閑話 榊家の日常
== 三ケ日から戻ってから、三週間か、一ヶ月かそこらの話 ==
母と親父が帰ってきた。
実に一週間ぶりだ。
もう、一年は会ってないような気がしてならなかった。
「ルー?、ちょっとママ寝づらいかなぁ…」
母の話では、二日後にまた出張らしい。
ついでに親父も。
仕事しっぱなしで休みが無いなんて、理不尽だ。
会社というものがどうやって成り立っているか分からないが、学校みたいに最低でも週二で休みがあるものだろう。
しっかり休まないと、母が過労で死んでしまう。
ついでに親父も。
そうなったら俺は、そうさせた会社という名の社会を絶対に許さない。何が何でも潰して地獄に叩き落してやる。
「ママ疲れてるの、だから一緒に普通に寝ない?」
畳が敷かれている母と親父の寝室。
俺たち家族は今、ほぼ川の字になって一緒に寝ている。
因みに雪美は『ガキじゃねぇんだから今さら一緒に寝ねぇよ』なんて言って、親父と母の間に割って入っていった。口動と行動が全く噛み合っていない。というかお前はガキだ。小五のガキだ。何を言っているんだ、このガキめ。
「ルー、いい加減にしないと、こちょこちょ~するわよ?」
こちょこちょ~…、俺はくすぐられるのが苦手だ。特に脇腹が苦手だ。
誰かがそこに触れようものなら、俺は途端に七日目の蝉になってしまう。
母は蝉爆弾が怖くないのだろうか?。
「こちょこちょ~♬」
何処か悪戯っぽい声音で、母がそう呟き、スススと反対側の左手を俺の脇腹に添えてきた。指が動く。俺は蝉爆弾になる。
「あははッ!やめ、やめてぇ~ッ!!」
俺は
ミミミミ゛と鳴き、必死に暴れる様は、まさに七日目の蝉。
俺は暫くして息絶える。
ミミ…ミミミ゛……(パタン。
「ふふ、ほ~ら、普通に寝ましょ」
「はぁ…はぁ……うぃ」
笑いつかれ、張り付く気力を削がれた俺は、いつの間にか布団の中から出ていたので、母に招かれるままにスポッ、と再び布団の中へと戻る。
ピタリと母にくっつき、毛布から顔を出して母を見る。
オレンジ色の仄かな明かりに照らされるその横顔は、見ているだけで安心する何かがあった。
「ルー君、パパんの左手、空いてるわよん?」
「いきなり気持ちわりぃ声出すんじゃねぇよ、クソ親父」
「ひ、酷いわユー君ッ、パパを足蹴にしてクソ親父だなんてッぷんぷんッ」
親父と雪美もなんだか楽し気だ。
わいわいと小声で騒ぎながら何かを言い合っている。
いつものやり取り。
きいていて、なんだかとてもホッとする。
取るに足らない日常。
それが今は、ただただ心地いい。
「ルーが一人でお外に出られるようになったって、ママ聞いたわ。頑張ったわね、いい子♬いい子♬」
「まぁね、どうってことないよ」
俺の方を向き、優しく頭を撫でてくる母に、自信満々に答える。
底辺Vtuber連合のパーティーへ参加するために始めた外へ出る訓練。
その日々の経験は、俺を少しだけ昔の自分に戻した。
今では、一人で外を出歩くなんて朝めし前なのである(忠犬有)。
えっへん。
「学校…、いけそう?」
いい子いい子しながら、母は少しためらいがちに聞いてきた。
俺が引きこもってから、最初の頃に何度か呟かれたその言葉。いつからか言われなくなったその言葉。
だから今日も、言われることは無いのだと思っていた。
だけど違った。
「…いきたくない」
俺はあの日のことを思い出し、ぼそりと呟いた。
「…もしあれだったら転校とか、する?」
転校…、それは悪くないかもしれない。
だけど、多分、結局は問題の先送りだと思う。
どこへいったって、俺を俺として見てくれる奴なんて、いないのだから…。
俺は首を強めに振り、その提案を拒否。
それなりに充実している今の引きこもり生活の日々を守った。
「…そう、わかったわ、ごめんね、無理いっちゃって」
母はそう言って俺を軽く抱きしめた後、仰向けに戻って寝る姿勢に入った。
「…むぅ」
まだ甘え足りない。
ほぼ一週間放置された俺としては、まだまだ母に構ってほしい。
だけど、母は本当に疲れていたのか、直ぐに寝てしまった。
俺は頬を膨らませて母の寝顔を睨むも、諦めて眠ることにした。
ぐっすりむにゃむにゃ。
== 悪夢は見ない。母は偉大なり ==
毎週、日曜の朝にやっている「プリルきゅあ」という女児向けのアニメ。
俺と母は、二人で一緒に早起きして、今それを見ている。
決して俺が見ようと思ってみているわけでは無い。
母が勝手にテレビのチャンネルをそれにしたから、一緒に見てるだけだ。
いわば、人付き合いならぬ、母付き合いというやつである。
母想いな俺、出来た息子である。
えっへん。
「ルーはほんとにプリルきゅあ好きねぇ、うふふ」
女児向けのアニメを大の大人が見ているという事実は、流石の母も恥ずかしかったのだろう。俺が見てるから見ていると言った風を装ってきた。
俺はちらりと母を盗み見て、ムスっとした表情を作りながらも、悪の公爵と大迫力な戦闘を画面の向こうで繰り広げているプリルキュアの主人公――
『プリルきゅあッ!!バーストストストストリー―ムッ!!!』
『ぐぁあああ゛ッ!!!』
「おぉッ」
プリルきゅあシリーズ最強と名高い主人公の晴海ちゃん。
小学三年生女児が繰り出すその圧倒的破壊光線をくらい、悪の公爵と呼ばれている敵が跡形もなく吹き飛ぶ。
女児向けとはいえ、その凄まじい神作画は、思わず俺に感嘆の声を洩れさせた。
「お目め悪くなるわよぉ~」
手に汗握る戦いに、俺はいつの間にかテレビの間近まで来ていた。…プリルきゅあ、恐るべし。
「お邪魔します……あ」
ソファーに寛ぐ母の所へ戻り、一緒にプリルきゅあの予告を見ている時、不意に裏庭とキッチンを繋ぐ扉から、零さんがこっそり入ってきた。
零さんは、ソファーの背から頭を出している俺をまず見つけ、獲物を見つけたかのように目を細めた後、隣にいる母を見て固まった。
「
「勿論でございます、白帆様」
「……本当かしら。お父さんに聞いてもいい?」
「今日は霞からコマ君様の朝の散歩を任されていたので、これにて失礼」
母はジト目で零さんを見る。
しかし、零さんはどこ吹く風といった様子で、涼し気な表情を浮かべていた。
母のジト目光線を耐えるなんて凄いな零さんは。
俺であったのなら、あることない事全て喋ってしまうのに。
「……さぁ、行きましょうか、コマ君様」
「ワンッ!!」
楽し気なコマ君とは真逆と言った声のトーンで、零さんが玄関へリードを片手に歩いていく。
そんな彼女を見て、母は軽くため息をつく。
「全く、零ったらほんと自分勝手なんだから、ねぇ~、ルー?」
いつも俺に必要以上にくっつき、ほぼ無理やり髪を梳いたり、結ったり、頭なでなでしてくる零さんを思い出し、「自分勝手ッ!」、と母に激しく同意。
「…私は犬より猫派」
玄関の方からぼそりと何かが聞こえた気がした。
けど、気のせいだと思い、俺は邪魔者もいなくなったので、母にべったりとくっついて甘えることにした。
一週間放置されたから、今日はまる一日ずっと一緒だ。
うひひ、幸せである。
「そういえばルー?」
俺の髪を手櫛で優しく梳きながら母。
膝枕の心地よさに二度寝しそうになっていた俺は、「なに?」と返す。
「勉強はちゃんとしてる?」
「……してるよ」
「ほんと?」
「…ほんとですけど」
「一応、学校側には色々と話は付けてあるから大丈夫だと思うけど、先生から出された課題はちゃんとやらないとだめよ?」
「分かってますけど…」
「…ルー、ほんとにわかってる?」
「……むぅ」
まるで信用してくれない母に、俺は頬を膨らませ、ムスっとした表情を向ける。
怒っているぞアピールだ。
別に怒ってないけど、これをすることで母の「勉強しなさい」攻撃が止むので、怒ったふりをする。
俺がどういう行動をとれば母が喜ぶかなど、遠の昔に知り尽くしている。
マザコンなめんな。
「またそんな顔しちゃってぇ、もぉ~ルーったらぁ♬」
ほらね、母はネコナデ声を出し、俺に頬をすりすりしてくる。ちょろい。
「や~め~ろぉ~」
「やめにゃ~い♬」
プリルきゅあの予告も終わったというのに、俺と母は暫くソファーでイチャイチャを続ける。
あぁ、幸福かな幸福かな。
こんな幸せな日常が、ずっと続けばいいのになぁ。
「……朝からなにやってんだよ、気持ちわりぃな」
二階から階段を踏み鳴らしながらやってきた雪美が、俺と母がじゃれ合う姿を見て、冷たくそう言い放ったのが聞こえた。
う、兄としての威厳パラメーターが、たった今、マイナスを記録した気がする。
気のせいだろうか?。
気のせいだと思いたい。
「気持ち悪くないよねぇ~?、ルーにゃ~ん♪」
未だに雪美の冷たい視線が注がれているというのに、母は構わず俺にじゃれてくる。
うぅ、兄の威厳をとるべきか、本能のままに母へ甘えるか悩みどころである。
どっちを選択するべきだ。
むむむ、…くそッ!、悩む!!。
「にゃ、にゃ~ん」
結局、俺は本能には抗えず、仔猫を装って母猫に甘えることを選んだ。
兄の威厳など、この先いくらでも回復できると決めつけて。
「マザコンきめぇ~」
何とでも言うがいい。
今の俺は仔猫だ。
人間の言葉謎理解できにゃいのだから、にゃにを言われても鎌わにゃいッ!。
俺はその後も母に甘えることを止めなかった。
榊家の今日は、その後もとても賑やかに過ぎ去っていくのであった。
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