アーリーデイズ

雨矢健太郎




 親父が死んでからというもの何もかもうまくいかねえ。


 本当はもしかしたらそれよりずっと前からうまくいってなかったのかもしれないが、考えたってよくわからねえ。生まれて来たことが間違いだったのかもしれないが、それでも腹は減る。


 もぐもぐっ。


 味気の無い食パンを頬張りながら隙間だらけの掘立て小屋で身体を丸めた。ポチタを抱きかかえていれば少しは暖かいから、いーや。風が見えない所から入り込みぶるっと身体を震わせる。


 「あー、さみいなあ」


 不満を述べても誰もなあんにもしてくれない。


 「もう一枚、食うか?」ポチタの口元で齧りかけのパンを揺らした。


 「ワフッ」


 嬉しそうな表情のその口元へとパンが吸い込まれていった。おれは笑ってポチタの頭を撫でた。


 ただ寝て起きて、借金を返すためだけに働く日々。これでほんとに生きてるって言えんのかよ? よくわかんねえ。普通なんてもんには生まれてこの方、縁が無いし、多分このままずっと手が届かねえんだろうなって思う。


 「ま、いっかあ」


 仰向けに寝転がり、ぼろい天井を見上げた。ポチタがおれの指先をすんすんしている。デザートの要求だ。


 「わあってるって」


 そっと人差し指を添えるとポチタはかぷっと優しく噛み付いた。


 ポチタは、悪魔だ。


 おれとポチタが出会ったのは、親父が死んだあの日。十字架の下で、あのろくでなしはもう何も喋らず静かに横たわっているらしかった。そしてもう怒鳴りも、喚きも、酒を要求したりもしなかった。ただとんでもない置き土産を残して逝った。


 借金だ。


 それも膨大な。


 墓の前で立ち尽くすまだ幼いおれの元へ、老人が近寄って来た。その見慣れた口元の白髭が揺れた。


 「………なあデンジィ、お前の親父、死んじまったよなあ」


 まるでコップの水がこぼれた、みたいな言い方。おれはそいつの顔を見たくなかったのでずうっと十字架を見ていた。


 「今月の分も払わねえうちに首吊りやがって」


 その莫大な借金の殆どは法外な利子ってやつで、本来おれの親父が支払うべきものではなかった、なあんて知識は当然その頃のおれには無い。今もねーけど。おれはただのガキだったのだ。今もだけど。


 白髭の老人は「明日までに金、作っとけ」と言い、高級そうな艶のある車で人気の無い墓地を後にした。「じゃなけりゃお前の身体をバラして売る」と付け加えて。


 小雨が降っていた。


 そいつがおれの体温を奪った。


 こんなこと、このご時世じゃあよくあることなのかもしれない。世の中ってやつには毎日を面白おかしく過ごしてる奴もいるらしいが、おれはそうではなかった、ただそれだけだ。


 だからっつって、何もかもを受け入れてこのまま死ななくてはならないなんて………そんなのってあるかよ?


 めそめそと無力なおれは小雨に濡れていつまでも親父の墓の前から動けなかった。


 そこで、出会った。


 「ギュルギュルッ」と機械音らしきものが木陰から聞こえた。おれがそっちを見るとその木の根元に何かがいた。


 「あ………悪魔だ」


 おれは言った。


 初めて、見た。


 まあるっこい形状の、子犬のような外観だった。だがその眉間には鋭利な刃が突き出て緩やかに回転していた。悪魔だ。間違いない。


 おれの驚きは、次第に諦めへと変わった。そして言った。


 「………殺すなら殺せよ、どうせおれは死ぬんだ」


 明日の朝にはもうおれの居場所なんて何処にも無い。


 唇を噛み、俯いた。


 目の前の悪魔からの反応は無い。


 恐る恐るおれが顔を上げると、そのチェンソーの悪魔はまだ何もしていないのに横たわっていた。腹には銃痕があり、そこから血が流れていた。こちらをぼんやりと薄目で見上げている。


 明らかに死にそうだった。


 もしかしたらデビルハンターにやられ命からがら逃げて来たのかもしれない。


 おれは何も考えてはいなかった。ただ気付いた時には自分の剥き出しの貧相な腕を、その悪魔に向かって突き出していた。


 「噛め!」


 おれは怒鳴った。確か聞いたことある。


 「悪魔は血ィ飲めばキズが治る、死にたくないなら噛め!」


 悪魔は一心不乱に噛み付くと、喉を鳴らしおれの血をごくんと飲んだ。その姿を見ながらおれは言った。


 「お前を助けてやるから………おれを助けろ」


 歯を突き立てながらも悪魔はこちらを見上げた。その目にはもはやこちらに対する敵意は無い。


 「やっぱおれも死にたくねえ」


 それがおれとポチタとの出会い。


 それからまあなんつーか、おれもデビルハンターの真似事をして借金を返しながら生活している。


 目を閉じると昔のことばかりを思い出す。


 思い出はろくなもんがねえが、ポチタとの出会いだけはラッキーだったぜ。


 ボロ小屋でポチタが人差し指の血を飲み終わるのをじっと待っていた。


 「………もういいのか?」


 「ワフ!」


 ポチタが元気良く言った。


 「よおしっ、じゃあそろそろ行っかあ」


 おれはポチタを抱き抱え街へと降りて行った。


 悪魔を狩るのだ。


 そしてその死体を闇に流し、稼いだ金で借金生活ともおさらばよ!








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