第18話 時は過ぎて
~3月2日 15:43 満田中学校~
時は過ぎ、季節は冬が終わり、春を迎えようとしていた。未だに肌を刺すような冷気が吹き付けるものの、日光は確実に暖かくなっており、都会の雑草の中には、ひょっこりとつくしが生えている姿がお目にかかれるようになっていた。
戦鬼の勾玉が奪われるといった事件は発生したものの、歩はそれに関わることはなく、日々粛々と鍛錬を重ねていった。それももう、二か月半もの間。
あれから、特に訓練のメニューに変更はなく、手合わせの相手が変わるくらいのことはあるものの、基本的には反復練習を続けるような時間となった。
1月下旬に、猛吹雪に襲われた時も。
中間や期末テストの期間もお構いなしだ。
バレンタインデーなんて、年に一度のイベントですら、チョコの代わりに鉄のような血の味で口の中を満たしながら、歩はひたすら蒼井蓮司の貸した訓練と戦い続けてきた。
今日も今日とて、これから体育館で蒼井との実戦を想定した組手の時間がやってきた。
「アユくん、大丈夫?」
「うん」
歩と隣合わせの席に座る沙貴は、最早自然なことだと言わんばかりに、学校指定の茶色のカバンから水筒を取り出し、中に入れたほうじ茶をカップに入れ、歩に手渡した。
度重なる訓練に付き添う内に、歩の身体に起きる変化と、それに伴い求められているものを間近で見てきた沙貴は、誰に頼まれたわけでもなく、自発的に歩が求めるものを考案し続けた。
その結果のひとつが、今回用意しているほうじ茶だった。本来、複数の漢方(さすがに、種類はわからないが、蒼井から説明を受け、良さそうなものをピックアップした)をそのまま摂取するべきものを、口が鳴れない歩のために、飲みやすくするために、ほうじ茶に混ぜるという手段を採用した。
「ありがとね。いつもいつも」
「ううん。こんぐらいはしなきゃ」
沙貴は歩の肩をなで、のどを潤すことを勧める。歩もそれに応じるように、水筒のカップを手に取り、舌を火傷しないよう、慎重にほうじ茶を口に運んだ。
ぬるま湯の温度が、静かに体に染み渡る。
「……いつも思うんだけどさ」
「なに?」
「沙貴ちゃんのお茶って、なんか毎回味が違う気がするんだけど、気のせいかな?」
「そりゃそうよ。だって、健康にいい薬草っていうのをブレンドしてたりするんだから」
「そうなの?」
「そうなの。アユくんも、だんだんセン……じゃなくて、前とはだいぶ体つきが変わってきてるじゃない?」
「う、うん……」
世間には公表されていない、「戦鬼」の単語が出かかったことに、当人である歩と口が滑りかけた沙貴はヒヤッとなった。
「だからね。体質が変わったんなら、もしかしたらいつもとは違う方法でっていうか、違う何かを口にした方が効果あるんじゃないかな~って思って。その辺、先生も伊織もよくわかんないみたいだし、せっかくだからいろいろ試してみようって思ったの」
「そうだったんだ。……でも、うん。普通においしいよ。普通って言ったらヘンかもしんないけど」
「いいよ。結局、そこだもん」
「なら、うん……ありがとう」
沙貴には、戦鬼の問題に関わらせたくなかったと思っていた歩だが、振り返ってみれば、「これで良かった」と思えるようになっていた。
もしも、沙貴が歩の知り得ない事情で苦しんでいたとして、何もしないままではいられない。見捨てるような真似だけはしたくないから。そのためならば、無理に首を突っ込むような真似くらいはしてしまうだろう。結果、沙貴に嫌われたとしても、彼女が無事でいられるのなら、歩は躊躇しない。
沙貴が同じ気持ちでいてくれるのなら、彼女の姿勢にも納得できる。だから、余計な軋轢を生まない今の状況はありがたいし、同じ秘密を共有できて浮かれているところすらある。
今後、同じような悩みが再燃する可能性は、もちろんあるだろう。けれども、そうならないように、沙貴を守り抜くこと。そのために強くなることに、歩はためらうことはない。
剣道を始めたきっかけの一つは、沙貴を守れるようになるためだったのだから。
「でも、アユくんもだいぶ元通りになったんじゃない?」
「何が?」
「ブランク。剣道、また始めて結構経つじゃん」
「どうだろうね? あんまり、自分がどんだけ出来るとか、考えたこと無かったから」
これは本当の事だった。
歩は割と感覚で物事を考えるタイプであり、自分の動きについてロジカルに考えたことは、記憶の中では皆無だった。
そういえば、蒼井との訓練の中で、「お前は難しく物事を考える癖がある。だから本能で動けるようになれ」と言われたことがあった。曰く、現代人はスマホを常備している者がほとんどであるため、知識を司る左脳が発達し過ぎて、完成を司る右脳や原始的な反射等を司る脳幹の発達が抑えられがちなのだという。故に、余計な理性が働いて、野性的な――すかさず行動する能力を縛り付けているのだとか。
安土桃山時代に生まれた蒼井蓮司こと戦鬼ルーガの口から出た言葉だからこそ、重みがあった。
「でも、沙貴ちゃんがそう言ってくれるんなら、きっとそういうことなんだろうね」
「わたし、素人だけどね」
「でも、わかる気はするよ。先生を相手にあれだけ粘れるようになったのだって、本当に最近のことだと思うしね」
当初は、絶え間なく何度も何度も竹刀を叩きこまれていたのが、今では三分に一回くらいに減少していた。防御のイロハについて、少しは体が覚えてくれたということだろうか。あるいは、蒼井の言葉を借りるなら、直感が研ぎ澄まされているということになるのか?
いずれにせよ、沙貴の指摘は、的を射ているように感じられた。
「それなら、今度こそ一本取っちゃいなよ! アユくんなら、その内あの破天荒な蒼井先生の脳天に一発叩き込むのなんて、夢じゃないわ!」
「そ、そうかな……?」
「そうよ! アユくんったら、せっかく大会で優勝したことあるんだから、それ以上強くなろう! って気概を見せた方が良いんじゃない? スポーツってのは大なり小なり競争の世界なんだから、相手に遠慮ばっかりしたら、勝てる勝負も勝てなくなるんだから!」
「それは……そうかもね」
「心! 技! 体! の最初っから躓いてたら話にならないじゃない。せっかくだから、アユくんもまずは先生に勝って、こうなったら日本一……ううん、世界一強い剣士になれるように! って頑張ってみれば良いんじゃないかな?」
「話が飛躍し過ぎな気がするけど……」
「アユくんなら夢じゃないわ! そもそも、見込みがない人に出来る話じゃないでしょ」
「う、うん……」
※逡巡。しかし沙貴の瞳に負ける。
「でも、そうなのかな? そう思えるようになれたら……」
「少しずつで良いんじゃない? まずは、先に蒼井先生を懲らしめちゃえ! ジープで追い回された恨みは、成長で返してあげれば良いんだって!」
※苦い記憶がフラッシュバック。勝てたら直ることを期待する。
ここで、歩は沙貴の言葉の中の、「恨み」という響きに反応した。
「……恨みといえば」
「えっ?」
ふと、歩は後ろの席に視線を移す。
「蘭君は、このまま出てこないのかな?」
冬休みが明けてから、霧人は学校に来ていなかった。担任からは特に事情は聞かされておらず、家庭の事情ということでひとまずは周知されていた。
「ほっときなよ。アユくんに負けて、怖気づいたんでしょ。どうせ」
沙貴が周りに視線を配ると、以前に霧人とつるんでいた数名の男子生徒の肩が跳ねたのを見た。居心地が悪そうに舌打ちし、あるいは気まずそうに視線を逸らしながら、彼らは足早に教室から出て行った。
体育の授業、柔道で歩に仕返しをしようと躍起になっていた連中だったが、またも返り討ちにあって、歩と彼らの間にあるパワーバランスは、完全に逆転した。
故に、彼らは歩に逆らえなくなり、そして歩にとっての逆鱗に当たる沙貴に対しても、強気に出ることが出来なくなっていた。
「でも、意外だな。アユくんが蘭のことを気にするなんて」
「別に、あいつが安否とか、家庭の事情が気になってるわけじゃないんだ。ただ……」
「ただ……?」
歩は周囲に目配せをする。まだ何人かの生徒はこちらを見ていたような気がしたので、歩は沙貴に教室を出るよう声をかけ、二人して荷物をまとめて体育館へ向かった。
人気の無い、階段辺りで、歩は思ったことを口にした。
「大晦日の、鉄鋼鬼が暴れた時のことがあったじゃない?」
「うん。まだ、捕まってないんだよね? あの時の犯人」
「そうなんだけど……」
少し話が逸れそうになったので、先に要点を述べる。
「気のせいかもしれないけど、蘭が来なくなったことと、何か関係があるんじゃないかって思ってさ」
「それはッ……話が飛躍し過ぎじゃない?」
「そう、かな?」
「そうよ。だって、年末年始って数日あるわけだし、わたし達が蘭の顔を見なくなったのって、終業式の……クリスマスイブの日だったじゃない」
「あぁ……」
「確かに、期間っていう見方なら合致するところはあるけど、例えばそれで蘭を犯人扱いするのは、ちょっと暴論が過ぎると思うよ? 大体、そんな大それた真似が出来るようなヤツだと思う?」
「……それもそうか」
歩は、誇大妄想を恥じた。沙貴の言うことは、もっともな話だった。
彼からいじめに遭っていたせいか、どうも悪いことを全て押し付けがちになってしまっているようだ。恨みつらみを忘れるかどうかは別として、現実的な問題が出来るかどうか――という意味で、歩は反省した。
ちょっと戦鬼の力を使っただけで――いや、それすらしなくても歩のみの力量でも十分に打倒できる蘭霧人が、警察相手に何が出来るというのだろうか? そもそも、そんな理由すら思い当たらない。警察とは国家公務員――すなわち敵対するのは国を敵に回すこととほぼ同意義だ。何を求めてそんなことをするのか、歩には想像できなかった。
そもそも、不可能だ。
戦鬼にでもならない限り。
PiPiPiPiPi!
「ん?」
「これは……」
洋楽の着メロ。これは蒼井先生からの電話だ。
ひとまず学ランの胸ポケットに入れたスマホを取り出し、通話に応じる。
『歩、急いで来い。今日の訓練は中止、実戦に入る』
「実戦!?」
その一言に、歩と沙貴は背筋を凍らせた。
「どういうことですか?」
『後でする。とりあえず学校の前にブラッガ達が乗ったキャラバンが停まってるから、そこに来い。全員集合だ』
「わ、わかり――」
『後、織部を連れてくるかどうかは、お前が判断しろ』
蒼井は一方的に通話を切った。豪快に見えて、丁寧なコミュニケーションを心掛けている蒼井がここまでするということは、それだけで非常事態であると理解できた。
「沙貴ちゃん」
「一緒に行くよ」
聞こえていたのだろう。沙貴は躊躇わずに答えた。
「たぶん、巻き添えで死ぬかも知れないって意味だと思う」
「アユくんが守ってくれるでしょ?」
「それは、もちろん……」
自信の有無はともかく、そう答えるべきだと思った。
そうでなくては、どうして日頃から苦しい修行をしているのかわからなくなるし、自分の言葉に重みが無くなってしまうように思ったから。
「それに……考え過ぎかもだけど、わたしが離れた隙に何かされたらって思うと……」
「そ、そうだね……」
まぁ、考え過ぎだろう。マンガの読み過ぎとも言えるか?
ついてきたせいで、わざわざ敵の目に触れるような真似をして、それで人質に取られる恐れだってあるのだから。
既知の戦鬼が、全員で当たらなければならない事態。きっと、想像を絶することになるのだろう。
しかし、そんな中でも、蒼井は沙貴の扱いについて「任せる」と言ってくれた。
――どんなことになっても、自分の力で解決できるように立ち振る舞え。
彼は常日頃から、歩にそう言い聞かせてきた。
そうできれば良い、と思いながら、歩は今日まで鍛えてきた。
そして、沙貴は自分に「ついてくる」と言ってくれた。
迷う必要なんか、ないだろう。
「わかった。行こう」
「うん」
歩は沙貴の手を握り、共に駆け足で階段を下りた。
気のせいか、ほんの微かに、誰かの舌打ちの音が聞こえた気がした。
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