第24話 クリスマス

「綺麗だね。こんなの貰ったの初めて」


 渚は濃い青のインクが詰まった透明のガラスを光越しに眺めていた。少し揺れるだけでインクがガラスの透明の部分を澄んだ青に変えていっていた。僕は渚に万年筆用のインクをプレゼントした。渚はすぐに――開けていい? ――と聞き、今に至る。


「じゃあ私のも開けて?」


 渚はニコニコで僕にプレゼントを開けるよう促す。

 包みを解いて現れたのは――。


「偶然だね。アルバイトもしてないからそんなに高いのじゃないけど」


 彼女のプレゼントはなんと万年筆だった。

 確かに僕は持っていない。渚はよく見ている。

 僕の方はと言うと、彼女が家で万年筆を使っているのは知っていた。


「ありがとう。やっぱり気が合うのかもね」


 夕食を終え、しばらくしてから甘い物を食べている。

 と言ってもモールで買ったカップのアイスクリームで、クリスマスと言うほど特別な物でも無かったし、せいぜいエスプレッソのあてだった。ただ――。


「ケーキ買わなくて良かったかもー。思ったよりお腹いっぱい」

 

「そうだね。食べ応えがあったもんね」


「お母さんと二人だからあんまりああいうお肉たっぷり系は最近作らないんだ」

 

「そうなの? いつもご馳走してくれる時は肉料理多いよね」


「太一くんが来てくれるからお母さんもがんばってるの」

 

「渚のお母さん、料理上手だよね」


「私だって修行してるもん……」

 

「渚は料理できるし大丈夫だよ」


 彼女はお母さんに対抗意識を燃やしすぎる。


「私が太一くんの胃袋を掴みたいの!」

 

「心配しなくても大丈夫だよ。渚は僕と味覚の相性もいいから、一緒に食事するだけで楽しいもん」


「そう……だね、それはわかるかも。――あっそうだ。もうひとつあるの」


 渚は袋状にラッピングされた小さなプレゼントを渡してきた。

 袋には小さなメッセージカードが付いていて、――メリークリスマス! ――とカタカナで書かれていた。


「これは?」

 

「みちかちゃんから太一くんに」


「へぇ」――気になったので開けてみる。

 

「あっ、でも後で開けてねって言ってた」


「開けちゃったけど……」


 中には半分に折られたメッセージカードとUSBメモリが入っていた。

 メッセージカードには――渚の居ない日に一人で観てね――とだけ。


「とりあえず見なかったことにして置いておこうか……」



 ◇◇◇◇◇



 それからまた僕たちはリビングで映画を観た。

 ポップコーンは用意しなかったけれど、モールで見つけた変なグミは用意した。


 海外のグミは変なのが多いし、やたら硬い。そしてちょっとだけパーティ気分に浸れたのはグミのせいではなく、遅い時間に渚が家に居ると言うことが大きかった。それだけで浮かれてしまっていた。


 選んだ映画が二人とも観たことのある作品だったのも偶然ではなかっただろう。一緒に観よう――そう言って観始めた映画は、――映画観てるんだけど? ――という彼女の言葉を最後に、観客も無いまま暗い部屋でただ流れ続け、明滅する光だけを僕たちにもたらしていた。青白い光に浮かび上がる彼女の体は神秘的にさえ見えた。


 ソファの上で長い時間を渚と過ごしていると、不意にどちらかのスマホが――ヴヴ――と音を立てる。ただ彼女は気づいた様子もない。再び同じ音が鳴ると彼女が口を開く。――ソファを汚しちゃうから部屋に行こうか――と。


 部屋に戻った僕たちは、ちょっと変わった事もしてみようかとほんの少しの挑戦を試みてみたりしたのだけれど、結局いつものがいいねと抱き合っていた。



 ◇◇◇◇◇



 翌朝、目が覚めるとものすごく暑かった。肌をくっつけて眠ると人の体の温かさというものが、熱いと感じるくらいに伝わってきた。そして誰かが傍に居て眠れるかという心配も杞憂に終わった。果てるまで想いを尽くした僕たちは落ちるように眠っていた。


 僕は恥ずかしくて彼女の顔を見ることができなかった。ただ、鼻を押し付けて彼女の髪の匂いを嗅ぐと、渚が間違いなくここに居ることがわかり、安心した。


「私の匂いがする?」


 不意打ちで掛けられた声に驚く。


「うん、渚の匂いで安心した」


 すると彼女は僕の胸元に鼻先を埋め、深呼吸をする。


「太一くんの匂いだね」


 ふふ――と二人で笑い、ようやく顔を合わせた。


「「おはよ」」



 ◇◇◇◇◇



 僕たちはそのまましばらくベッドで話をして過ごした。


「あ、そうだ。ちょっと待ってて」


 僕は一度階下に降り、満華さんのプレゼントを持って上がってきた。

 PCを立ち上げ、ベッドに入ったまま操作する。

 USBメモリの中には動画ファイルがひとつ入っていた。


 ひとりでみてね.mp4――と書かれたファイル。


「一人で観なくていいの?」


 渚に問われるが、こんな念入りに一人で観ろと注意されるファイル、怪しすぎて一人ではとても観られない。僕は動画ファイルを再生させ、渚と体を寄せ合った。



『はぁ~い、彼氏クン見てる~?』


 わざわざ冒頭にノイズを入れた後、唐突に始まったその動画はどこかの建物の一室、かなり広い感じの明るい部屋。部屋と同じくとても広いベッド、ベッドの上には散乱する見るからに卑猥な玩具、そしてシーツを羽織った渚が座っていた。どこかから聞こえる声は満華さんのもの。


『今から彼氏クンの大事な渚ちゃんに、エッチな目にあってもらいま~す。いいね?』


 コクリと頷く画面の中の渚。

 ただその渚の顔は既に上気しており、いつもの雰囲気とは違っていた。


『おっとその前に渚ちゃんから彼氏クンに一言貰おうか~』


『太一くん、ごめんね。私、もう太一くんじゃ満足できないんだ』



 最初、口を開いたまま動画を観ていた僕たちだったが、画面の中の渚が喋った途端。


「すごいね、渚の喋り方にそっくり」

「みちかちゃん、何やってるの……」


 あの部長の件がなければ僕は悲鳴を上げていたかもしれない。


「部長さんのより似てるかも。明るいからごまかしようがないし」

「ウィッグ被ってるから顔つきとかも寄せられるのかも」


 動画は続いているが、僕たちの会話は既にオーディオコメンタリーのようになっていた。シーツをはぎ取った画面の中の渚は衣服がかなり乱れていた。


「えっ、あの胸どうやってるの?」

「ああいうの、つけられるのがあるみたいなの。みちかちゃんに前に見せてもらったことがある」


 思わず隣にある実物を見比べてしまった。

 サイズ感は似ているけどやっぱり本物は違う。


「うわ……」

「ぁあ! ちょっと私の顔のままで変なことしないでよ!」


 画面の中の渚が脚を開いて玩具に手を伸ばしたものだから、渚は慌てて動画を止めた。

 ただ、申し訳ないことに僕の方の収まりがつかなくなったので、もう1回だけしてから起きることにした。



 ◇◇◇◇◇



 二人で服を着てリビングに行き、脱ぎ散らかされた服を回収する。

 渚はスマホを手に取ると、満華さんにメッセージを送りまくっていた。


 僕の方はと言うとスマホに通知が来ていた。

 田代からだった。


『よう太一! 今ごろ鈴代ちゃんとベッドの上か?w』

『太一?』

『嘘だよな太一、嘘だと言ってくれ!』

『太一ぃ!』

『お願いだぁ返事してくれえ』

 ・

 ・

 ・


 ――といったメッセージが続いていた。僕は見なかったことにした。



 ◇◇◇◇◇



「朝ごはんを作っちゃうから太一くんはシャワー浴びてきて」


 渚と一緒に居るとき、シャワーは大体いつも後だった。

 最初は二人とも悩んだ。先にシャワーした方がいいか。

 ただ、だんだんと二人とも相手を求める気持ちが強くなりすぎて気にしなくなった。

 もちろん渚も女の子らしく匂いを気にしたりしたけれど、僕が求めると恥ずかしがりながらも応じてくれたし、逆に彼女も汗臭い僕の体の匂いを吸い込んだりしていた。


 風呂場でシャワーを浴びていると、脱衣所で渚の気配がする。


「えへへ」


 やがて戸が開くと渚が入ってきた。

 風呂場は古い家の浴室をリフォームしたからユニットバスほど狭くはない。

 二人で入っても十分余裕があった。


「朝ごはんは?」

「サンドイッチだからすぐ終わったよ」


 二人で体を洗ってまたちょっとイチャイチャしたあと出てきた。



 ◇◇◇◇◇



 お湯を沸かしてエスプレッソメーカーで珈琲を淹れ、朝食をとる。

 何でもないサンドイッチだけど――。


「渚が作ってくれたと思うとおいしい」


 何となく思ったことをそのまま口に出してしまった。


「そ、そう?」


「パンの匂いも珈琲の匂いも渚が居るだけで映画のワンシーンみたいに素敵に思える」


「わっ、わたしもだよ? 太一くんがいるだけで朝ごはんがキラキラしてるの」


 二人で意味の分からない言葉をお互い連ねていた。

 ああこれがバカップルってやつだ……実感してしまった。



「――ね、太一くんもお弁当とか作って欲しい?」


「学校の話? 教室だと目立ちそうだね」


「宮地さんから聞いたんだけど、作ってきてるカップルは教室の外で一緒に食べてるって。中庭とか五階の渡り廊下のベンチとか空き教室とか、あと屋上もこっそり入れるらしいよ」


「嬉しいけど渚は朝、走ってるんでしょ?」


「うん、そうだね……」


「じゃあ、そっちを今まで通り頑張ってくれる方が嬉しいかな」


「うん、わかった」


 お弁当を毎日は大変だ。両親が忙しいので、夕飯を一度、自分で頑張って作ろうとしたこともあったけれど、それだけでも毎日は大変だった。朝だけでもと、母は弁当を用意してくれてる。それも感謝しかない。


 ペコ――渚のスマホが鳴る。


「鈴音ちゃんだ。――さっきね、昨日のお礼を送っておいたの。ちょっといい?」


「うん。鈴音ちゃんとは本当に仲がいいね」


 できればこれからもこの二人の関係はずっと続いて欲しいと思った。


「うん、私の大親友だから……」


 そう言った渚の顔色がちょっと悪くなる。


「どうしたの?」


「あえっと……」


 返事をした渚がメッセージの履歴を見せてくる。



 ――12月25日――


 ――――『昨日はありがとね。でも、やっぱりお母さんにはバレてるみたい』

『そりゃそうでしょ。次からちゃんと話しなさいよ?』

『渚?』

『朝からまた瀬川とベタベタしてんの?』

 ――――『ごめん、朝ごはん作ってた』

『朝も遅かったしどうせずっとベタベタしてたんでしょ』

『ほんと飽きないわね』



「返事がすぐになくてそのままお風呂行っちゃったから……」


 鈴音ちゃんの想像通りだったものだから流石の渚も恥ずかしくなったのだろう。

 ちなみに鈴音ちゃんには毎朝メッセージを送っているのだそうだ。

 そりゃ行動も把握されるわけだ。


 ちなみに僕にも3回目のデート以降、毎朝メッセージを送ってくれてる。



 ◇◇◇◇◇



 その後、午前中は書いた小説の話をしたり、読んだ本の話をしたりしてのんびり過ごしながら、お昼はご飯を炊いて、二人で料理を一品ずつ作った。肉料理は昨日、十分堪能したので僕は簡単にふろふき大根を準備し、渚は揚げ出し豆腐を作っていた。


「ふろふき大根にお味噌って合うんだね。柚子の香りがしておいしいぃ」


 大根には柚子と砂糖で甘く炊いた味噌を薦めた。


「伯母さんが柚子の採れる時期になるとたくさん作って送ってくれるんだ。料理がそんな得意じゃないから何にでも使えてすごく便利。お母さんにもちょっと持って帰ってあげれば?」


「うん、ありがと」


「揚げ出し豆腐もおいしいね」


 揚げ出し豆腐に焼いたシシトウが添えられていた。


「お母さんがお父さんと呑むときによくお酒のあてに作ってたんだって。お母さんの得意な料理ってお酒のあてが多いんだよ。凝った料理はどちらかっていうとお父さんが得意だったかも」


 彼女の中で今でもお父さんの存在が大きく、そして大切に思っていることから渚のお父さんの人柄が伺えた。


 うちも二人とも仕事が好きでそれぞれに頑張っているけれど、それ以上にお互いが大好きなのはよくわかる。まあ僕は自由にさせて貰ってると言うか、最近は僕を放置して二人でデートしているが……。


 うちの両親と同じで渚のお父さんはお母さんが大好きだったのだろう。そして渚も。



「渚はよく食べるようになったね」


 以前の渚なら二品もあるととても食べられなかったと思う。


「そう? そうかな」


「最初のころ、外食したときはいつも料理を半分くらい僕が食べてたでしょ」


「だってあの頃は……それに男の子ってこんなに食べるのって驚いてた……」


「僕はたくさん食べられて嬉しかったけど……女の子ってこんなに食べないのって」


「ふふ、そんな風にお互い思ってたなんて」


 彼女は笑う。

 渚は体力が付くにつれ、たくさん食べるようになった。



 ◇◇◇◇◇



 午後は少し散歩に出かけて、ついでに輸入食材のお店を覗いて珈琲豆とジャムを買う。輸入食材のお店もいろんなものがあって楽しい。渚と二人でのんびり楽しめた。


 家に帰ると僕も少し手伝って、渚がスコーンを焼いてくれた。簡単に作れるので渚が最初に覚えたお菓子らしい。今ではお母さんよりも上手に作れるとか。


 スコーンが焼き上がると甘い香りが部屋中に立ちこめる。


「おいしそうな匂いだね」


 僕は新しく買ってきた豆でエスプレッソを淹れる。


「珈琲もいい香り!」


 リビングに持って行き、熱々のスコーンに買ってきたジャムを付けて食べた。

 渚が言うだけあって、上手に焼き上がっていた。

 何より、焼きたてを食べるのが新鮮だったので、そのままでもおいしい。


「結構、お腹膨れるねこれ」


「残ると思うからよかったら後で食べて」


「母さんは夜に帰ると思うから残しておくよ」


「そ、それは恥ずかしいかも……」


「自信もって大丈夫だよ」


 渚は夏の間、母にはときどき会えていた。ただ、そのころの渚は今と違ってずっと人見知りが激しかったから、喋るのも苦手そうだった。父にも少し会ったことがあるけれど、父もまた女の子が苦手らしくてお互いに話しづらそうにはしていた。



 ◇◇◇◇◇



 その後は渚の荷物を持って渚の家まで送っていった。

 もちろん、渚のついた嘘を一緒に謝りに行くため。

 ただ、一晩を共にしたという恥ずかしさもあって僕の第一声は――。


「パスタ最高においしかったです!」


 と、思わず一番伝えたいことが先に出てしまっていた。

 これには渚のお母さんも驚いて、そして呆れるよりも何故か――よかったわ――と涙されてしまった。それから僕は招き入れられ、夕飯をご馳走になってしまった。





 あ、ついでに渚のベッドにはダイブさせてもらった。







--

 とりとめもない二人のクリスマスのお話でした!


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