多次元人はお喋りで、僕はただガムを噛んでいた。

あめはしつつじ

少女は月下の門を敲きすぎる

 ガムの咀嚼音が、

 唾液に溶けていく。

 ボールペンのインクが、

 原稿用紙に吸い込まれていく。

 第二文芸部部室。

 通称、缶詰部屋は、

 机と椅子が、一組あるだけ。

 南向きの窓を背にして、

 僕は大きく、伸びをし、

 顔を上げる。

 夏の満月は低く、

 影が扉まで伸びている。

 もう少し、考えてから、帰ろう。

 そう思っていると、

 扉が、

 突然、

 くの字にひしゃげ、

 僕の方を目がけ、

 吹っ飛んで来た。

 迫り、

 来る、

 扉は、

 机に、

 激しくぶつかり、




 あれ、気を失っていたのか?

 いつの間にか、うつ伏せになっている、

 そう、思ったのも、束の間、

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコン…………………………

 何万人もの人間が、

 一斉にノックをしているような音。

 反射的に身を縮こませ、

 鼓膜を守るため、両手で耳を塞ぐ。

 音の圧と振動で、

 脳震盪を起こしそうだ。

 この音で目が覚めたのか?

 あれ、でも、扉は、なくなったはずじゃ、

 まだぼやけている思考、

 ピントの合わない視界で、

 這いずり回るようにして、 

 扉を探す。

 徐々に、

 はっきりと見えてくる、

 扉があったはずの空間には、


手首手首手首手首手首手首手首手首手首手首

手首手首手首手首手首手首手首手首手首手首

手首手首手首手首手首手首手首手首手首手首

手首手首手首手首手首手首手首手首手首手首

手首手首手首手首手首手首手首手首手首手首


 扉をノックしている、

 無数の手首が、

 空間を埋め尽くしていた。

 逃、

 逃げなくてはと、

 耳を塞いだまま、

 肘と足を使い、

 不恰好に匍匐で、

 扉のあったところから、

 離れるように後退をする。

 ノックの音は鳴り止まない。

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

 左足に何かが当たる、

 それを避け、

 さらに後退、

 横目でそれは、

 ひしゃげた扉だと分かる。

 そのひしゃげた扉に身を隠すように、

 後退後退後退。

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

 退がる退がる退がる。

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

 ん?

 音が、だんだんと、

 小さくなっている?

 退がるのをやめ、

 頭を締めつけていた両手を緩める。

 恐々と、部屋の入り口の方を見る。

 手首が埋め尽くしていたあの空間から、

 手首が、 

 一つ消え、

 二つ消え、

 いや、違う、

コンコンコンコンコンコンコンコンコンコン

 一つに収束していく。

 コン、コン、コン。

 手首、

 が一つだけ、中に浮かんでいる。

 それより、

 向こうの空間は、

 何もない空間なのに、

 何もかもがある気がした。

 じじじじじ、

 とかすかな音がしている。

 手首から、

 月の明かりが、

 雲間を抜けるように、

 青く白い肌の、

 腕が生えてきていた。

 闇夜は、

 全て暴かれた。

 扉のあった向こうの空間に、

 一人の少女が立っていた。

 這いつくばる僕を、

 見下ろして、 

「お入りしてもよろしいかね」

 少女の姿に、

 似つかわしくない言葉遣いで、

 そう尋ねた、

 僕は這いつくばったまま、

 床に顎を擦り付けるようにして、

 頷いた。

 少女が部屋に入ってくる、

 つかつかと、

 こちらに歩み寄り、

 ひしゃげた扉を踏みつけ、

 その上で立ち止まる。

「いやはや、

 申し訳のないことをした、

 三次元人、

 次元削減プリントが、

 上手くいかなかったんだ。

 どうやら、

 次元を減らしきれていなかったらしい。

 許してくれたまえ。

 私がしたノックは、

 この次元数に敬意を込めて、

 三回しかしていなかったのだがね。

 まあ、

 別次元のドアの、

 次元削減プリントだが、

 この次元では、

 同一の物として認識できるだろう。

 おっと、そういえば、

 次元削減プリント装置のことを、

 説明していなかったね。

 まあ君には見えていないだろうが。

 虚数解のようなものだよ。

 一次元の直線上では、

 虚数解を持つ二次方程式と、

 接点を持たないだろう、

 つまり、次元の低い君には、

 三次元の視点からは、

 見えていないけれど、

 ここにあるんだ。

 この装置は簡単に言ってしまえば、

 写真、カメラかな。

 カメラは、

 三次元の立体空間を、

 二次元の平面にプリントする装置だろう。

 我々の次元削減プリント装置は。

 つまりだね、

 四次元、

 まあ我々は、

 それよりも多次元な存在なのだが、

 四次元の我々を、

 三次元の立体空間に、

 プリントアウトする装置なのだ。

 私は、

 四次元上で行った、

 三回のノックを、

 三次元上に

 次元削減プリントすることで、

 三次元空間において、

 三回ノックをしたかったのだ。

 しかしながら、我々があまりに、

 多次元存在であるが故に、

 次元を減らしきれなかったんだ。

 三次元上で行うノックは、

 立方空間。

 縦、

 横、

 高さ。

 によって決まることは君でも理解できる、

 だろう?

 四次元上で行った、

 三回のノックは、

 パラメータを四つ持っている。

 縦、

 横、

 高さ、

 そして、

 ナニカ。

 君達的には、

 時間というのがわかりやすいかな?

 まあもちろん、

 それ以外のパラメータでもいいが。

 とにかく、

 四次元上のノックには、

 ナニカというパラメータを持ち、

 三次元上のノックが、

 そのパラメータの分だけ、

 重なり合っている、

 と思ってほしい。

 つまりだね、

 四次元上のノックを、

 四次元目のパラメータを収束させずに、

 三次元上にそのまま行うということは、

 三次元上のノックを、

 ナニカ、

 四次元目のパラメータの分だけ、

 重なったまま、

 投影、プリントしてしまったのだ。

 その結果がこれだ。

 いや、しかし良かったよ。

 原理上、

 この三次元空間に、

 無限回のノックをする可能性も

 あったのだからね」

 ひしゃげた扉の上に立った、

 少女はかなり早口でそう言った。

「おほん、

 すまない、

 三次元人でも理解できるように、

 ゆっくりと話しているのだが、

 おっと、

 このドアというのかね、

 すまないことをしたよ、

 壊してしまったこのドアは、」

 少女の足元、

 壊れた扉から、

 じじじじじ、

 と元通りの扉が生えてきて、

 少女の体を貫いた。

「いけない、いけない、

 この体は三次元なのだから、

 扉から体を抜き、

 僕の方へと少し歩く、

 まあとにかくだ、

 君と会えたことが嬉、」

 少女の背後から、

 少女の方に扉が倒れてる。

「ふんぎゅ」

 少女は新しい扉の下敷きになってしまった。

 重い体を起こし、

 少女のそばに、

 僕はしゃがむ。

 うつ伏せになった少女の顔が、

 急に持ち上がり、

 こちらを向く、

「はっはっはっ、

 いやはや私の体も、

 完全に三次元に馴染んだらしい。

 三次元に潰されるなど、

 中々できない体験だぞ」

 大丈夫ですかと、

 言おうとした時、

 僕の口にはまだ、

 ガムが残っていることに気づいた。

 よくわからない人だけれど、

 ガム食べたまま、

 話をするのは失礼な気がした。

「おい、その口に入っているものはなんだ、

 もっと近くで見せろ」

 僕は少女に顔を近づけ、

 少し逡巡し、

 口を開ける、

 少女の、

 柔らかく、

 小さい手が、

 僕の口の中に入り込み、

 彼女の指が、

 ガムに触れる、

「少し分けてくれたまえ」

 少女が言うと、

 口の中のガムの量が、

 増えていく。

 もがも、もご。

 口いっぱいに広がった、

 ガムで息ができない。

 少女が僕の口の中から、

 拳ほどの大きさの、

 ガムを取り出すと、

 息が楽になる。

 噛んでいたガムの量が、

 少し増えている。

「面白い面白い、面白いな、これは、」

 少女は、ガムの塊から、

 少しちぎって、

 口に放り込む。

 それをかみながら、

 ガムをこねている。

「これは面白い、

 空間玩具だ。

 三次元空間を連続変形することで、

 遊ぶ玩具か」

 腹ばいのまま何やら、

 一人で興奮している。

「はっはっ、面白い面白い。

 おっと、すまない、

 自己紹介がまだだったな。

 まあ簡単に言えば、

 君よりも、

 少しばかり、

 次元の多い世界から来た。

 私の名前は、

 うむ、

 三次元の口腔では、

 構造上、

 私の名前は発音不可能だからな、

 君に呼んでもらうため、

 まあ、仮に、

 シャルロッテ、

 とでも名乗っておこうか」

 シャルロッテ、 

 それは僕が自殺する、

 小説のヒロインの名前だった。

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多次元人はお喋りで、僕はただガムを噛んでいた。 あめはしつつじ @amehashi_224

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