第17話
「何が対立だよ。単なる原口の一方的ないじめじゃねえか。なあ?」
ニシダが憤まん遣方ないといった表情で、さっき購買で買った焼きそばパンを囓る。
今は学校の昼休み、俺はニシダに誘われて、北校舎と南校舎を繋ぐ渡り廊下の端っこを陣取って昼ごはんを食べている。最初に外へ行ったら、木枯らし吹きすさぶ中庭はもう、じっと座ってご飯を食べるにはとてもじゃないけどひんやりと冷えてしょうがないので、2階の屋根と壁に囲まれた渡り廊下へやって来た。ここなら窓から差し込む日差しでまだポカポカと暖かい。
「それは早乙女もわかってんじゃねえの?ただあのままだと全校生徒にまで広まりかねない勢いだったし、あの場だけで収めるためにはああ言うしかなかったんだと思う」
いつもは自分のクラスで食べる水上も、今日は俺たちの方へやって来て一緒に食べている。
「どゆこと?」
ポカンと首をかしげるニシダの頭を、アホか、とばかりに水上がペチンと叩いた。
「戸村はどうしてる?」
水上が、まだ理解不能といった顔をしているニシダを無視して、さっきから黙ったまんまぼんやりとメロンパンを口に運んでいる俺の方を向く。
「わからない。朝も先に行っちゃったし、休み時間のたんびに教室からいなくなるし、今もラインしたけど繋がらない」
俺はそう言って、「今、どこにいる?」とメッセージを送った横に、「既読」とついたままやり取りを断ち切られたスマホの画面を見つめた。
「でもさあ、どうせあと少しで卒業なんだし、原口はムカつくけどそれまでやり過ごせばもうなんとかなるんじゃね?って、あ、そういうことか!それで早乙女は騒ぎが大きくなる前に食い止めたってことか!なるほど、なるほど」
ようやく合点がいったとばかりにニシダが膝を打つ。
「でも……」
俺は一度口へ持っていきかけたメロンパンを、もう一度下へ戻して、「卒業したら、瑞希はいなくなっちゃうんだよ」と、どこか遠くにいる誰かにでも語りかけるように呟いた。
俺たちはあのとき確かに、遠距離になっても別れない、という互いの意志を確認し合ったはずだ。本当なら今頃、卒業までの僅かな時間を大切に共有しつつ、電話をかけるのはどれくらいの頻度にしようとか、会うならどこで会おうとか、おはようラインはしてもいい?とかの話し合いを始めていてもよかった。なのに瑞希は今朝、掴んだ俺の手を振りほどいて行ってしまったのだ。
「戸村とは1回話し合った方が良さそうだな。電話してみても駄目かよ」
水上が俺の手の中にあるスマホを顎でしゃくるが、俺は「いや、今はそっとしておいた方がいいかも。瑞希って変に周りに気を遣い過ぎて、自分を押し殺すところがあるんだ」と言ってスマホを床に置いた。
「じゃあ、どうすんだよ〜。このまま自然消滅なんてしたらそれこそ原口の思うツボじゃねえか」
やたらと原口を目の敵にしているニシダが自分のことでもないのに情けない声を出す。
別に原口だって俺たちを別れさせたいわけじゃないんだろう。そんなことしたってあいつには何の得もない。俺たちの配慮が欠けていたんだ。あんなところでキスするなんて、それは俺たちが悪かったんだと思う。でも、このまま瑞希がみんなの目を気にするあまり自然消滅だなんてそんなのまっぴらごめんだ。今、話し合うのは瑞希とじゃないのかも知れない。俺がまず、話し合うべきなのは……。
「水上」
「ん?」
「今日の夜、部屋借りていいか?」
俺が水上の方を見ると、水上は一瞬俺の目をじっと見たあと、「いいぜ」と言ってニッと笑った。
「なんだよ、一体」
「しーっ、静かに」
夜の寮での自由時間、俺はニシダと水上、そして早乙女に協力してもらって、瑞希以外の3年生全員に俺と水上の部屋に集まってもらった。自室にこもっている瑞希に気づかれないよう原口を連れてくるのは簡単だった。何故なら原口は瑞希といるのが気まずいのか、ずっと隣室の
全員が部屋に入り切ったところで、水上がドアを閉めて、窓を背にして全員を見渡せる位置に立っている俺に向かって無言で頷いた。
「みんな、貴重な自由時間に悪い。手短に済ますから」
俺が喋りだすと、部屋の中にギチギチにつまった全員の視線が突き刺さるように俺の方を向き、思わずその痛さに目を逸らしそうになってしまう。でも、今絶対に逸らしたらだめなんだ。
「今朝の話なんだけど……俺と瑞希は付き合ってる」
思い切って口に出すと、部屋の中は、え、どうしたらいい?みたいに顔を見合わせているやつらと、苦々しく顔をしかめるやつらとで2分された。絶対に口を出さないでくれと約束したニシダと水上と早乙女だけは、黙って俺の方を向いている。
「でも瑞希にたぶらかされたわけじゃない。俺から好きになって、告白して、それで1回振られたんだ。瑞希に、男は恋愛対象じゃないって言われて。でも俺が諦めきれなくて、瑞希が受け入れてくれて……それで、昨日の夜、玄関でキスして、それと……」俺はそこで一旦躊躇する。でも覚悟を決めて一気に、「夏休みの閉寮日に俺が誘ってそこでセックスした」と自分のベッドの方を見た。
え、マジで?!と俺のベッドに座っていたやつが一瞬腰を浮かしかけて、顔をしかめたあと浅く座り直した。
「おい、そんな話するために呼んだのかよ!」
そう怒声をきかせて1人が後ろを向くと、その後に続いて何人かが部屋から出ていこうという素振りを見せる。
「違う!待ってくれ、そうじゃなくて!そのときは特別だったんだってことを言いたかったんだ!いつもいつもイチャついてるわけじゃないって」
俺だってここまで赤裸々に語りたくなんかない。だけど、みんなにわかってもらうためにはこれは必要なことだと思った。
「悪いことしたと思ってる。みんなで暮らしてる場所でそんなこと、するべきじゃなかった。もう二度としない。だから……」
だから……頼む、わかってくれ。
「だから、俺と瑞希が付き合ってるってことだけは認めてほしい。寮や学校では絶対にもう瑞希に触れたりしないって誓うから」
そして、俺はみんなに向かって深々と頭を下げた。
ここでみんなが認めてくれなければ、頑なな瑞希はもう俺のところへは戻ってこないかも知れない。そんなことになるくらいなら、俺は今、ここで土下座だってしてもいい。
誰も話し出す人はいなかった。しんと静まり返った部屋の中で、俺は頭を下げたまま祈りにも似た気持ちで目を閉じる。
「寮や学校ではってさ、他の場所ではするかもってことだろ」
静寂を破ったのは原口だった。すると約束を破ったニシダが、「お前、ホントいい加減にしろよ!」と原口に掴みかかろうとして、隣にいた水上に取り押さえられる。
「付き合ってるの認めるってことはそういうことだろ。お前らが2人で並んでるだけでこっちは色々想像をかきたてられるんだよ」
辛辣な原口の言葉に、俺はクッと唇を噛み締めながらも、ずっと頭を下げ続ける。
「ああ、お前はそういう妄想得意そうだもんな」
ニシダを取り押さえていたはずの水上までもが、原口の行き過ぎた言葉に耐えられなくなったようで、低い声で呟いた。
「ふん!お前らの中傷にはもうウンザリだよ。俺ばっか悪者になってるけど、ここにいる他のやつらだって気持ち悪いと思ってるやついるだろ?」
原口が朝よりも冷静に対処できたのは、既に他にお仲間を見つけていたからだろう。部屋の中にいる何人かが下を向く気配がした。くそっ、だめなのか?
「とにかくこんな茶番はもういいだろ?俺は今日から佐和の部屋で寝るからな」
そういって原口が部屋を出て行こうとドアを開けた瞬間、「あ」原口はそのまま少し驚いたようにドアの前で立ちすくんだ。そして、ドアを開けたままスッと横にずれて、青い顔をして立っていた瑞希の姿をみんなに見せつけるようにした。
「瑞希!……いつから、そこに?」
「あ、えっと……」
瑞希は見つかるとは思っていなかったのか、かなり動揺した様子で、「なんか他の部屋静かなのにここからだけ声がするから、えっと……」そしてキュッと唇を結ぶと、「俺たちのことでこんなふうにみんなが揉めたり、受験まだ終わってない人もいるのに時間取られたりとかさ……」
「瑞希……」
嫌な予感がして俺は反射的に瑞希の方へ向かって走り出した。
「こんなふうにみんなに迷惑かけるなら俺……」
「瑞希!」
俺は瑞希に追いついてその腕を掴む。
「俺、有司とは別れるから」
時間が止まったような気がした。
「……なんでだよ」
俺は、瑞希の腕を掴む手に力を込めながら、震える声で呟く。周りで見ているやつらの姿がだんだんぼやけていき、そこには、俺と瑞希だけが存在しているようなそんな錯覚に陥っていた。
「なんでだよっ!!」
下を向いて俺の顔を見ようとしない瑞希に対してなのか、どうにもならないこの状況に対する怒りなのか、俺は人目もはばからず大声で叫んだ。
「あの〜、どうかしたんですか?」
廊下の方から声がして、上のフロアで寝起きしている2年生たちのリーダーが心配そうに俺たちの方を覗き込んでいる。1階のただならぬ雰囲気を察して様子を見に降りてきたらしい。
「あ、悪い。もう消灯だよな。ちょっと卒業イベントのことで相談してて揉めたんだよ。はい、みんな今日はここまでな〜。点呼するから部屋戻って」
早乙女が機転を利かせてそう声を上げると、ハイハイ、とみんなを扇動して部屋に戻るよう促した。そこに集まっていた3年生たちが、ぞろぞろと俺と瑞希の横を通り越して部屋の外へ出て行く。
すべてがまるで、水槽の外の出来事のようだった。
俺たち2人だけが閉じ込められた水槽の中で、いつまでも交差しない想いに縛られて動けずにいる。
「一之瀬」
そのとき、俺の瑞希を掴む手に優しく水上の手が伸びてきて、俺はそこで初めてハッと我に返って、瑞希を掴む手を離して下におろした。いつの間にそんなに強く掴んでいたのだろう、瑞希の腕にはくっきりと、俺の指の形がついて残り、そこだけ白くなっていた。
そうして瑞希は、俺の方を見ないまま、自室へ戻って行った。
消灯後、灯りを消した部屋のベッドで、俺が頭から布団を被っていると、2段ベッドの上の段から水上の声が降ってきた。
「さっきの戸村の言葉は本心じゃないと思うぜ。みんなの手前ああ言うしか無かったんだろ」
俺はそんな水上の声を布団の中で聞きながらも、ちゃんと返事を返すことができない。少しでも声を出したら震えてしまいそうだった。
代わりにじんわりと目が熱くなって、横を向いて寝ていた俺の目から、ポロッと涙がこぼれて顔を伝って布団のシーツに染み込んでいく。
瑞希が、みんなの前でああ言うしか無かったのはわかってる。
ただ俺は、例え本心じゃなくても、瑞希がみんなの気持ちを収めるためなら、俺とは別れることになってもいいと思っていることが、たまらなく悲しくて寂しかった。
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