第45話 事後

 昨日、あの恥ずかしいパーティのあと、渚は家に来て久しぶりに遅くまで居た。

 そして母とたくさん話をしていた。


 あの日、祐里が来た日の夜、母は祐里を歓迎していたのではなかった。探っていたのだ。僕はかつて、母に問われて祐里を庇ったことがあった。父も母も、僕が親友と呼ぶ相手をあまり悪く言いたくは無かったのだろう。洗脳の解けていない僕を、ただ祐里から離すことで守ってくれたのだ。


 祐里との出会いは決して悪い部分だけではなかった。毎回の転校先で僕は、気の合う友達を一人二人、必ず作れるようになったし、少々のイジメには屈しなくなった。それは祐里が本質的には僕のことを想ってくれていた……彼の善意だと思う。


 ただその裏側の、僕を劣等感の塊に追いやり独占しようとした彼の悪意を理解してしまった。それは昔からの疑問を、受け入れられないでいた齟齬を解消してくれた。僕は彼を嫌いだった。そして怖かった。僕にはそれを彼に伝えるだけで十分だったし、何より僕の彼女が一発キメてくれたもの。


 渚は渚のお母さんに車で迎えに来てもらった。――目の届く範囲で他所様の娘さんに手を付けさせるわけにはいかない――というような意味合いで、お泊りはさせて貰えなかった。母の理屈ではつまり、親が居ない間ならいいということなのだろうか。そうとしか思えなかった。



 ◇◇◇◇◇



 朝、渚からのメッセージで目を覚ます。

 土曜日の朝だと言うのに彼女は早起きしてジョギングしている。


 どこまで走ってるのだろう。彼女の家の近所はそこまで把握していないからわからない。繁華街の方には行っていないと言うので安心はしていたけど。冬の間なんかも、あまり暗い時間帯は満華さんが一緒とはいえ心配だった。


 ピンポーン――玄関チャイムが鳴る。


 母が出たようだけれど、朝も早いのに下で弾むような話声が聞こえる。


 ペコ――スマホの通知音が鳴ったので確認をする。


『渚ちゃんが来たわよ』


 ええっ――二駅分以上走ってきたの?


 パジャマのまま階下に降りていくと、スラっとした細身のパンツにパーカー姿の渚が居た。渚は髪を後ろで束ね、キラキラと汗を輝かせていた。


「じゃあ、シャワーお借りしますね」


「いいけど渚ちゃん、着替えはどうするの?」


「太一くんの部屋に少し置かせてもらってるので大丈夫です!」


「まあ、そんなことして。太一がいたずらするわよ?」


「しないよ、母さんは黙ってて」


「私は平気です!」


「渚も余計なこと言わなくていいよ……」


「じゃ、もう出るわね。誰も居ないからって変なコトしたらだめよ。注意はしましたからね」


 そうは言いつつも、母さんからは必要最小限の教育は受けている。

 なのでアレが見つかっても特に怒られたことは無い。


 もちろん僕は、シャワーも浴びてない彼女を部屋へと持ち帰った。



 ◇◇◇◇◇



 土日の休みはその週の学校での出来事が嘘のように晴れ晴れとした気分だった。

 二人だけの時間も十二分に取れた。ただまあ、ちょっとやり過ぎなくらい時間を取ってしまったので、ゴミ箱のことは彼女に気を使われたけど。

 

 最初、僕は渚に何を考えていたのかいろいろ問いただしたかったのかもしれない。

 でも飾らない渚を感じてわかった。僕のこと以外、いったい何を考えると言うのか。


 何故だかはわからない。

 祐里とは直接関係ないことなのかもしれないけれど、渚が隣に居ることがこれまで以上に嬉しく、誇らしかった。



 ◇◇◇◇◇



 いつものように駅で渚と待ち合わせて学校まで歩く。

 指先を少しだけ絡めて歩く。


 心地よさに踊り出しそうな気分を抑える。

 踊り出したら渚は笑うだろうか。


 隣を見ると、渚はニコニコと楽しそうだった。

 踊り出しても平気かも――なんて。



 ◇◇◇◇◇



「おはよう! 鈴代さん、今日も綺麗だね!」


 きっとその時の僕は、おかしな顔をしてたに違いない。隣の渚だってそんな顔をしていたもの。


 教室へ入ると廊下側の最初の列の2番目の席、鈴木が立ち上がり、さわやかな笑顔で僕たちに声を掛けてきた。、鈴木は意外と整った顔。すらりと長い四肢。色白。儚げな美少年だったんだなって思う。


 クラスの親しい友人たちもおかしな顔をしていた。

 それはそうだ。先週末、あんなことがあったばかり。


「えっ、何なんですか……」


 渚とは思えないような言葉。

 嫌悪感を隠そうともしない。


「やだなあ、鈴代さん。僕はあなたと親しくなりたいんですよ」


 渚の顔がますます苦虫を噛み潰したように変わっていく。


「――将を射るならまず馬を射よ――ってネットでアドバイスをもらいました。――どうやら僕には少々客観性というものが欠けていたようですから」


 鈴木は大げさな身振りと共にそんな話をした。


「ばぁか、鈴木、それならまず太一を落とさなきゃダメだろ」


 そういって鈴木の肩に手を回して話しかけてきたのは田代。


「お前、知り合いの癖に太一にあんま好かれて無いようだからな。太一と友達になる方法を俺が教えてやる」


 そう言うと田代は、鈴木と肩を組んだまま窓辺へといざなう。


「本当に!? ありがとう、いい人だね。えっと……」


「田代だ。田代 洋一。海原のようにいちばん心の広い男だ」


 去り際、田代はチラと僕に目をやると、鈴木の肩に回していた手をグーにして親指を突き立てニヤリと笑った。僕はとりあえず笑っておいたが、田代の考えは全くもってわからなかった。


「僕のことは祐里って呼んでくれていいよ」


「よし祐里、まずは太一の好みだな。これは俺が苦労に苦労を重ね、ようやく手に入れた情報なんだが、あいつは地球で言うと南半球が――」




「何なのあれ……」


 いつの間にか傍に来ていた鈴音ちゃん。


「わかんない……」――と難しい顔のままの渚。


 まあそうだよな。僕だってわからない。ただ――。


「渚に言い寄ってくるのが何かムカつく……」


 プッ――渚が噴き出し、クスクスと笑い始める。


「――えっ、何? 何かおかしい?」


「ううん。ちゃんと太一くんだなって」


 笑顔でそういった渚に僕は困惑するしかなかった。

 でもまあ、彼女が笑ってくれるならいいのかな。



 ◇◇◇◇◇



 その後も鈴木は先週のことが何もなかったかのようにクラスに馴染んでいた。

 いや、もちろん事情を知る友人たちは彼の行動に眉を顰めていたわけだが。

 業間になると田代や山崎が鈴木を構っていた。そして昼の休み時間――。


「太一、購買に行こう!」


 真っ先に僕の席に来た鈴木。


「えっ、嫌だよ。鈴木ひとりで行ってくれ」


「やだなあ、祐里って呼んでよ。今まで通り」


「絶対嫌だ」


「太一くん! お茶買いに行こ!」


 張り合うようにやってきた渚。


「うん、行こうか」


 フフン――と不敵な笑みを見せ、鈴木を見る渚。

 教室を出ようとすると、田代と山崎が鈴木に駆け寄っていた。


「ダメだったか。やっぱ祐里にエロネタを仕込まないと無理だな」

「太一は女子の友達多いからね。根っからの女好きだもん」


 なんかとんでもないことを吹き込まれていってるような気がした……。



 ◇◇◇◇◇



「鈴代さん、それクラスの禁忌タブーに引っ掛かるよ!」


 昼の休み時間、長瀬さんが言う。

 渚が僕の左斜め前の席の滝川さんと、お昼の間の席の交換をしたらしいのだ。


 まあ、タブーなんてものが決められているわけじゃなく、何となくみんなやってるわけだけど、要は――席交換までして恋人同士でくっついて食べるな――みたいな話だ。ただこれはクラス内で恋人持ちが増えた以上、一部の抵抗派によって今は何とか維持されているだけだった。


 つまりはこの場合、相馬とノノちゃんはセーフ。僕と渚はアウトってことだった。

 よくわからないけど。


「私は奥村さんと一緒に食べるだけだもん!」


 こっちもよくわからない。

 何故か奥村さんは渚の嫉妬の対象外だった。カラオケでもやけに親密だったし……。


 もしかして奥村さんにあの演劇部の元部長さんのような趣味が……いや、無いと思いたい。あったら色々絵面がヤバいし……いや待てよ。そもそも体育の授業で渚にやけに親密なあの渡辺さんも男に興味が無いって噂だよな。これ下手すると三大巨頭☆大決戦!……みたいなことになりかねないのでは。その時は渚にはちゃんと拒否してもらいたい。


「太一くん? どうしたの?」


「いや、なんでも……」


「また変なこと考えてたんでしょ」


「ま、まさか……はは……それより渚、どうしたの?」


「うん、えと、鈴木君がしつこいから、お昼休みだけ滝川さんと代わって貰ったの。滝川さん、鈴木君とお話ししたいみたいだったし」


「なるほど、それは渡りに船だね。あ、でも鈴音ちゃんと姫野はよかったの?」


「二人には話してあるから。近くの席の新崎さんたちと食べるって」


「へぇ……姫野がね」


 窓際の前の方を見やると、鈴音ちゃんと新崎さんたちが固まっており、そこに緊張した面持ちの姫野が居た。貴族のお茶会に呼ばれた平民主人公かよ。


 まあ、そういうわけで昼の休みは相馬とノノちゃんが席をくっつけて、僕は奥村さんと席をくっつけることになった。ただ、小声で――渡辺さん、いいよね――わかる!――なんて二人が話していたことが、ちょっとだけ僕の不安を駆り立てたのだった。




 ああ、そういえば先週の事件の事後の対応だけど、渚と鈴木が放課後に反省文を書かされることになった。二人並んで反省文を書かされた渚はプンプン怒っていたけれど、ふたりを見守っていた副担任に――鈴代さん、もう一枚増やしますか?――と言われては、渚も素直に従うしかなかったようだ。







--

 いや、何がどうという話でもなく、アレの後で何だこの日常――ってのは本作ならではなのでは? 置いてけぼりにされた読者様、ほんと申し訳ございません。


 次回、とりあえず脈絡もなく『文芸部にて 7』をぶっこんでおきます!


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