第18話

台所でバタンと倒れる音がした。

和室で1人遊びを楽しんでいた比奈子は

その物音に反応して、移動した。


母の果歩が倒れたのか、

父の晃かを確かめに行った。


平日の夜は、いつも飲み会に参加するはずの晃は、珍しく、夕ご飯を一緒に食べていた。


合コンに参加するんだと智也に振られた晃は、致し方なく帰ってきた木曜日。


しょうが焼きを作って家族3人水いらずで

夕飯を食べて、慰安旅行に行くと晃が話した後、心中穏やかではなかった果歩は台所でコップ1杯の水を飲んだ後だった。


脱水だったのか過労だったのかは

わからないが、その場で崩れて倒れていた。


晃は、バタンと音に反応にして、

すぐに様子を見に行った。


ただ、転んだだけかと思った。


果歩の唇が紫でカサカサになっていた。


肩を叩いて、声をかけた。


「果歩、果歩。おい、果歩!」


 眠っているにしては様子がおかしい。

 意識があるかないかわからない。

 晃はパニックになって、その場をウロウロし始めた。


「え、ど、どうしよう。」


 そんな時に猛スピードで何かが動いた。


 比奈子だった。


 果歩の首元の頸動脈の確認と

 口元に手を置いて、呼吸の有無を

 し始めた。


 テーブルに置いてあった

 果歩のスマホを取り出し、

 パスコードをいとも簡単に解いた。


 あまりにも早い動作に目を疑った。



「それ、かなりやばいよ!!」


比奈子は、スマホのパスコードを解くと

すぐに119番をタップした。


「え、え??

 比奈子??!

 何してんの?」


 比奈子は背筋をピンと張った。

 

(まずい、気づかれた?

 でもお母さん、死んじゃうし、

 連絡しないと

 救急車呼ばないと!!)


 目から大量の涙が出ていた。


 もう、自分が3歳じゃないとか

 前世が絵里香とか

 今はそれどころじゃない。

 

 果歩が、お母さんが、

 生きてられるのかが

 心配だった。


 電話を大人なみの対応力でテキパキこなす。


 今の状況、ここの住所、

 自分の名前、父親がそばにいることを

 電話口の119番担当の人に

 細かく話した。



電話を終えて


「今、すぐに来るって!!

 ほら、早く、心臓マッサージして!!」



「え、あ、え。はい。」


 先生に言われたような雰囲気で

 晃は果歩の心臓マッサージを行った。


「あと、人工呼吸もしてよ!!」


 比奈子は大きな声で叫んだ。


「え、あ、うん。わかった。」


心臓マッサージと人工呼吸を交互に行った。


 しばらくして、どうにか、

 呼吸を取り戻した。


 ちょうどよく、

 救急隊が家に到着したようだ。

 家の前の駐車場にサイレンを

 鳴らしてやってきた。


「お邪魔します!

 救急隊です。

 奥様はどちらですか?」



 話を聞いていた救急隊は、

 急いでたんかを持ってきた。

 晃は状況を説明した。

 


「呼吸は戻ってるようですね。

 血圧が少し低いようですし、

 顔が白いので…。

 急ぎましょう。

 旦那さまの早急な処置で回復が早そうです。

 すぐに最寄りの病院に向かいましょう。

 同乗をお願いします。」


「え、はい。

 娘も一緒に大丈夫ですか。」


「奥様の緊急性を要するので、大丈夫です。

 急いでください。」



 晃と比奈子は急いで、

 必要な荷物を用意して、

 救急車に一緒に乗り込んだ。



 発車するとともにサイレンが鳴る。


 人工呼吸をつけられている果歩。

 

 辛い思いさせてしまったからか。

 過度なストレスが原因なのか。


 晃は果歩の眠る横でじっと顔を見た。


「旦那さまでしょうか。

 奥様のお名前と生年月日の

 確認よろしいでしょうか。」


「はい。

 えっと、小松果歩、33歳。

 生年月日は、平成2年11月26日です。」

(そういや、

 今年、果歩は本厄だ。

 気づかなかった。

 体調崩すはずだ。)


 今更ながら、妻の状況を知る晃。

 自分自身は36歳になった。


 晃の横でちょこんと

 座る比奈子は真似をするように

 両手をぎゅっと握りしめて

 不安になっていた。


 あんなにテキパキと電話をしたり、

 晃に指示したりと

 3歳でできるのかと疑問に思った。


「おそらくなんですが、

 果歩さんは、

 心臓発作を起こしたと

 思われるのですが、 

 持病をお持ちで

 定期のお薬を飲んでいたりしますか?」


「いや、それは…把握してません。」


「あ、それは!!」


 比奈子はバックの中から、

 果歩のお薬手帳を出した。

 よく知っていた。


「お嬢ちゃん、すごい働き者だね。

 賢いし。」


「あ、すいません。逆に何も知らなくて。」


「いえいえ。お薬の情報があるだけでも

 担当の先生も楽ですよ。

 えっと…。睡眠薬くらいでしょうか。

 あとは何もないですね。」


 晃は、知らなかった。

 睡眠薬を飲んでいるなんて

 一言も聞いていない。



「え、そうなんですか。」


 目を丸くして、夫として情けなく感じた。

 一緒にいて気づかないことあったのかと

 後悔した。


 病院に行ってることなんて知らなかった。


「はい。ごめんね。

 ありがとうね。」


 救命士は比奈子にお薬手帳を返した。


「うーん、特に心臓の病気はないようなので

 過度のストレスとかでしょうかね。

 ストレス負荷がありすぎると

 血液の循環は良くないですから…。

 あくまで個人的な意見なので、

 詳しくは

 医師の判断にしたがってくださいね。

 検査してみないとわかりませんから。

 もうすぐ病院着きますよ。」



「はい、ありがとうございます。」



 複雑な面持ちの中、

 晃と比奈子は病院の中に入る。


 診察に入ると

 心電図検査と脳波、CT、

 血液検査をしたが、これと言って

 異常値を示すことはなかった。


「過労…ってところでしょうか。

 ゆっくり休ませてあげてください。

 守れるのは旦那さまですからね。

 今日はとりあえず、こちらで

 点滴して帰りましょう。

 心臓に関しては専門の先生に 

 紹介状書いておきますから 

 後日診察に行ってみてくださいね。

 お大事にしてください。」


「ありがとうございました。」


「……。」


 ベッドに横になったまま意識の

 戻った果歩は何も言わなかった。

 晃はぺこりと医師にお辞儀した。


 

 待合室で持ってきたぬいぐるみで

 遊んでいたかと思った比奈子は、

 はじっこに寄りかかって

 いつの間にか、こっくり眠っていた。


「ごめん、俺、

 いったん銀行ATM行ってお金

 おろして来るわ。

 車無いから帰りタクシーで帰るだろ?」


 黙って頷く果歩。


「うん。何か飲みたいものある?」


「別に……。点滴してるし。」


「……そっか。んじゃ、行ってくる。」


 明らかに機嫌が良くなさそうだった。

 少し後ろ髪引かれる思いで

 処置室を出て、 

 待合室にいる比奈子に声をかけた。


「比奈子?

 おーい。」


「え…。」

 

ハッと目が覚める。


「何か飲みたいのあるか?

 俺、買い物してくるから。」


「えっと、いちごみるく。」


「うん。わかった。」


さっきの3歳とは思えない行動のことは

咎めることはないことにホッとする。

でも、いつかは言われるのかなと

ドキドキした。


椅子から飛び降りてトテトテと、晃の後ろを

着いていく。


「お父さんは何飲むの?」


「サイダーにするかな。」


「そうなんだ。」


「あ、その前にお金おろさないとな。

 手数料かかるけど、仕方ないよな。

 緊急事態だから。」


病院内にあるATMに

キャッシュカードを入れて、

ボタンを押した。


「比奈子、初めて、救急車乗ったな。

 びっくりしただろ。

 早く病院に着いてよかったよな。

 お母さん、元気になったし!!」


「……うん。」


 晃のテンションに着いていけない3歳児。

 本当のこどもなら元気に喜ぶのだろうか。

 今はそんな雰囲気ではいられなかった。


「比奈子さ、本当はさ…。」


 晃はじっと比奈子の顔を見る。


(え、あ、バレたのかな?!)


 目をギュッとつぶった。


「マジ、天才児なんじゃね?

 てか、なんで

 お母さんのパスコードわかるの?

 救急車呼ぶ番号って119って

 よく知ってるなぁ。

 しかも、

 心臓マッサージとか人工呼吸とか

 看護師とか医者なれるんじゃないの?」


 想像以上に知能レベルが低下していた。

 ゲームする時間が増えて、

 睡眠時間が削られているだからか

 晃は、こどものような発想している。


(少しでも

 疑ってくれた方がスッキリするわ…。)


 ふとため息をつく。


「まるで、

 絵里香みたいな

 口調だったんだよなぁ……。

 あいつ…近くにいたら

 そうしてたのかな。」

 

 自販機で買ったペットボトルのサイダーを

 ぐびっと飲んだ。


(え?!今なんて

 私、バレた?完全にバレた。

 いや、もう、こどものふりしなくちゃ。)


「ちちんぷいぷいのぷーーーい。」


訳のわからない呪文のような言葉を発する。

突然のことで晃は息を飲んだ。


「………。」


数秒後、口に含んでいたサイダーを拭いた。


「ブハッ!!何それ、

 なんで急にそれ言うの?

 比奈子、面白いな。」


 恥ずかしくなって影に隠れた。

 どうにかごまかせた。

 

 しばらく笑いがおさまらない晃。


 その頃の果歩は、点滴を打たれたまま

 ゆっくり休めると

 ぐっすり眠っていた。


 至福のときを感じていた。

 

 こんなに1人の時間をゆっくり

 取れるなんて何年ぶりだろう。


 晃のことなんてこれっぽっちも

 考えていない。


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