探索魔獣は人と生きたい

幸まる

第一章 ムルナの水

第1話 傭兵

「ほら、飲めよ。喉渇いてるんだろ?」


目の前に座り込んだ金髪の傭兵は、左手の平を深皿のように少し丸め、水筒から水を注ぐ。

そして、その手をムルナの前にズイと寄せた。


ムルナは思わず、一歩分身体を後ろに引いた。

すぐに飛びついて来ると思っていたのか、金髪の彼は怪訝けげんそうに太い眉を寄せ、ムルナが身を引いた分、更に腕を伸ばしてきた。


ムルナの身体はぶるりと震えた。

乱れていた濃青色の羽根が、ぶわと一回り大きくなって、長い紺の尾羽根が細かく揺れた。


確かに、とても喉が渇いていた。


水をくれるはずの主人は、今ムルナが発見した魔石が埋まる岩壁にそろりと手を添わせ、何やら薄っすらと笑みを浮かべたまま、ブツブツと小さく独り言を呟いている。

ムルナに労いの水を与えることは、すっかり頭から消え去っているようだ。


ムルナは薄く開いた栗色のくちばしから、ハ、ハ、と小さく息を漏らす。



……飲みたい。


あの水が、傭兵の彼の手の平で微温ぬるまってしまう前に、嘴で掬って、このカラカラの喉に流し込みたい。

でも、でも……。



〔やめろよ、ムルナ!〕

そう言って、ムルナの嘴にフサフサの長い尻尾を巻き付けて閉じさせたのは、栗鼠リスにそっくりな魔獣のラッツィーだ。


〔今、ベルキースがあるじを呼びに行ったから。もうちょっとだけ辛抱しな〕

ラッツィーは尖った爪の付いた小さな手で、ムルナの嘴の付け根をペシペシと叩いた。

一見すると野山に生息する栗鼠リスと変わらないが、良く見ればフサフサの太い尻尾は、細い三本がり合わさって太く見えていた。


ラッツィーはムルナの嘴に尻尾を巻き付けたまま、傭兵に向かってチィーッと威嚇の声を上げた。

「なんだよ、怒るなよ。あ、お前にもやろうか?」

傭兵の男が右手の水筒を振る。

〔いるかっ! こいつ、絶対バカだよ〕

男には聞こえない声でラッツィーが言った。


魔獣の会話は、基本念話だ。

魔獣同士には理解できても、人間の、ましてや魔術に縁がなさそうなこの傭兵には聞こえないだろう。


しかし、ムルナにもラッツィーの言葉は耳に入らなかった。

金髪の彼が振った水筒から、チャプチャプと水音がして、思わずヒクリと喉を震わせる。


もう、どうなっても良いから水が飲みたい……。


そう思った時だった。




◇ ◇ ◇




金髪の傭兵テオドルの目の前で、山鳩程の大きさの青い鳥は、両手で掬い上げられるようにしてヒョイと持ち上げられた。

鳥の栗色のくちばしに尻尾を巻き付けていた栗鼠リス型の魔獣は、するりと尻尾を解いて、軽く地面に降り立つ。


「テオドル、私の従魔には何も与えないでくれと言っておいたはずですが?」

不機嫌そうに言ったのは、くすんだ灰色のローブを着た男だ。


ひょろっと背が高く、白い短髪は寝癖なのか、ところどころでピョンと跳ねている。

レンズの分厚い丸眼鏡を掛けていて、その奥の瞳は色味の薄い水色のはずだが、今はほとんど見えない。

首からは、革紐を通した小さなメモ綴りを二冊下げていた。


大型犬のような魔獣が音もなく歩いてきて、彼の足元でお座りする。

見た目は大人しそうな白い長毛の犬で、立った三角の耳と、足先、柔らかな長い尻尾の先が薄い紫灰色だ。


「何だよ、ヘッセン。水も駄目なのか?」

「駄目です」

ヘッセンと呼ばれた白髪の男は、キッパリ言った。

「だってよ、コイツ、ものすごく喉が渇いてるみたいだったからさ」

テオドルは顔をしかめ、左手に溜まったままだった水を地面に捨て、立ち上がる。

ズボンの腰の辺りで、濡れた手の平をゴシゴシと拭いた。

「へえぇ? 分かったのですか? 傭兵のあなたが? 魔術の素質も全くないのに、どうやって魔獣の気持ちを?」

ヘッセンは口を曲げて尋ねる。

その口調には随分とトゲがある。

どうも、壁肌を観察していたのに邪魔されて、機嫌を損ねたようだ。


「あれだけ全身で主張してれば、誰にだって分かるだろう。……何でもいいから、早く水やれよ」

テオドルはヘッセンが抱える青い鳥を指差した。

その鳥は、ヘッセンの両手の中で抵抗もせず、ぐったりと頭を下げてくちばしを薄く開いていた。

ただその視線だけは、今テオドルが足元に溢した水の跡を見つめたままだった。


「ああ。……さあ、ムルナ。ご苦労でしたね」

ヘッセンはムルナと呼んだ青い鳥を地面に下ろし、側に置いていた荷物から深目の丸い器を取り出すと、テオドルの持つ水筒を取り上げて、なみなみと水を注いだ。

「アンタな……。まあ、いいけど…」

他人の水筒を奪って、当然のように水を与えたヘッセンを軽く睨んだが、テオドルは急いで水を飲むムルナの側にしゃがんだ。


「どうだ、美味いか?」


器の水に嘴を突っ込み、何度も首を持ち上げては掬い上げた水を喉に流す鳥を、テオドルは見つめる。

赤みがかっだ茶の瞳は、楽しそうに細められている。



一心不乱に水を飲んでいたムルナが、突然ぷるっと首を振った。

嘴に付いていた水滴がテオドルの顔に散り、彼は楽しそうに、ははっと軽く笑う。


ムルナは不思議そうに彼を見上げ、つぶらな深紅の瞳を瞬いた。




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