第30話 彼女の友達

 日曜日。渚の匂いいっぱいに満たされて目覚めた。

 いつものように渚の髪に鼻をうずめて深呼吸をする。

 ただ、僕自身は流石に臭い気がしたので彼女から離れようとしたけれど、渚が離してくれなかった。


「どうしていつも目が覚めると渚がすぐに目を覚ますの?」


「私が先に起きてるからだよ?」


「寝たふり?」


「まどろみかな」


 ふふっ――と渚が笑う。


「――さてと、あいつを追い出してシャワー浴びよ」


 着替えて部屋を出る。飛倉の部屋を二人で覗きに行くと、荷物はあるようだけど姿が見えない。出かけたのだろうか。


「今のうちにシャワー浴びちゃお」


 僕たちは二人でシャワーを浴びた。ちょっと狭いけれど飛倉が戻ってきたら面倒だから早く浴びたかった。


 結局、飛倉はコンビニかどこかへ行っていたようで、その上なんかタバコ臭かったので朝ごはんを食べた後は渚に速攻で追い出され、地元に帰っていった。とても機嫌が良さそうには見えなかったが、朝っぱらから昨日のように上機嫌で自慢話を聞かされるようなことは無かったのが救いだった。


 日曜は買い物に行ったりして渚と過ごした後、夕方には彼女のお母さんが帰ってきた。渚はさんざんお母さんに文句を言っていたようだけれど、――太一くんが一緒に居てくれたから平気だったでしょ――なんて言われて顔を赤くしていた。僕も渚のお母さんからのことでお礼を言われて、まあ少々外堀を埋められるのも悪くないかと思った。



 ◇◇◇◇◇



 月曜日。2時間目は体育の授業。


「イヤホォォォォウ!」


 男子はこの所しばらくサッカー続きだったのだが、クラスの男子全員が1チームになると当然人数は多すぎる。1個のボールを取り合うと自然と手隙になり、暇そうに歩く生徒も増えていく……のだが。僕らは普段ではありえないくらい、はしゃぎまわっていた。


「太一、そっちにも行ったぞ!」


「よし!」


 運動が苦手でサッカーにも興味を持てなかった僕がボールを追いかけて走り回っていた。僕なんかに出番があるのかって? そりゃああるさ。だってボールは3つもあるんだもの。


「シンクロシュートだ!」


「カオスぅ!」


 同じく運動が得意ではない田代や山崎も大騒ぎしていた。

 ボールに触る機会が断然多いんだから。

 ゴールだって手隙になるので点はどんどん入る。バスケかよってくらい。

 キーパーが大変かと思えば、暇そうに待ってるよりは楽しいって。


 さて、何でこんなことになっているかというと、坂田がまた居なくなったからだ。

 そして一部の男子は坂田が居なくなってすぐに体育館へと走ったのだが、先週のことがあったので西園寺先生に即、追い返されていた。


 今までつまらないだけだった体育の授業で存分に汗をかき、運動の得手不得手に関わらず走り回った1-Bとの対決は、なかなかどうして悪くなかったと思う。そして最後の方では普段なら全く気にもしないのに、どっちが勝っているかまで気にするようになった。


「今、何対何??」


 ――僕はもう覚えてられなかったので聞いてみた。が、誰ひとりとして返事はしない。


 そう、だれも点数を数えていなかったのである。



 ◇◇◇◇◇



 体育を終えて教室へ戻ってくるが、隣の席の三村が居ない。

 その日はその後一日、三村の席は空いたままだった。

 また保健室だろうか。



 ◇◇◇◇◇



「どうかしたの?」


 放課後、文芸部に向かう僕と渚。

 ただ、渚はなんだか浮かない顔をしていた。


「え? あ、うん、ちょっと友達のことで考え事」


「僕で手伝えること、何かある?」


「ううん。彼女のプライベートのことだから……。何か手伝ってもらえることがあるなら相談するね」


 痴漢の噂なんかもあったので最近は目立つようなことをしなかったのだけれど、他にできることが無いようなので渚の手を握ってあげた。彼女も微笑みを返してくれた。



 ◇◇◇◇◇



 文芸部では坂浪さんの書いたエッセイの話をしていた。

 彼女は渚の大ファンにも関わらず、淡白な文章を好んで書いた。

 曰く、そっちの需要は渚の小説で満たされてるのだそうだ。


 相馬とノノちゃんが僕たちに遅れてやってくる。

 ノノちゃんは何故かニッコニコだった。


「ノノちゃん、何かいいことあった?」


 成見さんが聞くと、ノノちゃんは――ムフフ――と言葉にならない喜びを見せていた。


「鈴音ちゃんが何か相談に乗ってるって言ってたけどそのこと?」


 渚が聞くと、ノノちゃんはコクリと頷いた。

 鈴音ちゃんは相手が黙っていてもグイグイ行く方なので、中学の時の渚を相手にしているようなものなのか、ノノちゃんとも結構仲良くやっていた。


 そして相馬はというと、何やら照れくさそうな顔をしてそっぽを向いていた。

 (何かは知らないが)やったな、こいつ!

 ――そう思った僕は、相馬にこっそり親指を立てておいた。そんな相馬は苦笑い。


「いいなあノノは。あでもでも! じゃじゃーん! なんと私にも彼氏ができました!」


「えっ、そうなの? おめでと!」

「そうなんですね、おめでとうございます」

「あ……おめでとうございます」

「おめでとう、成見さん」

「なるちゃんおめでと」

「おめッス」

「おめでとう」


 皆のお祝いの言葉が続く。


「おめでとう。あ、もしかして初詣で会った幼馴染の男の子?」


 樋口先輩が聞く。どうやら成見さんと件の彼氏さんに遭遇したっぽい。


「そうそうそうです! ――なんかあいつ、私が相馬くんを追いかけてたからずっと拗ねちゃってたみたいで、クリスマスに誘っても部屋に閉じこもってたから、家が隣だし、初詣に無理矢理連れて行ったんだよね」


「罪作りな幼馴染……」――ボソッっと坂浪さんが呟く。


「そしたら――相馬とはいいのかよ――みたいに言うから腹立って――」


 成見さんは声を低くして幼馴染とやらの口調を真似る。


「――相馬くんはもう飽きたから――あっ、相馬くんゴメンね――あんたのとこに戻ってあげるって言ったら、顔はニヤついてるくせに――もう遅い、俺はもう誰も好きにはならない――なんて言うもんだから余計に腹が立って――」


「うわぁ……」――再び坂浪さん。


「三週間かけてようやく幼馴染の告白を引っ張り出しました!」


「よくそれで相手が告白しましたね」――小岩さんが言う。


「昨日、あまりにうじうじとイジケてるもんだから思わず一発殴っちゃったの。一歩踏み出す勇気もないのに悲劇のヒロイン気取りかよ――って。それで」


 どういう状況だよ……って思ったけれど、渚なら僕がいじけてたら一発殴ってくるかもしれない。拳ではなく言葉でかもしれないけれど。


「あっ、ちょっと待って。今の話、成見さんはいつからその幼馴染を好きだったの?」


 気になって成見さんに聞いてみた。


「ん……、あれ? 私、あいつのこと好きなんだっけ?」


「いや、僕に聞かれても……」


 大丈夫かこのカップル……。

 成見さんはあとで彼の家に寄って確かめるとは言っていたけれど……。

 さっきまでお祝いムードだった部室に不安がよぎった。



 ◇◇◇◇◇



 翌日の火曜日、渚と一緒に登校してくる。

 隣の席の三村は遅めだけどちゃんと登校してきた。

 頻繁に体調を崩す三村にちょっとだけ心配をしていた僕は声を掛けてしまう。


「三村、昨日も居なかったけど体調悪いのか?」


「は? 別に何もないし」


 三村は一瞥しただけで他所を向いたまま言った。人が心配してるのにむかつく態度だ。ただ、何故か駅員室での彼女の態度を思い出してしまった僕は――。


「何か我慢してるとかじゃないのか? 僕にできることはないか?」


「うっざ。――あ、この間のお礼、頼まれてくれる?」


 三村は流し目でニヤリと笑ってそう言った。

 この間のお礼。つまり体で払えと。


「んなことできるかよ。お前だって女子だろ」


 三村は何も言わなかった。

 ただ、正面を向いて思いつめたような顔をしていたのが気になった。



 ◇◇◇◇◇



 放課後、渚と文芸部に立ち寄る。

 火曜日は七時間目まであるので出席率は低めになることが多いけれど、珍しく全員が揃っていた。


「西野も居るんだ。火曜日に全員いるって珍しくない?」


「えっ」

「あ、いや」

「ん……」


「「「成見さんのその後が気になって……」」」


「まあ、わかる」

「だよね」


 僕と渚も皆と同じ考えだった。


「ええ、私!?」


「なる、祐希ゆうきくんどう思う? 気が変わってない?」


 友達を心配したのか、珍しくノノちゃんが喋ってる。


「あ、うん。一応あのあと彼の家に行って、そのこと考えたんだけどさ、やっぱり彼のこと好きなんだと思う……。他の女の子に取られたりするのは嫌だなって思った」


 部員みんながホッと胸をなでおろす。


「早めに気づけてよかったね」


 ノノちゃんも渚の言葉にコクコクと頷いていた。


「幼馴染と両想いなんて現実離れしてていいですよね……」


「坂浪さんは違ったの?」――興味津々の渚が聞いた。


「せいぜい小一までですね。そこからは全然会話もしてません」


「今でも好きなの?」


「どうでしょう? 他の人より格好いいとは思いますけど、そこまで好きかと言われると……」


「相手の人、付き合ってる人が居ないのならちょっと話してみたらどうかな?」


「あ、居ると思います、たぶん」


「そっかぁ。それじゃあしょうがないね」


「坂浪さんにしてはよく舌が回りますよね。もしかして、幼馴染さんって坂浪さんにとって気の許せるような相手なんですか?」――小岩さんが問いかけた。


「えっ、あっ、う~ん、どうかな……そうなのかも……しれません」


 まあ、そういうのはあるよね。何となくの恋心。それが切ないほどの恋に変わるのは、ただの環境や状況が齎した運みたいなもんじゃない? って思っていたころもあるけれど、囚われてしまった今となっては運命としか考えられなくなってしまっていた。



 ◇◇◇◇◇



 水曜日。現国の授業を終えて昼の休み時間になる。

 自販機へ向かうと、また渚が浮かない顔をしている。


「友達のこと?」


「え……あ、うん、そう……」


 渚の交友関係はそこまで広くはない。以前よりは断然多くなっているとはいえ、クラスの中でも特別仲良くしている女子は少なめだし、クラス外では文芸部を除けばほとんど交流がないはず。となると姫野のように同中の出身の誰かだろうか?


「何か助けになるなら言ってね。早めに」


「うん、私も今日、後で確かめてみたいことがあるから」


「そっか」



 ◇◇◇◇◇



「いや、誰だよこんなもの持って来たの」


 水曜日の五時間目、例によって坂田の居ない体育の授業、外にスコアボードが持ち出されていた。


「得点した奴がめくれよ」

「てか、あとで足拭いとけよ、西園寺先生に怒られるぞ」

「新しいのは女子が使ってるから大丈夫だろ」

「いやいや……」


 当然、屋内用のボードなのでそのまま返すと絶対怒られる。

 ともかく、今日の体育もみんな小学生のように駆けまわって楽しんでいた。

 意外なことに、戻ってきた坂田は僕らの状況に叱りもせず、いつにも増して機嫌が良さそうだった。



 ◇◇◇◇◇



 体育が終わって業間の間に教室に戻る。男子は運動のできるやつもできないやつも皆伸びていた。ただ、次は英語の授業。水曜日のいつものこのクソコンボだけはどうにも慣れない。


「ん、あれ?」


 僕は立ち上がる。

 また三村は保健室か――なんて思っていたけれど、おかしなことに渚の姿が見えない。

 皆はもうほぼ席に着いて英語の授業の準備を始めている。

 僕は渚の席まで行くと、そわそわしている鈴音ちゃんに声をかける。


「鈴音ちゃん、渚は?」


「それが、三村を保健室に連れて行ってそのまま戻ってないのよ」


「ええっ!?」


「メッセージを送っても返事がないし」


「わかった。見てくる」


「瀬川、授業始まるわよ!?」


「体育で怪我したから保健室行くって言っといて」



 ◇◇◇◇◇



 僕は出会うと絶対面倒なことになる英語の丸井と鉢合わせしないように、渡り廊下から大回りをして北館一階の西の端の保健室を目指す。到着するころには授業開始のチャイムが鳴っていた。


 ノックをして、どうぞという声とともに中に入ると、保健室の東條先生が居た。定年間際の女の先生で、口元や目尻に皺が目立ち始めてはいるけれど、ほっそりした美人の先生だった。


「あの、鈴代さんは来ていますか?」


「ええ、来てますよ。――鈴代さん、今いいかしら?」


 東條先生は締め切られたカーテンのひとつに声をかけ、覗き込む。

 そう――というと、東條先生はカーテンを開けて僕を促す。

 中に入ると三村がベッドに横になっていて、渚は――彼女は真っ青な顔をしてベッドの横の丸椅子に座っていた。


「渚!?」

「隣の相談室でお話ししますか? こっちには聞こえないから」


 渚が頷いて立ち上がろうとすると、三村が彼女の服の裾を引いて思いつめた顔をする。


「――じゃあ、先生が隣に行ってますね。終わったら声をかけて」


 東條先生は部屋の外に札を掛け、部屋を施錠して隣の部屋に行く。


「渚、何があったの!?」


 三村は渚を見ながら首を振る。まだ服の裾は掴んだままだった。

 渚は青い顔のまま何も喋れないでいた。


 僕は渚の両手を取る。

 彼女の手は氷のように冷たかったが、その両手を包み込む。

 片膝をついて彼女に近づき、頬と頬を寄せ合う。顔も冷たくなっていた。




 とても長い時間、そのままで居た気がした。徐々に渚の体温が戻ってくる。

 彼女は僕の手から抜け出すと両手を僕の背中に回して抱きしめてきた。

 しばらくそのまま身を預けていたら、彼女は僕の首元で深く一息をついた。


「太一くん……ありがと」

「うん」


「……太一くん、お願いがあります」


 渚は抱き着いたまま、何故かそんな風に言った。


「鈴代っ!」


 三村の声に渚は体を離した。

 渚の顔――いつもの彼女の表情に戻って――いや、少しだけ違う。


「大丈夫だから。約束は守るから」


 渚は三村に向いてそう言った。そして僕に向き直り――。


「太一くん、スマホを貸してください。お願い、何も言わないで私を――」

「信じるよ」


 渚が何を考えているかは、どんなことが起こっているかは僕にはわからなかった。

 でも、僕は彼女を信じることに決めた。

 だって彼女はあの時の、スマホを投げ捨て、殴られて口を切っても気丈に振舞っていた、あの時の顔をしていたから。


「――渚を信じてる」


 渚は目を潤ませ、唇を噛んで笑顔を見せた。

 僕は画面のひび割れたスマホを渡し暗証番号を教えると、渚に促されて教室に戻ることにした。







--

 次回で決着つきますのでご安心を!


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