第35話 現実世界と仮想世界
夕飯を食べ終えた大和は、仮想世界に入り込んだ。
グラウンド・オルタナスとは違う別の世界だ。その世界の名は「セカンド・エデン」。アメリカの企業によって創造され、グラウンド・オルタナスの次に参加人数が多い仮想世界である。
メタバースは、大和みたいに複数の世界を行き来する人が大半だ。2つ以上の世界を行き来する人は85%にも及ぶ。睡眠を覗いた時間で、メタバース世界の方が長く過ごしている人が約半数居る。
メタバース内で待ち合わせ、遊び・観光・ショッピング・音楽や映画の鑑賞・デートなどをする。メタバース内であれば準備に時間が掛からず、何処かへ行くのも現実世界の何倍も安い値段で行ける。例えば金星への観光は日本円にして数万円で、北極にオーロラを見に行くのも同程度の金額だ。
セカンド・エデンの中枢都市はユグドラシルで、同都市は9つの世界に大別されている。最も多くのアバターが集う都市部に始まり、海底都市、空中都市、火山、雪原、宇宙、ジャングル、砂漠、光の世界だ。
ユグドラシルの中心には、山より遥かに巨大な大樹が聳えている。枝の上に建築物が建てられ、アバター達の多くはそこに居住地を持っている。道具を購入すれば空中飛行が可能なので、ユグドラシルの世界では大多数のアバターが空を飛べる。
勿論地上も栄えている。150階建ての商業施設や、万華鏡に入り込んだようなコンサートホール、サーキットレースは雲の中や山の上を走る。水泡の中に入って珊瑚礁の海底をクルージングしたり、火山地帯でのグランピングデートは現在のカップルの流行だ。
アバターは多種多様の外見をしている。エリザみたいな精霊や、耳の尖ったエルフ、二足歩行の狼は鎧を装着し、身長120センチ程度の小人は頭に三角帽子を乗せ、つるっとした宇宙人やグロテスクな緑色のミュータント、喋るイルカ、擬人化した桜、鳳凰、童話から出て来たプリンセス、著作権が切れた過去の偉人(ジョン・レノン、マイケルジャクソン、クレオパトラ、楊貴妃、ナポレオン、アイザック・ニュートン、織田信長など)が道端を歩く。人々は現実世界では不可能な体験をこの世界で楽しんでいる。
ユグドラシルは既に現実世界のどの都市よりも文明が進んでいた。
ヤマトは、宛も無くユグドラシルの世界を練り歩いた。以前からユグドラシルはメタバース世界の先駆者だったが、ここ5年の成長は驚異的だ。この世界を体験してしまえば現実世界への興味が無くなってしまうのも無理はない。
現実世界のニュースで見た東京の下町とこのユグドラシル。2つの景観が両世界の勢いを如実に表していた。
雲に掛かる高さのオレンジ色のタワー。その頂上でヤマトは腰を下ろした。ある人物を待っていた。
それからどのくらい経っただろうか。15分程度な気もするし、3時間くらいな気もする。
虹色の鳥が空を横切った時、ヤマトは声を掛けられた。
「景色を眺めるのが好きなのかい」
ヤマトが首だけ傾ける。1人のアバターが宙に浮いていた。
アメリカのスーパーヒーローの姿をしたアバターだった。青いボディスーツに赤いベルト、風になびくマントと顔を覆うマスク。
現実世界だったら笑われ者だっただろうが、この世界ではどんな見た目の者が居てもおかしくない。だからヤマトは警戒しなかった。
「あそこに川があるんです」
ヤマトが指差す先に水面が輝く川があった。
「それがどうかしたのかい」
「川を見ていると、心が落ち着くんです。川は大きいけど皆が同じ方向に向かって進んでいる。一部分だけ逆流したり、氾濫したりしない。水中の魚は逆らっているのかもしれませんが、全体では同じ方向を向いている」
スーパーマンは顎に手を添えた。
「うむ……。中々考えさせることを言うね」
「今日ここに来たのはたまたまです。普段はショッピングモールの中に居たり、空から人を見下ろしたりしています」
「うん、あとは星が降ってくる丘で仮眠したりだね」
どうやら自分の行動はずっと見られていたらしい。
「ずっと待っていました、貴方が来るのを」
「遅くなって申し訳ない。こちらにも色々と事情があってね。それでこのタイミングになってしまった」
スーパーマンはふいに紙飛行機を出現させ、空に向かって投げた。
「ん? どうかしたのかい」
「いや、意外でした。そういうことをするんだなと思って。国や世界を代表する立場の人が」
「そう、するんだよ。僕も同じ人間で根本は君と変わらないんだ。怒ったら道端の石ころを蹴り飛ばすし、ホテルマンへのチップも少ししか置いていかない。上機嫌な時は近隣のマダムに鼻歌交じりに挨拶するんだけどね。ごくたまにだけど嫌いな同僚のノートに落書きをする」
ヤマトはこの数分で男に好感を抱いていた。それも彼の仕事の内だと知った上で、彼に心を開き掛けている。
「じゃあそろそろ本題に入って良いかな」
「お願いします」
ヤマトは流れに背かない。この男と自分は同じ1つの川なのか、見極める必要があった。
「初めまして、新 大和君。私はアメリカ国防総省の諜報・安全保障担当国防次官のロバート・アレンだ」
大和が想定していた以上の大物だった。日本政府の誰かが接触してくるものだと思っていたので、事の重大さを感じた。
「まず始めに、礼子さんのことについて謝罪させてもらう。大和君、本当に申し訳無かった」
大和は目を丸くする。
「ちょっと待って下さい。母を襲ったのは貴方達だったんですかっ。どうして」
「本当に済まない。あれはただの事故だったんだ。あの日、我々は偶然君より先に礼子さんを発見した。それで部下がご挨拶をと思い追い掛けた。だが東京の駅は利用者が多く、焦った部下は誤って礼子さんを押してしまった。それがあんなことに……。本当に済まなかった」
あの事件の真相はこんなものだった。ヤマトは拍子抜けしてしまう。
「一番良くなかったのは、我々の部下がそこで逃走してしまったことだ。それが事態を暗転させた。我々は君を勧誘するつもりだったが、思わぬトラブルとなってしまった。だから『勧誘』じゃなく『脅迫』に変わってしまった。あの状況で君を勧誘しても、心象は最悪だったろうから。結果、裏目に出てしまった訳だけれど」
ロバート達とサルマは、ほぼ同時に大和に接触を図った。一足先早かったロバート達だったが、礼子の事件を起こしてしまう。大和達の信頼を取り戻す前に、サルマがグラウンド・オルタナスでヤマトに接触した。
それ以降、ロバート達は迂闊に大和に近付けなくなった。礼子やエリザのことを考えて。
世界政府はヤマト・アストラル抜きの計画を画策したが、ヤマトの戦闘力は誰の目から見ても突出していった。確実に仲間に取り込んでおかないといけない、そう思うほどに。
「じゃあ防犯カメラや僕のスマートデバイスのデータを操作したのも、ロバートさん達ですか」
「ご察しの通り、我々が操作した」
大和は腑に落ちた。あの事件は国際機関レベルでないと不可解な事象が多かった。今日此処に彼が会いに来たのもそうだ。この世界で大和は「ヤマト」を名乗っていない。大元のデータを辿らなければ、大和を見つけられなかった。
「今度、部下の方でも構わないので直接母に謝りに来て下さい。それで無かったことにします」
「分かった。ありがとう、大和君」
ロバートは誠実な目をして見せた。
「ではここからは、今日私が会いに来た理由を説明したいと思う。こちらの展望に気付いているかもしれないが、付き合って欲しい。現状をちゃんと把握して貰いたいからね」
「分かりました」
ロバートは世界の現状と今後のメタバース、グラウンド・オルタナスについて語り始めた。
「この世に生み出されたメタバースは世界を発展させた。2020年代の時点で、メタバースは科学の進歩の証明であり、革命だった。人類は新たな歴史の扉を開くことに成功したんだ。
だが、現在世界ではメタバースにより地球が崩壊させられるというシナリオが持ち上がっている。世間の人々は気付いていないが、上層部は既に認知済みだ。現在最も解決すべき問題という認識が一致している。
主な原因は、グラウンド・オルタナスを含むメタバース世界が膨張し過ぎたことだった。人々の生活と意識がメタバース中心になり、国や企業はその流れを追従する。企業はメタバースでのビジネスを基盤にし、国は予算の中から給付金などの政策を打ち出す。他国との競争に負けないようにした。メタバースにそれだけの需要と売上が見込まれていたのだから、当然の帰結だった」
ロバートが続ける。
「それによって何が起きたか。現在世界から人々が消えているんだ。次々にメタバースへ人が流れ、現実世界から労働力が失われている。
メタバースの使用人数は先日45億人を超えた。グラウンド・オルタナスだけで25億。現実世界で経営する企業や店は、売上が低下し、倒産・閉店が相次いでいる。
つまり、現実世界がメタバース、しいてはグラウンド・オルタナスに飲み込まれているんだ」
先程のニュースでも流れていた失業や閉店、倒産など雇用に関する話題が増えている。大多数の業界で売上が低下し、規模が縮小している。退職希望者を募集する企業は後を絶たない。
雇用機会の減少に拍車をかけたのは、AIやロボットの普及だ。所謂ホワイトカラー(事務員など)やブルーカラー(工場などの作業員)の単純作業の労働は、大半がAIに引き継がれた。
世界の都市から店や企業、人が減っている。閑散とする景観が増え、街が寂しくなっている。少し前にニュースで流れたロンドンは、コロナウイルスでロックダウンした時の映像を再放送しているみたいだった。金融街を歩くビジネスマンは少なく、カラスが道を占領していた。
「何より危険なのは」
ロバートの話は続く。
「メタバースにドラッグやアルコール以上の依存効果があったことだ。
出勤は自宅でゴーグルを装着するだけなのでお手軽、時間が短縮でき、その分時間を有効に使えるようになった。これはプライベートにも通ずる。
見た目も自由だ。アバターを用いるから、現実世界の自分がどんな外見でも構わない。お金と時間を掛けなくて良くなった。人々の偏見やコンプレックスが、解消された。
身体に不自由な者でも働けて、言語も瞬時に翻訳される。世界の人々との繋がりがより簡単になった。アバターを用いることで仕事に積極性が生まれ、仕事でミスをしてもアバターを挟むことで心の傷を和らげてくれる効果が生まれている。
他にも理由は多数あるが、これだけ便利で、現実世界より賃金が高く、新たな世界を体験できるメタバース世界には、強力な中毒性があった。
仮想世界から、人々が帰ってこなくなってしまった」
「対策は施さなかったんですか」
大和は尋ねる。
「気付いた時には遅かった、というのが正直な所だ。例えばメタバースの1日のプレイ時間の制限、雇用に各国政府の許可が必要、国の人口に応じたメタバース参入人口の限度などを法律化しようとしたが、増加したメタバースプレイヤー達に拒まれた。強引には採決出来なかった。何故なら何十億人のプレイヤーが暴動を起こす恐れがあったからだ」
メタバース世界だけが成長し、現実世界は衰退している。その流れが日に日に加速している。
地球全体のGDPは上昇しているが、メタバース内のGDPが増え、現実世界のGDPは減少している。
数千年前から諍いはありつつも世界全体で見れば常に成長してきた現実世界。それがメタバースの出現により成長を止めようとしている。
このままメタバースの中核であるグラウンド・オルタナスが成長を続ければ、世界は崩壊する。車も建物も科学も人間関係も新しい物が生まれなくなり、現実世界がただ食事と睡眠を摂りに帰って来る場所になってしまう。
大和はいつかエリザから聞いた言葉を思い出していた。
「世界を出来るだけ存続させるには、その成長を極力緩やかにすること」
ならばメタバースに人々が移行するのは、地球と現実世界の存続を引き伸ばすことになるのではないか。限りある資源、木や土や鉱石や宝石を国々は奪い合っている。その競争が減らすことになるだろう。理論的にはメタバースが中心の世界になる方が、世界は存続する。但し現実世界の経済や文化は衰退し、何世紀か前の生活水準に戻る可能性がある。
詰まる所、どの未来に定めるかで答えは変わってくる。何十世紀も先を見据えればメタバースへの移行は正義だが、程近い未来を優先するならメタバースへの移行は悪となる。
ロバート・アレンはスーパーマンのマスクを脱ぎ取った。
「分かってくれるね、大和君」
ロバートは切実な眼差しをしていた。
「君を信じているよ。君は世界の破壊の使徒では無く、世界の救世主だと。私達と共に、世界を救って欲しい」
全てを話し終え、国防総省の次官は去って行った。
ロバートが去った後、大和はその場に残った。
グラウンド・オルタナスを壊したくはなかった。メタバース、そしてグラウンド・オルタナスは自分を救ってくれた。社会に馴染めない自分を受け入れ、自分らしく居られる場所を提供してくれた。グラウンド・オルタナスのお陰で、この世界が美しいと思えた。
「俺は……」
なにより、もしグラウンド・オルタナスが消滅すればエリザに会えなくなる。
ならば現実世界で会えば良いのか? それは違った。大和が好きなのは、あのエリザ・ストレインだからだ。
現実世界のエリザが、グラウンド・オルタナスのエリザより美しく、聡明で、魅力的だったとしても、大和が恋しているのはあのエリザ・ストレインに他ならない。
もしかしたら、現実世界のエリザと今以上の関係が生まれるのかもしれない。その反対で、関係が壊れてしまう可能性も大いにある。
「エリザに会わないと」
2人は話さなくてはならなかった。
この未来をどう進むのか、2人は決断しなければならない所まで来ていた。
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