僕の彼女は押しに弱い
あんぜ
一章 クラスメイト
第1話 僕の彼女は押しに弱い
高校一年の夏休み前、僕はひとりの女の子に告白をした。
彼女の名前は
同じクラス、同じ文芸部の彼女は、肩に付かないくらいの黒髪をくるんとカールさせた、頭のシルエットが丸っこいイメージの女の子。背は平均より少しだけ高いくらいだけど、肩幅が狭くてお尻が小さいからか線が細く背も高く見える。眼鏡をかけていていつも少し俯きがち。地味で目立たない印象の子だったけど、初めてのクラスで近くの席に座ったとき、僕の顔を見てびっくりしたような顔をした。女の子が苦手な僕は、その場でとりあえず笑ってみたところ、彼女は恥ずかしそうににっこり笑ってくれた。
彼女はすぐ前の席の
自己紹介のとき――すずな・すずしろ――なんて僕が呟いたものだから、その渋谷さんに――誰がカブか! ――とツッコミを入れられてしまった。鈴代さんはくすくすと笑っていた。
オリエンテーションで部活動の紹介が終わり、部活の選択で鈴代さんは文芸部を第一希望にしたみたい。実のところ僕も小説とか書きたかったので文芸部を第一希望にするつもりだったのだけど、ちょうど渋谷さんとの会話が聞こえてきたものだから書くのが恥ずかしくなり、書きあぐねていた。
「ね、よかったら一緒に文芸部入らない?」
そう言ってくれたのが鈴代さんだったら僕は恥ずかしくて断っていたかもしれない。
けれど、声をかけてきたのは後ろの相馬くんだった。
相馬くんは入学式の時、席に着いてすぐに僕に声を掛けてきて仲良くなった。彼は男の僕が見てもイケメンで優しそうな印象の男子だった。
「いいよ。僕も小説とか書いてみたかったんだ」
そう言い終えた後、ちらっと鈴代さんの方に目をやると、同じく視線だけこちらにやっていた鈴代さんと目が合ってしまった。気まずくなった僕は目を逸らし、シャーペンを走らせ、用紙を伏せた。
文芸部の新入生は僕と相馬くん、鈴代さんの三人だけだった。先輩もたった三人だけ。ちょっとガッカリしたのはあったけれど、鈴代さんと一緒に居られるのは、もうその当時から嬉しかったのかもしれない。
僕はそれまで小説なんて書いたことは無かったので、とにかく書いてみない事にはと、練習とばかりにありがちなテンプレ物をいくつも書いてみたりしていた。彼女はと言えば、彼女らしいふわりとした憂鬱さのある詩とか、恋に恋するような恋愛物の短編を書いたりしていた。僕には共感までは至れなかったけれど、彼女らしい可愛らしい文章だななんて感想を言ったりしていた。
鈴代さんは恥ずかし気に俯いたあと、唇を噛みながらにっこりと微笑んでくれた。教室では相変わらず大人しくて目立たない地味な彼女だけれど、その笑顔は僕にとって宝石のようにキラキラしてみえた。
「鈴代さんが好きです。僕と付き合ってもらえませんか?」
「好きってどのくらい好きですか?」
鈴代さんはそう質問で返した。
「今まで女の子を好きになったことが無いので比べられないけれど――」
「――僕だけのものにしたくて仕方がないくらいは大好きです」
もの――なんて彼女に失礼だったかと、言ってから気が付いた。
けれど彼女は頬を赤らめ、恥ずかしそうに逡巡したあと――。
「瀬川くんがそう言ってくれるなら安心です。私も大好きです」
◇◇◇◇◇
こうして僕、
僕たち二人の距離も縮まった。縮まったのは良いことなんだけれど、僕には心配事があった。縮まるのがちょっと早すぎたのだ。
初めての彼女だったこともあり、そして鈴代さんも初めてだというので、小心者な僕も積極的に頑張ってみた。例えば最初のデートの時、図書館近くの喫茶店でお昼を食べた後――。
「あの、よかったら名前で呼んでもいい?」
彼女は恥ずかしそうに躊躇ったあと――。
「いいよ。――太一くん」
にこりと微笑む渚。
二度目のデートで映画館へ向かう時――。
「手、繋いでもいいかな?」
そう言うと彼女はまた恥ずかしそうにし、そっと柔らかい左手を出してきた。
「緊張していてごめんね」
夏の暑い日にもかかわらず、彼女の手は少しだけひんやりしていた。
三度目のデートで雰囲気のいい喫茶店を巡ったあと――。
「キス、してもいい?」
いつものように恥ずかしそうにしたあと、彼女は僕を見上げて目を閉じた。
唇に柔らかい感触が、自分の唇よりもずっとずっと柔らかいものが触れた。
部活の時に香っていた彼女の香りとはまた別の香りが鼻をくすぐる。
触れた部分はピリピリと電気でも流れているかのように敏感だった。
触れるだけでは我慢ができなくなった僕は思わず抱きしめて舌を差し入れてしまった。
「んっ……」
彼女が応じ、先ほどまで苦味が支配していた口内に甘い唾液が流れ込んでくる。
ここまでなら奥手でも初めてでもなんとか辿り着けるものなのかもしれない。
しかし問題は、ここが僕の部屋だったと言うことだ。
喫茶店を周った最後のお店が意外と近所だったため、誘ってしまったのだ。
結局のところ、その日、僕と彼女は最後までいってしまった。
彼女は押しに弱い――そんな気がした。
彼女からは何も言ってこないけれど、僕が望むと何でも応じてくれる。
そんなところが僕を心配させた。
◇◇◇◇◇
夏休みが明けると二学期が始まる。
「鈴音ちゃんにはまだ言ってないんだ。その、学校では秘密にしていい?」
珍しく渚からの頼み事だった。
「いいよ、苗字で呼んだ方がいい?」
「うん、ありがと。恋人ができるとそういう話題が好きな女の子に目を付けられるから……」
「放課後もあんまり二人だけで会わない方がいい?」
「ううん。イチャイチャはいっぱいしよ?」
渚は恥ずかしそうに言った。
夏休み前の彼女からはまるで想像がつかない言葉だった。
◇◇◇◇◇
二学期が始まるとすぐに席替えがあった。渚は窓側二列目の前よりの席だったけれど、何故かそのすぐ前はすずな……鈴音さんだった。仲が良すぎて羨ましいくらいだ。鈴音さんは水泳部の活動でこんがり小麦色に焼けていた。
ちなみに彼女のことを渚と話す時は、彼女が鈴音ちゃんと呼ぶものだから、僕もつられて鈴音さんと名前呼びをしてしまっている。
僕はと言うと、廊下側から二列目の中ほど。まあ、遠すぎるわけでもないけれど近いわけではない。前の席は田代という、よく話をする男子。
「絶対これ夏休み中に恋人出来てるだろってやついるよな」
田代がそう話しかけてきた。まあ確かに雰囲気の変わったクラスメイトは何人か居る。
「わかるの、そういうの? イメチェンしてるだけかもよ?」
「イメチェンじゃなくても夏休みデビューしてるやつ絶対居るって。ほら、あの辺とか薄っすら日焼けしてるし服装に気を使ってるだろ。あれ絶対男居るって」
「プールくらい行くんじゃないかな?」
「お前みたいなアオっちろいインドア派にはわかんねって。あ、お前は除外な」
「そりゃどうも」
自分も夏休みデビューしてるなんてコイツの前ではとても言えなかった。
「鈴音ちゃんはありゃ部活だろうな。男って感じじゃない。逆に鈴代ちゃんは男の気配があるな」
心臓がどくんと跳ねた気がした。田代お前何者だよ。
改めて渚を見るが、そんなに変わった感じはしない。
いつも見ていたからだろうか?
「ま、マジで!?」
「なんだよ太一、狙ってたのか? でもご愁傷さまだな。あれ絶対男居るって」
「そ、そんな変わってないように見えるよ、な……鈴代さんは」
「一学期の頃の地味さが飛んで、なんか人生楽しそうってオーラが出てる」
確かに一学期は俯きがちだった。田代の言う通りかもしれない。
顔を上げているだけで彼女の美人さが際立って見えるかのようだ。
鈴音ちゃんと話す時の笑顔も以前より明るいかもしれない。
僕だけの宝石かと思っていたのに。
◇◇◇◇◇
放課後、文芸部では秋の文化祭で出す部誌の原稿の進捗が話し合われた。夏休み前、急ぎではないけれど、せっかくなので早めに書ける人は書いておくように部長から話があった。
僕はと言うと、渚のことで頭がいっぱいでほとんど書いていなかった。最悪、今まで作ったテンプレ異世界ファンタジーでも載せようかと思っていた。ただ、渚は違っていた。いくつか作品を書いてきていた。
彼女は――ちょっと恥ずかしいのですが――と断りを入れたあと、僕たちに読ませてくれた。以前のように詩とか短編だった。けれど以前とは明らかに違う。別に過激な内容を書いているわけではないのだ。しかし全編にわたってその――エロさが滲み出ていた。直接的なことを書いているわけではないけれど、表現が艶めいていた。
本当のことを言うと彼女の作品は誰にも見て欲しくなかった。けれど、そんなことを言って彼女を困らせるわけにはいかない。
その日、渚とは駅で合流し、うちでデートをした。
両親とも帰りが遅いので、彼女と一緒に簡単な夕飯を作った。
「あれ、どうだったかな? 太一くんの正直なところで」
あれ――つまり彼女の作品だろう。
「うん、その、あの……なんというか」
「興奮した?」
「そんな感じ……」
「よかったぁ。太一くんの心を動かせたんだね」
「動かせたって言うか……そうだね」
「昔の作品はそこまででもなかったでしょ?」
「そういうわけじゃないけど、僕としては……」
他の人には見せたくない。そんなことは言いたくなかった。
彼女はそんな僕の様子を楽しむように微笑みを隠し切れないでいた。
皿を片付けた後、彼女とまたベッドで一緒になった。
彼女はいつにも増して機嫌がよかった。
遅くならないうちに彼女を駅まで送っていったあと、電車の中からであろう彼女からメッセージが届く。
『私は太一くんのものなんだからね。忘れないで』
そんな言葉にどう返せばいいのわからないまま僕は家に着いた。
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