第17話 カニしゃぶ


「カニしゃぶ……?」


「これは俺の故郷のしゃぶしゃぶという料理で、カニを使っているからカニしゃぶというんだ。こうやって出汁をとった湯の中でカニの身をしばらく泳がせてから、そのまま食べるかタレにつけて食べるんだ。湯の中で泳がす時間によって味が変わっていくから試してみてくれ」


 しゃぶしゃぶは日本の鍋料理のひとつで、出汁をとったスープに薄く切った一口大の食材をくぐらせて食べる。すぐに火が通るように薄く切ったり、生でも食べられるような食材を入れることが多い。


 そしてしゃぶしゃぶの最大の特徴は茹でる時間によって味がだいぶ変わることだ。ほんの少しだけお湯にくぐらせてとろける食感と甘みが味わえるレア状態で食べてもいいし、じっくりと火を通して食べ応えのあるほくほくとしたカニの身を味わってもいい。


「ぬおおおお、うまいのじゃ! 他の料理もうまかったし、ただ焼いて食べるのとは全然違うのじゃな! ヒトヨシ、お主は天才じゃな!」


 ロザリーの表現は大げさだとも思うが、この20年間まともな料理を食べていなかったのだろう。まあ、その状態なら何を食べてもおいしく感じるとは思うが、褒められるのは悪い気がしない。


「これは面白いですね。お湯にくぐらす時間によって味や食感が変わっていきます。そのまま食べてもおいしいですし、茹でる時間やつけるタレ、薬味を変えることによって無限の味を楽しめますね。特にこの濃厚で少し苦みのあるタレがこのカニの旨みを引き出しております」


 ポエルのお気に入りはカニ味噌ダレのようだな。ポン酢もおいしいのだが、カニ味噌を出汁で割ったものをカニの甲羅に入れて熱した特製のカニ味噌ダレは苦みのあるカニ味噌がカニの身の甘さをより際立たせる。


 カニの甲羅の器というのも見栄えが良いんだよな。本当はこれらの料理には日本酒も合うのだが、すでにみんなビールを結構飲んでいるし、ビールよりも酒精が強いから今日はやめておこう。……本当は俺も飲みたいところだが、ここは我慢である。


「うわあ、本当においしいよ! 国王様たちと食べる豪華な料理よりもおいしいかもしれない!」


 それは若干面倒な上司との食事ということでマイナス補正が入っている気もしなくはない。少なくともその国王様とやらよりは良い上司になるように努めるとしよう。


 とりあえず酒も料理もこちらの世界の住人に受け入れられそうで良かったよ。


「カニしゃぶを食べ終わったあとは、カニの旨みがたっぷりと溶けだしたこの出汁で雑炊という料理を作るからな。少しだけお腹は空けておいてくれよ」


「それは期待できそうですね」


「おお、まだ他にもあるのか!」


「うわあ、楽しみ!」


 当然カニしゃぶを楽しんだあとは〆のカニ雑炊である。カニの旨みがたっぷりと染み出したこのカニしゃぶの出汁で作った雑炊だ、すでに勝利の味が確定している。


 こちらの世界にも米はあるらしいが、米を食べない地域もあるらしいので、〆にはうどんも用意している。みんなは米を食べられるそうなので、長年研究されて品種改良を繰り返した日本の米のうまさを見せてやるとしよう。


 それにしても大人数で同じ鍋を囲って食べる食卓というものはいいものである。元の世界での実家では晩ご飯時もいろいろと忙しいため、順番にまかないのご飯を食べることが多かった。大勢でひとつの鍋を楽しんで食べるというのも宿の食事の魅力だ。


 若干不安な面子ではあるが、今日の食事の様子を見て少し安心した。元勇者と前魔王と天使といういろいろと不安のある面子だったが、彼女達ならきっと大丈夫だ。明日からこの4人でこの温泉宿を盛り上げていくとしよう!


「いやあ、それにしてもこのカニしゃぶというものはうまいのう。どれ、最後のひとつは妾がもらうとしよう!」


「甘いね、最後のひとつは僕がもらったよ!」


「ぬわああ、何をするのじゃ!」


「こういうのは早い者勝ちだよ。さて、最後の一本はどう食べようかな」


「妾のほうが先に目をつけていたのじゃぞ!」


「お待ちください、フィアナ様、ロザリー様。おふたりはすでに6本ずつ食べております。ここはまだ5本しか食べていない私が食べることが道理ではないでしょうか?」


「うっ……いやいや、こういうのは数じゃなくて早い者勝ちって相場が決まっているんだよ!」


「それだったら妾のほうが先に目を付けたのじゃぞ! それにお主らは今までいいものを食べてきたのじゃろ。妾はここ何十年もこれほどうまい料理など食べられなかったのじゃ! お主たちに慈悲はないのか!」


「いえ、それとこれとは話は別です」


「元魔王にかける慈悲なんてないに決まっているじゃん」


「ぐぬぬぬ……いいじゃろう、腐っても妾は元魔王じゃ。妾の魔法をとくと見せてやる!」


「そっちがその気なら、こっちも勇者の力を見せてあげるよ!」


「おいバカやめろ!!」


 たかがカニしゃぶひとつで勇者と魔王が本気で戦おうとしているんじゃねえよ!


 ごめん、前言撤回する。この先不安しかないみたいだわ……


 ちなみに最後のカニしゃぶは唯一暴れようとしなかったポエルのものとなった。数だけで言えば俺は4本しか食べていないのだが、さすがにそれを言える雰囲気ではなかった。本当にこの先大丈夫かな……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る