吐露

飛鳥休暇

吐き出す

 はじめはさ、ちょっとした出来心だったんだよ。

 なんか嫌なことばっかりでさ、会社では怒られてばっかりで、ミスったあとの上司の「どうするんだよお前」って言葉なんかさ、結局答えなんかないだろ?

 どう答えたってもっと怒鳴られるだけなんだから、黙って歯を食いしばってさ、早く時間が過ぎていくことを祈るだけだよ。

 家に帰ったって待ってくれてる人もいないし、毎晩コンビニで弁当とアルコール度数の高い酒を買って帰る日々だよ。

 もう少し先のスーパーの惣菜のほうが安上がりなのも分かってるんだよ。でもさ、そんな元気すら無くなってんだ。

 そんでさ、軽く酔った頭でつけっぱなしのテレビの音をぼーっと聞いてんだよ。どんな番組がやってんのかも知らないよ。ただ静寂が怖いだけでつけてんだから。

 天井の蛍光灯を見上げて「あー、死にてぇなぁ」なんて呟いて。

 でも死ぬ勇気もないんだよ。

 死ぬ「元気」かもしれないけど。


 なんとなく言い表せない劣等感とかさ、焦燥感とか、そんなもんが襲ってくるのをアルコールでぼやかして生きる日々だよ。

 こんな自分が心底嫌で、なんだかむちゃくちゃに傷つけたくなるんだよ。そういうことってあるよな?

 でもさ、手首を切るような勇気もなくて。

「痕が残ったらどうしよう」とか考えてんだよ。おかしいだろ?死にたいって思ってるようなやつがよ。


 でもその日はなんか悪酔いしたみたいで。疲れてたのかな。ちょっと気分が悪くなってトイレに向かったんだよ。

 でもなんか中途半端に吐くほどでもなくて。

 そんでさ、思い切って指を口に突っ込んでみたんだ。

 そしたら「ぐぉえっ」って不細工なオットセイみたいな声が出てさ、でもまだ中身は出てくんないの。

 でもなんか徐々に胃の奥からせり上がってくる感覚があって、心拍数がどんどん上がってくんの。嫌な汗が出てきて、呼吸も自然と荒くなってきてさ「あ、くるな」って分かるんだよな。

 んで、何度かえずいたあとに無事吐くことができてさ。

 酒飲んでたせいかけっこう綺麗に出てくれんのな。吐く人のことをよくマーライオンに例えたりするだろ?

 ちなみに、本物のマーライオンって意外と小さいらしいな。まぁ、そんなことはどうでもよくて。

 まんまあんな感じでびしゃあってさ、すごい勢いで出てきたわけよ。

 勢いよすぎて鼻からもちょっと出てきて、鼻ん中がくっせぇの。最悪。

 でもさ、鼻水と涙をだらだら流して便器に寄りかかりながら、なんかおれ、生きてるなぁって思っちゃったの。

 確かに苦しいのよ。でもなんかこの苦しいのが気持ちよくてさ。

 なぜか「これだ」と思っちゃったのよ。


 それから、おれは嫌なことがあるたびに、死にたいなと思うたびに、トイレに向かっては吐くようになってたんだ。


 だんだん吐くのも慣れてきてさ、いや、慣れるもんでもないんだろうけど、コツっていうかさ、そういうもんを掴んできて。

 もう家に帰ったらオナニーするか吐くかみたいな生活よ。今日もいっちょやっときますか、みたいな感じ。


 会社の事務のおばちゃんには「あんた、最近痩せたわね」なんて言われて「いやぁ、ちょっとランニングするようにしたんですよ」なんて誤魔化して。

 そんな感じで過ごしてたとき、おれは透子とうこと出会ったんだ。

 大学時代のツレが開いてくれた飲み会があってさ。久しぶりの外で飲むってのもあって、ちょっとはしゃいじゃったのかな。おれべろべろに酔っちゃって。

 そうなるともうあれよ。我慢出来なくなってさ。トイレに行って吐いたんだ。気分が悪くなってっていうよりは、欲求を満たすためだったんだけど、すっきりしてトイレを出ると透子がそこにいてさ「大丈夫?」なんて心配してきてくれたわけ。

 透子はちょっと派手な見た目をしてて、両耳に合計十個はピアスが空いてる感じで。アパレル関係で働いてるらしいんだけど、どんだけ自由なんだよアパレル業界って思ったりして。

 おれは「あぁ、大丈夫」なんて愛想笑いを返したんだけど、透子がおれの拳を見て「痛そう」って呟いたの。

 その頃にはさ、おれの拳には立派な「吐きダコ」が出来てて、ちょっとそこだけ黒ずんでたんだよね。

 だから透子はそれを見て言ってきたんだけど「あぁ、ちょっとぶつけちゃって」なんて言い訳して。


 気付いたら彼女とホテルにいたんだよね。


 訳がわからないよ。確かに透子は見た目は良くて、お相手頂けるものならなんてゲスい考えが飲み会中になかったわけではないんだけど。

 まさか彼女から誘ってくれるなんてさ。

 で、コトが終わったあとに聞いてみたのよ。

「なんで?」って。

 そしたら彼女はこう言ったのよ。

「ほっとくと壊れそうだったから」って。


 それからおれは透子と付き合うことになったんだ。

 安月給でさ、満足なデートもできなかったんだけど、彼女は時間が合うとおれのアパートに来てくれてさ、手料理なんか作ってくれて、そんでそんな彼女の料理を吐くわけにもいかないからさ、その頃にはおれの吐き癖もちょっとずつ治まってきたの。

 柄にもなく幸せってのを感じてたんだ。


 でもある日、ささいなことで彼女と喧嘩になって、大声で怒鳴り合って、おれの中の何かがぷっつんきちゃったんだろうな。

 彼女を部屋に残したままトイレに駆け込んで、そんで思いっきり指を口の中に突っ込んだんだ。


 いつも通りだよ。

 便座に顔を突っ込んだまま、不細工なオットセイの声を出して、出せるもん全部出したんだ。


 なぁ、透子。

 なんでおれはこうなんだろうな。

 ほんとはちゃんと生きたいのに。もっとしっかりとした人間になりたいのに。

 資格とか勉強してさ、もっといい会社に入って、生活に余裕が出来たらお前にプロポーズして。

 そんなことを考えるんだ。考えているだけなんだ。

 だけど現実は何も動かずに、安月給のブラック企業でゾンビのように働く日々だ。

 なぁ、透子。

 お前と出会って少しは変われたと思ったんだよ。

 少しはまっとうに生きられるとか希望を持ってたんだ。

 でもダメだった。おれダメだったよ。

 結局嫌なことから逃げるようにして、自分を痛めつけるためだけに吐いて。吐きたくなって。吐いて。

 おれは自分が嫌になるんだよ。嫌いなんだよ。

 そんなおれを支えてくれたお前も悲しませてさ。

 もうほんと。


 おれの身体の中にもし、悪霊とかさ、貧乏神とか、悪いもんがなにかあるなら、全部でてってくれよ。胃液と一緒にさ、でてってくれよ。

 そんなことを思いながらおれは指を突っ込み続けるんだ。

 でも、いねぇんだよな、そんなもの。

 全部自分が悪いんだから。

 わかってるんだよ。わかってる。


 おれは便座を抱きかかえたままで泣いてんだ。

 しばらくそのまま泣いてたんだよ。

 泣いてたんだ。






【完】

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吐露 飛鳥休暇 @asuka-kyuka

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