第11話 鍋とすき焼き


「これは鍋料理ですね。ですが鍋が2つあるのはなぜですか?」


「この鍋はヒトヨシさんとポエルさん用で、やっぱり働いていない僕は食べられないということか……」


「フィアナ、違うから! これはそれぞれ味が違う鍋だから、どっちも食べてみて感想を教えてほしいんだよ」


 う~ん、フィアナの社畜的ネガティブ思考はなんとかしないといけないな。というかなんで勇者がこんなにネガティブなんだよ……


「こっちのほうは出汁で煮た鍋、こっちのほうは味の付いた割り下で煮たすき焼きという料理だよ。この温泉宿でも出そうとしているんだけど、こっちの世界の人達の舌に合うか教えてほしいんだ」


「こっちの世界?」


「ああ、詳しくは今度説明するよ。とりあえず食べてみて味の感想をお願いしたいな」


「わかった!」


 フィアナには俺が別の世界から来たことや俺の能力についてはまだ説明していないが、従業員として働いてもらう者には俺の秘密を話すつもりだ。数日くらいは人となりを見るつもりではあるがな。


「こちらの鍋は透明なのですね」


「ああ、こっちは出汁で食材を煮ているから味が薄くついているかわりに、付ける汁に濃い味がついているんだ。こっちがポン酢でこっちがゴマダレだよ」


 こちらの鍋は水炊き風の鍋で、昆布で出汁を取った鍋に野菜と肉を入れて煮て、つけダレで味をつけて食べる。


「なるほど、確かにうっすらとですが、味がついております。そしてこのサッパリとした酸味のあるタレはとてもおいしいですね。まろやかかつ爽やかな風味で食材の味を引き出して、後味がとてもあっさりしております。自分で鍋の出汁とこのポン酢という調味料の割合を調整して好みの味にできるのもポイントが高いですね」


 相変わらず食事のことになると饒舌になる天使さんだ。どうやらポン酢のほうは大丈夫そうだ。


 ポン酢もゴマダレもストアで購入した元の世界で市販されていたものになる。


「こっちのゴマダレというタレもとってもおいしい! 濃厚でクリーミーな味わいが野菜と肉を包んでいるみたいだ。それにこの肉もとてもおいしいぞ!」


 ゴマダレのほうも大丈夫そうだな。ストアで購入した牛肉もそこまで高価なものではないが、フィアナもおいしそうに食べてくれている。元の世界でおいしくなるように一から育てられた牛肉は安くても十分うまいのだ。


「こっちの鍋はすき焼きといって、味の付いている割り下で煮ているからそのままでも味がついているんだ。濃い目の味をつけているから、生の卵をつけて食べるとさらにおいしいよ。一応新鮮で安全な卵を使っているけれど、無理をして食べないでいいからな」


「大丈夫だ。食事会などで出された食事は必ず食べて、出された酒は必ず飲み干すように言われている」


「……この温泉宿ではそんなことは言わないから無理はしないでくれ。あと嫌いな食べ物があったらちゃんと教えてくれよ」


 相変わらず社畜の鑑である。元の世界では取引先の人との飲み会だと、吐いても飲まなきゃいけない時があるらしいが、この温泉宿ではそんなパワハラは絶対にしないぞ。


 ちなみにこちらの世界では卵を生のままで食べたりはしない。一応このストアの能力で購入した食材は刺身も含めて安全なものとなっているのだが、それを証明することはできないから、基本的には自己責任で食べてもらうことになる。


「甘辛くて濃い味が生の卵をつけることで、さらにまろやかに食材を食べることができますね。確かにこれは生の卵をつけたほうが絶対においしいです。それにこれほど濃厚で旨みの強い調味料は初めてですね」


「ああ、これはうまいな! こんな味のする料理は食べたことがない! 味が濃いからこの白くて薄い味のする穀物にとても良く合うのだな。甘辛いタレの染み込んだ肉が口の中で溶けていくぞ。ヒトヨシさんは料理が上手なのだな!」


 すき焼きのタレの味は俺の手柄ではないんだけどな。日本の食品メーカーさんによる日々の研究の勝利だ。一応すき焼き用の割り下を自分で作ることもできるのだが、市販のタレでも十分過ぎるほどうまいのである。


「ちなみに2人はどっちのほうが好きだ?」


「私はこちらのすき焼きのほうが好みですね。生卵を絡めて食べるという料理は見たことがありませんし、こちらの濃い味のほうが好きです」


「僕もこっちのすき焼きのほうが好きだよ。味が濃くって本当においしいね!」


 どうやらすき焼きのほうが人気はあるようだ。やはり生卵を絡めて食べるのは珍しいし、こちらの世界の人達は濃い味を好む傾向にあるらしい。天ぷらや刺身と一緒にこの温泉宿の名物にしたいとこだが、生卵を食べてもらえるか次第だな。


「ふむふむ、なるほど。ありがとう、いいデータが取れたよ。さあ、まだ肉や野菜はたくさんあるから、もっといっぱい食べてくれ」






「ふう、おいしかったですね」


「僕もお腹いっぱいだ。こんなに美味しい料理を食べたのは久しぶりだよ」


「満足してくれたようでよかったよ」


 結構な量を用意しておいたはずなのだが、2人によって〆の雑炊まで綺麗に食べ尽くされた。ポエルが食べるのは昨日と一昨日で分かっていたが、フィアナもかなり食べるんだよね。


「フィアナ様。そちらの着物にタレが……」


 ありゃ、よく見るとフィアナの着物に鍋のタレらしきものがついてしまっている。普段から着物に慣れてもらおうと、フィアナには着物を着てもらっていたのだが、食事中は紙エプロンをつけてもらうべきだったか。


「ありがとう、ポエルさん。これくらいなら全然大丈夫だよ。浄化クリーン


「おおっ!」


 フィアナが何かを唱えると、着物についた汚れがあっという間に消えていった。


 これが魔法か。まてよ……この魔法は温泉宿でもかなり使える魔法なんじゃないか?

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