首突っ込んでくると、思わぬ怪我をすることもあるんだぜぇ……」
そう呟く村主の瞳が、紅く血の色に煌いたように見えた。
………………
…………
……
「はふぅ、今日も終わりましたぁ……」
疲労困憊の体で神楽坂瑞穂は呟く。新羅辰馬がバレーボールに駆り出されたように、瑞穂の担当はソフトボールだった。運動神経は人並み以下、とはいえ神力による底上げでパワーと瞬発力なら常人を大きくしのぐ瑞穂は、5番サードの長距離砲として期待をかけられている。
「さすが姫さまですね! 今日も柵越え連発!」
打撃練習で12本、実戦形式の練習試合で2本のホームランを打った瑞穂は2-A本日の英雄だった。そして英雄扱いは少女たちに、瑞穂のかつての肩書きを思い出させる。
「そりゃそーよ、なにせ神楽坂さんは齋姫なんだから! 普通の人間とはそもそもの格が違うのよ! とくに男どもとはね!」
ヒノミヤ事変を経てアカツキの民の意識はかなりかわったはずだが、それでもやはり女神ホノアカと齋姫を頂点とした女性主権を奉じる選民思想は根強い。瑞穂だって当事者として、義父の死や自らの身に刻まれた凌辱、それらの悲しみを霄らした辰馬の慈愛がなければまだ彼女らと同じようなことを考えていたかもしれない。
「みなさん、わたしはもう齋姫ではありません。それに、世界にとって男女どちらが主権者ということもないですよ」
「なにを言うんですか、姫さま! そんなことでは困ります!」
「そうよ、神楽坂さん! あなたは今だってこの国の象徴なんだから!」
瑞穂の穏やかな諫めは、同級生の少女たちに届かない。そもそも彼女らは学生会長・北嶺院文の男子排斥思想に共感共鳴して蒼月館に入学したものたちだ。その文が男性蔑視主義を捨てたと言って、彼女らもが一斉に右へ倣えするものではない。本心男子を毛嫌いしているものはごく少数とはいっても、男子より女子の方が優れているというのは間違いなく彼女らの考えの根底にあった。
(あまりよくない傾向ですね……、どうしましょうか)
太宰、さらにはアカツキ、ひいてはアルティミシア大陸全土を覆う男女の確執、その根深いことに、瑞穂は心中詠嘆するほかない。この感情を利用して国を覆すことを考えた神月五十六、その意図を汲み五十六の計画をコントロールした磐座穣、二人の能力は確かに傑出していたが、これだけ男女間の隔意が強いのであればそれを利用して策を立てるのは当然だったのだと、いまにして瑞穂は思う。この感情の澱を払拭することは、いさかいを助長するよりはるかに難しいだろう。
(それでも、わかりあう努力をしなくては……、ご主人さまの意に沿おうと願うなら)
辰馬を思い、瑞穂が意志を奮い立たせたそのとき。
「よぉ~、邪魔すんぜ。1年」
長身にがっしりした肉体、猪首の少年がグラウンドに現れる。
………………
…………
……
3人の少年が、同時に頽れる。牢城雫の神速抜刀、目にもとまらぬ峰打ちの早技だった。
「ボク~、大丈夫?」
「ぐす……。う、うん……」
雫の声にこたえたのは、小柄な少年だった。おそらく、幼年学校をまだ出ていない。この少年がカツアゲされているのを発見した雫はすかさず恥知らずな恐喝者たちを打ち倒したのだが、どこかになにか違和感がある。が、それがなにかわからない。
(? ん~……ま、いっか)
「ほらほら、泣くな少年! 男の子は簡単に泣いちゃいけないんだぞ!」
歩を進めて少年の前に座り込む。怯えているのか、まだぐすぐすとしゃくりあげている少年の頭をなでてやる。
「あ……あり、がとう……おねえちゃん……ホントにありがとおぉ~♪」
「いいってことよー……って!?」
言った少年の目茶色の瞳が突然光を失い、次の瞬間絳色の光彩を帯びる。同時に、雫の剣腕にも劣らない速度で右手が動いた。指先にはいつのまに手にしたのか、一本の注射器があった。雫は超運動能力で回避しようとするが、少年の動きも相当に速い。相手を殴り倒して引き剥がすなら容易かったが、少年の幼い姿がそれを躊躇させた。
結果。
わずかに、雫が間に合わない。針が刺さる。雫は急激に、力が萎えるのを感じた。魔力欠損症で毒物に対しても強い耐性を持つ雫を陥れるほどの劇毒。ということはこの少年は、最初から雫を狙っていたということになる。カツアゲされていたのもブラフ、あのチンピラたちを操って、雫を油断させるための算段か。
(罠!? これは、しくったかも……)
………………
…………
……
エーリカ・リスティ・ヴェスローディアは今日もスタジオにいた。学園ではバスケの選手に選抜されたが、実際のところあまり練習には出れていない。なにせ彼女は赤貧王女なので、学園行事よりも日々の生活費を捻出することが優先なのだ。
「エーリカちゃん、次こっち来てくれるー?」
「あ、はーい」
カメラマン、ヨシさんの言葉に元気よく返し、水着であっちこっち移動するの恥ずかしいんだけどなー、と思いつつもそこはプロ根性、平気な顔してスタジオの外に出るエーリカ。ドアを開け、スタジオの外へ……の刹那、影の中から伸びた腕がエーリカの首後ろ、延髄を強打する。
「っう!? って、いってぇーわねー!?」
「へぇ……今ので気絶しねぇか。まあ、それならそれでいいけどよぉ……」
エーリカを強襲したヨシさんはわずかに驚いた表情を見せた後、すぐにニタリと邪悪な笑みを浮かべた。あきらかに、陽気なセクハラおやじである普段のヨシさんとは様子が違う。
「ヨシさん? いえ、違うわね……アンタ誰よ!?」
「村主だよ。村主刹。覚えとけよぉ、ヴェスローディア」
「はぁ? 村主って……そっか、人を操る能力」
「そーいうこった。新羅への警告になってもらうぜぇ、お前らにはよ」
「お前ら? みずほたちのところにも?」
「おお。神楽坂と牢城にも「オレ」が向かってる。とくに神楽坂のところに行ってるのはオリジナルだ。お前らもあすかほどじゃねーが、なかなかだしな。オレのおもちゃにしてやるぜぇ……」
「バカね、アンタ。……アタシはともかく、あの二人にかかったらアンタなんか殺されるわよ?」
「齋姫に剣聖……確かに、まともにやりあっちゃあなぁ。けど、どんな強者も。弱点突かれりゃ弱いもんさ……」
「………………」
「お前だって、親しいこのオッサンを殴るのには躊躇があるんじゃねーのかぁ、エーリカ・リスティ・ヴェスローディア!」
「はぁ……「来い!」」
エーリカの「力ある言葉」。呼び声に応じて、聖盾がその右手に現れる。
「ヨシさんならアタシを護れないより、アタシを護ってボコられるほうを選ぶでしょーよ! 来なさい、村主刹!」
………………
…………
……
「なんか、今日もいやな気分すんな……」
新羅辰馬は軽い悪寒を覚えて身震いする。朝比奈大輔、出水秀規、上杉慎太郎、清宮周良の4人を前に、第2体育館。一瞬、目を閉じ、すぐにまた開く。
「主さま、練習しないなら帰るでゴザるが」
ほんの一瞬だが、動きを完全に止めた辰馬を怪訝な瞳で見つめ。出水がやりたくねーなー、という気分全開でそう言った。
「いや、待て待て。練習はやっとかないとマズいだろーが」
「はー……、バレーなんか必死になってやらなくてもいいでゴザろ?」
「バレーっつーか。お前に負け癖逃げ癖ついてほしくねーんだわ。簡単にできないっつーて諦めんな」
「そーだぞー、諦めんな、デブ」
「新羅さんを失望させるな、デブ」
「ヒデちゃん、ここはカッコいいとこみせないと……」
辰馬の言葉に、シンタと大輔も雷同する。出水の味方であるシエルもそう言って、出水のやる気を促した。
「むう、シエルたんまで……」
「おいデブ。今、バレーなんか、って言いやがったな」
さらに。バレーをバカにされて黙っていない清宮もが参戦する。
「あ? なんでゴザルか、清宮?」
「うるせえ! バレー舐めんな、チンピラが!」
「チンピラはお前でゴザろぉが、お前口汚すぎるんでゴザるよ!」
「うぅるせぇ! 勝負しろやぁ!」
「清宮ー、おまえ熱くなりすぎ……まあ、いーか……」
「ま、辰馬サンも案外似たとこあるっスよね」
「だな。新羅さんも意外と子供っぽいから」
「そーか? おれってあんなふう?」
「いや、あんなチンピラ口調じゃねーっスけど……」
………………
…………
……
「誰だったか、姫さまは男どもとは違う、とか言ってたなぁ……。確か、このガキか……」
「ぁぐ……っ!?」
村主刹は瑞穂に掛かる愚を犯さず、セオリー通りに先ず人質を取りにかかる。その素早さは以前の1年筆頭、月護孔雀にも匹敵するほどだ。瑞穂は人質を取らせまいと動くが、瞬発性はまだしもベースの速力が違いすぎる。追いつけない。瑞穂を賛美し男を見下した少女が、頸を掴まれつるし上げられた。
「陳腐な手だがよぉ、こういうのがお前には一番有効だろ、姫さま?」
「……榊さんを離してください。わたしは抵抗しません」
「そーかい」
ドフッ!! 少女一人ひねり上げたまま、村主は無造作に瑞穂を蹴り飛ばす。下腹部を蹴られ、瑞穂は片膝をついた。
「かふ……っ!?」
「姫さま!?」
「抵抗すんじゃねーぜぇ、姫さま。術を使う様子があれば、このガキを殺すからよぉ。……言っとくが、お前らもだぜ? 誰一人、オレに歯向かうことは許さねぇ」
勝ち誇り、悠然と言ってのける村主。その膝を、瑞穂が掴む。
「抵抗すんなって……」
「トキジク3秒!」
瑞穂の裂帛。次の瞬間、世界のすべてが制止する。制止した世界の中で瑞穂だけが動き、とらわれた少女を奪い返す。
そして、戻る時間。
「……て、言ってんだろぉが!」
村主の蹴りが空を切る。3秒をフルに使って村主から距離を取った瑞穂だが、まだ余裕はない。トキジクを使った時間停止はわずかであっても瑞穂に大きな負担を強いる。
「時間を止める力……なるほど齋姫にふさわしい力だが。けどまぁ、そりゃ本来止まった時間の中で連携できる仲間がいてこその能力だ。連発できない力を雑魚を助けるために使っちまっちゃなぁ!」
瑞穂にはもはや余力なしとみて、無造作に間を詰めてくる村主。将来的に瑞穂はもっと膨大な力を操るに至るが、いまの瑞穂にとって3秒間時間を止めるのはかなりの難事だった。反動は大きく身体を蝕み、全身に痛みが走る。まず村主の攻撃を回避できる状態ではなく、瑞穂は目を強く閉じる。
が、覚悟した衝撃はなく。
「よお、村主」
瑞穂の待望した声が、頭上から聞こえる。
「ご主人、さま……」
「お前……、新羅? いま、第二体育館にいるはず……」
「おまえと同じだよ。同時に複数の場所に登場する能力。まあ、おれのは観自在法の応用だが」
第二体育館でのバレー練習中、わずかに目を閉じた辰馬。そのごくごく短い時間の中で、辰馬は観自在法の遠見の術を使って同時に瑞穂、雫、エーリカの様子を探知、その窮地を知って自らの盈力を4等分し、ひとつは本体として第二体育館に残しほかの3つを瑞穂たちの援軍として放った。この辰馬は4分の1だが辰馬の盈力の具象化であり、肉の身体ではないが実体に準じる力を持つ。
「ち……」
「退けよ、村主。おまえがおれに殴られて反省するタマじゃなくても、殴られりゃあ痛いもんだぜ?」
「……あぁ、そうだなぁ。お前の女を組み伏せてやろうと思ったが、失敗らしい……退くぜ、ひとまずはな……」
踵を返す村主。辰馬はあえて追わない。
………………
…………
……
オリジナルの村主刹が退く少し前。
「へへ、牢城センセー、どんな気分だよ?」
牢城雫は少年に跨られていた。反撃したいが、全身のしびれでまともに動けない。動けたとしても「子供の身体」を攻撃することへの躊躇は雫を鈍らせ、勝利を遠ざけるかもしれないが。
「く……、この子に、乗り移って……」
「そうだぜぇ……。まともに相手して一番怖ぇのはアンタだが、見た目がガキだからって油断したよなぁ」
「……あなたって、村主くん?」
「おう。くく、たぁっぷり嬲ってやるぜぇ、この体のままな」
「させるかよ、ばかたれ」
ごすっ!
少年の頭に、容赦ないげんこつが落ちる。
「げぅっ!?」
「しず姉は優しーところあるから、子供が殴れないのかもしれんが。おれはいくらでも殴れるからな」
「たぁくん!」
「く……新羅……」
「おまえ、村主だな。さっさと退け」
「……あとで、後悔させるぜぇ……」
フッと、少年の目の色が変わる。絳から茶色になったかと思うと、突然意識を失った。村主の術が切れたらしい。
「後悔なんかするかよ。お前こそ、しず姉たちに手ぇ出すんなら後悔させるぞ」
「うわーん、たぁくんっ、たぁくんたぁくんたぁくーん? いまの痺れたぁ、も一回、もっかい言って、今の!」
「は?」
「『雫に手ぇ出すなら……殺す』ってやつ!」
「言ってねーわ、改竄すんな」
はしゃぐ雫の元気さに応じながら、辰馬は息をつく。倒れて動けない様子だから心配したが、これだけ元気なら心配はいらないらしい。
………………
…………
……
エーリカはヨシさんの身体を操る村主と対峙していた。ヨシさんの身体はボコボコであり、エーリカの盾殴打で打ちのめされたことがうかがえる。それでも肉体を操る村主にはダメージがないようであり、エーリカは内心、背筋を粟だたせていたが。
「にしても、容赦ねぇ……」
「あたりめーよ! なんでヨシさんの体相手に手加減しなくちゃなんないの!」
「恐ろしいな、この姫さまはよ……、ま、いくら殴られたってオレは痛くもかゆくもねぇんだが……」
「………………」
「一滴でも血を貰えりゃあ、オレの勝ちなんだがな……。初手は殴って気絶を狙うより、ナイフを使うべきだったか……」
「血……? 血を使って操る能力?」
「さあなぁ。……そろそろ終わりにするか。重い盾振り回して全力で暴れられる時間なんてたかが知れてる。動きも鈍くなってきたぜぇ……」
踏み出すヨシさん=村主。エーリカの盾を掻い潜り、一撃を下腹部へ……絶妙のカウンターを突き立てる寸前、その身体が横に吹っ飛ぶ。
「ぇぶ!?」
「怪我ないかー、エーリカ?」
「たつま?」
「おお。なんとか間に合ったか」
「ち……新羅ぃ……」
「あんまり睨んでくれるなよ、村主。本気になりたくなっちまう。……今回、お前はそれだけのことをしたからな」
「へ、ぽやーんとしてると思ったが、意外と熱いことで……」
「あぁ、そーらしい。で? 意外に熱い新羅辰馬に喧嘩売ってみるか?」
「……いや、やめとこう。ひとまずはな」
ヨシさんの目が赤から黒に変る。そして突然、ばたりと倒れた。
「ヨシさん!」
エーリカが倒れるヨシさんを抱きとめる。自分でボコボコにしたのだが、心配する気持ちもないではなかったらしい。
「ひとまずは、だ。油断すんなよ、新羅……」
「ご忠告どーも。あんまりおれを怒らせてくれんなよ、村主」
引き下がりしなの村主の言葉に、辰馬は強気で返す。
「つーても、今回おれは基本的に師匠ポジションだからな、おまえは清宮がなんとかする」
「清宮? あの雑魚介になにができるって?」
「確かに、あいつはやたらとチンピラくせーが……」
辰馬は一旦、村主に同調して、しかし。
「根性は本物だからな。根腐れのお前より、よっぽど強くなる素質ってやつを持ってるよ」
「そうかよ……、じゃあ、オレが清宮を倒したらオレのやることに口は出さねぇよなぁ?」
「OK、それでいい」
村主の気配が完全に消える。すかさずエーリカは辰馬に食って掛かった。
「たつま、本気!? 清宮ってそんなに頼りになるの?」
「あいつをおれが殴っても聞きゃあしねーもんよ。自分より弱いと思ってる清宮に負けないと響かねえ」
「でも、それで清宮が負けたら……」
「負けねーよ、清宮は。いまあいつを見てるのはおれだっての」
「………………」
「まー見てろ。清宮には負けらんねー理由がある。才能があろうが、遊び半分でやってる村主に負けねーよ」
赤心を腹中に置く。後世伝えられる「赤帝」「黒き翼の大天使」新羅辰馬は人々から常に全幅の信頼を受けたが、それは理由なくしてのことではない。彼が常に全霊で相手を信じるからこそ、相手もまた辰馬に全力で応える。その片鱗はすでにこの時からあった。
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