第25話 離婚とメタバース世界の結婚

「ホンマやで、エリザちゃん。いつも子犬みたいなヤマトがな、爆走してん。それが速うて速うてやな。このワイですら追い掛けるのに精一杯やったんや」


「ふふ。そうなのですね」


 帰りの宇宙船にて、ウォードがエリザに話をしている。エリザは笑っていた。


「ウォードよ、エリザ様は疲れていらっしゃる。静かにせんか」


 ギランがウォードを注意する。


「何でや爺さん。ええやんか。久しぶりにエリザちゃんに会えたんやし。なあ?」


「ギラン、良いのですよ。私も皆さんに会えて嬉しいですから」


「そんでな、そんでな」


 ウォードとエリザの掛け合いが後方の席から聞こえている。しかし、ヤマトの頭には入っていない。別のことで頭がいっぱいだった。


 ギランがその様子に気付く。


「どうした、小僧。疲れたのか。休んでいても良いのじゃぞ」


「はい、ありがとうございます。……ギランさん、あの」


「何じゃ」


「このグラウンド・オルタナスは、今後どうなっていくんでしょうか」


 ギランはややあって答える。


「さあのお。年老いたワシには分からんわい。じゃがジュベルはアメルゴン王国と結託し、シーロンやラゾングラウドの好きにはさせんじゃろう。これまでもそうだった。だから安心せい。ジュベルはそんなにやわでは無い」


 ――本当にそう信じていいのだろうか。


ヤマトは無限の宇宙を眺めながら思う。これまで大丈夫だったから、今後も大丈夫と言い切れるだろうか。その過失こそ崩壊の始まりではないのか。


 現にギランは、ジュベルとアメルゴン王国の事実関係を分かっていない。サルマが言っていることが正しければの話だが。


「なーにをうじうじしておるんじゃ。もしもじゃ、何かあったとしてもお主がなんとかするんじゃ。そのくらいの覚悟を持て。貴様は強くなった。思考が未来を引き寄せるんじゃ」


「はい」


 自分がやるしかないのかもしれない。この世界にばら撒かれた侵略の種を摘み取り、グラウンド・オルタナスを存続させる。それは自分に与えられた使命なのかもしれない。


ギランが思い出したように言う。


「そういえばあの女は結局何がしたかったんじゃ。金でも要求したかったのか」


「……ですね」


 エリザの帰還に湧く宇宙船で、ヤマトだけがその果報を素直に享受出来なかった。




 〈★〉


 現実世界に戻った大和。礼子の事件の犯人探しは、依然継続中だった。


山形は礼子と大和の情報を擦り合わせ、容疑者を当たっていった。しかし怪しい人物は居なかった。捜査は難航していた。


 山形ら警察は、防犯カメラの映像や改札機のデータ、目撃者の証言、大和の自宅に投函された手紙から指紋を調べるが、何も出てこない。マンション入口の防犯カメラには怪しい人物は映っておらず、誰があの紙を投函したのかは不明だ。


マンションの住人にも聞き取りが実施された。あの日・あの時間に不審な人物は居なかったか。その捜査も空振りに終わる。配送ロボットも何もしていない。


更に驚くべきことに、大和のスマートデバイスからも注文履歴が消えている。山形と大和は唖然とした。ありえない現象だった。


 以上の理由から、礼子の事件に関する捜査は膠着していた。が、突然山形から電話が掛かってきた。電話の内容を聞いて大和は驚いた。


「大和君かね。私だ、山形だ。朗報だよ、犯人が捕まってね」


「え」


 山形から連絡があったのは礼子が事件に遭ってから2週間後。グラウンド・オルタナスでサルマを訪ねて1週間後のことだった。


「本当ですかっ。ありがとうございます」


 大和はタワーマンションの自宅で胸を撫で下ろした。これで礼子に対する脅威は無くなった。


 電話しながら、大和は街の風景を眺める。此処から下を見るのが好きだった。


今の大和には、現実世界の方が新鮮だった。1日の大半をグラウンド・オルタナスで過ごし、礼子以外の人と接する時間はかなり短い。しかし別物に見える2種類の世界だが、同じ人間の魂が入っていて、同じ問題に直面している。


どの国が主導権を握るのか、何処と何処が親密なのか、今後成長してくるのはどの国か、どの業界か、どの分野か。


だが、現実世界とグラウンド・オルタナスはどこまでいっても混じり合えない。大和はそれが悔しかった。


エリザとは、永遠に夫婦になれないのだろうか。心の距離は近付き続けているのに、2つの世界はこの地球と宇宙の果てよりも離れている。そんなことを考える度、大和はエリザが恋しくなった。2人を隔てる世界の壁を悲嘆した。


「だがね、犯人の様子がおかしいんだ」


 電話越しで、山形が困惑した空気を醸し出す。


「自分から出頭して来たのに、どうやって犯行に及んだのか言おうとしないんだよ」


「それは不自然ですね。……山形さん、僕はその犯人に会えたりしませんか」


「大和君が犯人と? いや、それは難しいな。危害を加えられるかもしれないからね」


 警察の留置所に被疑者が居る場合、法律上は接見可能だ。ただその判断は警察署長に委ねられ、加害者・被害者双方の精神の安定・安全の為断られることが多い。犯人が刑務所に入ってしまうと、友人や親族・弁護士・勤め先の経営者など限られた人物しか面会出来ない。つまり、被害者側が加害者に会う手段は殆ど無い。


「じゃあ例えば取り調べをしている様子を見させて貰うのは。やっぱりどんな相手か見たいんです。そのくらいの権利は僕にあると思うんです。被害者の息子の僕には」


 大和が押す。


「それもちょっとね……」


 山形は困った。


「接見は諦めるのでお願いします。そのくらい出来ないと被害者側は憤りますよ」


「んんう、分かった。一度署長に掛け合ってみよう。ただあまり期待はしないでくれ。基本は断っているんだ」


「ありがとうございます。宜しくお願いします」


 山形が否定的だったので、大和は期待していなかった。が、数日後に山形から連絡が来た。


「受諾されたよ、こんなこともあるんだな」と山形が一番驚いていた。大和は逆に「本当ですか」と聞き返した。すると山形は「嘘を吐いてどうするんだよ」と苦笑していた。病院の庭で会った山形は表情が険しく堅苦しい印象だったが、本来は律儀で思慮深い人間のようだった。


山形と話した夜、大和は礼子と食卓を囲んでいる。


「母さん、何で俺に言ってくれなかったんだよ」


 大和は礼子を問い詰める。


礼子は無事退院し、激しい運動は止められているものの、日常生活に支障は無い。大和は数週間ぶりに母親の手料理を食べた。今日は大和が好きな肉じゃがだった。


「だって心配するじゃない。私が誰かに襲われたって言ったら、大和は夜も眠れなくなりそうだし」


「何言ってんだよ、そんなにやわじゃないよ」


 大和は言い返したが、礼子の言ったことは当たっていた。大和は心配するあまり軽度の不眠症になった。病院に礼子を1人にしているのも気が気じゃなかった。いつまた礼子が襲われるか分からないではないか、と。


「そう? でもこれは母の親心だから許して頂戴。貴方にもいずれ分かるわよ」


 礼子は鍋を掻き混ぜる。手前のテーブルに座る大和の元に、香ばしい匂いが漂ってきた。住む家が変わっても出てくる料理は変わらない。自分とエリザもそんな風になれたら――。


 そこで大和はエリザのことを告げようと思った。丁度親子の話が出て、良いタイミングだと思った。随分引き延ばしてしまっていた。


「ねえ、母さん」


「なあに」


「実は俺、」


 礼子のスマートデバイスが、振動した。


「あら、誰かしら。大和、ちょっと誰だか見てくれる」


 間が悪いと思いつつ、大和は立ち上がる。礼子のスマートデバイスの画面を覗いた。


「ああ。笹川さんだよ」


「嘘。出ないと」


 礼子は慌ててAIフライパンを自動モードに切り替える。これで自動に絶妙な加減に炒めてくれる。礼子は昔から料理が好きなので、基本的にはこの自動モードを使わない。


「後で掛け直したら良いじゃない」


「いや駄目よ。笹川さんは電話を出来る時間が決まっているの。やっとかえちゃんが離婚に踏み切ってね。それで今笹川家にかえちゃんが帰って来ているんだって。息子の柊人君と一緒に」


「へえ。じゃあ母さんの助言が役に立ったんだ」


 礼子は入院中も桜子の相談に乗っていた。


「そうなのよ。でも大和、話はまだ終わってないの。かえちゃんが離婚を切り出したは良いんだけど、旦那さんは離婚を拒否していてね。このままだと離婚調停になっちゃうのよ」


「まずさ、かえちゃんが離婚したい理由は何なの」


「言ってなかったかしら。旦那さんがね、不倫していたみたい。何で男ってすぐに浮気しちゃうのかしらね、こっちは家で子育て頑張っているのに」


 不倫の理由としてはよくある話だ。母親の愛情が子供に向き、父親は妻が離れて行ったと感じてしまう。父親の持て余した時間と感情は、家の外に向く。


「不倫していたのに離婚は嫌なんだ」


「そうなのよ。本当都合が良いわよねえ。何でも、離婚したら昇進に関わるかもしれないから嫌なんだって。身勝手過ぎない?」


「それは勝手だね」


「そうなのよ。それで今話し合っているらしいんだけど、その旦那さんが中々困った人で、モラルハラスメントの傾向があるんだって。話し合いになったら自分の仕事の辛さを吐き出したり、かえちゃんの至らなさを口にするのよ」


「不倫をしておいて?」


「そう。『俺も悪いけど、お前も悪いんだぞ』って」


「どうしようもないね。それでかえちゃんは実家に戻って来たと」


「そう。あ、電話切れちゃってる。もういいわ、後で掛け直す」


 子供の頃思っていたよりずっと、大人はどうしようもない。ヤマトはいざ自分が成長してみてそう思うようになった。


「それに相手のことは絶対に教えてくれないんだって。そんなの許せるわけないじゃない」


 礼子が独り言のように言う。


もし仮に2人の離婚が成立したとして、楓に再婚願望は生まれるのだろうか。信じていた夫に裏切られ、懲り懲りだと思うかもしれない。それに相手からしても、相手に連れ子が居れば少し抵抗はあるだろう。


「そういえば大和、今何か言おうとしてなかった」


「ああ、うん。何だったっけな。思い出したら話すよ」


 この流れでエリザの話は持ち出せなかった。結婚がどれ程難しいかを、説き伏せられるに違いない。いつもタイミングが悪い。


「でもかえちゃんにも気になる人は居るみたい。何でもずっと前から好意を寄せてくれている人なんだって」という礼子の話を興味半分で聞く大和。


 その後は礼子の話を聞きながら、黙々と肉じゃがを胃に流し込んだ。


 テレビでは、世界の株価のトップ30の内メタバースに関連する企業が、実に21社も入っているというニュースが流れていた。キッチンからは自動洗浄機が食器を洗う音が聞こえていた。



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