第二章引き継ぎしもの(十)
それからしばらくして、京からできたばかりの新古今和歌集の写しが届けられた。正式にはお披露目も公表もされていなかったが、内藤朝親は新古今集の編纂者である藤原定家に師事しており、そのつてを頼ってのことであった。
新古今集には、敬愛する父頼朝の和歌も二首入選していることもあって、実朝は大変喜んだ。
道すがら富士の煙(けぶり)もわかざりき晴るる間もなき空のけしきに
晴れる間もない空の景色のために、旅の途中、富士の煙もはっきりとは分からなかった。
これは、頼朝が上京した際の旅路で詠んだものらしい。
「建久六年の御父君の御上洛の際には、御所様も御一緒でいらしたのでしょう?やはり、富士のお山は見えなかったのですか?」
語りかける倫子に、実朝は首をかしげた。
「さあ、どうだっただろうなあ。あの時は私も本当に幼かったから。見えなかったのではなく、見ていなかったから覚えていないのかもしれないね。御仏のお使いの女の子のことだけはしっかりと覚えているのだけれどねえ」
そう言って、実朝は倫子にはにかんだような笑みを見せた。
みちのくのいはでしのぶはえぞ知らぬ書き尽くしてよ壺の石ぶみ
これは、慈円による、「思ふこといなみちのくのえぞ言はぬ壺の石ぶみ書き尽くさねば」に対する頼朝の返歌である。
壺の石ぶみとは、征夷大将軍坂上田村麻呂の奥州の蝦夷征伐ゆかりの岩のことである。蝦夷と得ぞなどの掛詞を使い、坂上田村麻呂と同じ征夷大将軍であり、奥州征伐を行った頼朝に対して、思うことを書き尽くすことができませんと慈円は言ったのであろうか。
それに対し、頼朝は、慈円の贈歌に折り込まれた言葉を引用し、地名の岩出と言はで、信夫と忍ぶ、踏みと文をかけて、言わないで耐え忍んでいたのでは分からないので、手紙に書き尽くして下さいよと即興で応答したものと思われる。
「さすが父上だなあ。よし、私も頑張ってみよう」
そう言って、実朝は、いくつかひねり出した和歌を倫子に見せた。
富士の嶺(ね)の煙(けぶり)も空にたつものをなどか思ひの下(した)に燃ゆらむ
富士の煙も空に立っているのに、どうして私の思いは下燃え(片思い)なのだろう。
みちのくの真野の萱原(かやはら)かりにだにこぬ人をのみ待つが苦しさ
みちのくの真野の葛原は、かりそめに、狩りにやって来る人すらいないのに、それを待つ苦しさといったら……。
信夫山下ゆく水の年をへて沸きこそかへれ逢ふよしをなみ
信夫山の下を流れていく水が長い年月を経て湧きかえるように、私の心も長い間耐え忍んで湧きかえっているのだ、あなたに遭う方法もないのに……。
漏らしわびぬ信夫の奥の山深み木(こ)隠れてゆく谷川の水
信夫の山深く木陰を密かに谷川の水が流れていくように、私も心の内を漏らしかねているのだ。
心をし信夫のさとに置きたらば阿武隈川は見まくも近けむ
信夫の里ではないが、耐え忍ぶことをこころがけたなら、阿武隈川の名のとおり、あなたに逢う日も近いだろう。
「まあ……」
実朝から贈られた和歌を見て、倫子は顔を紅く染めた。その様子を見て、実朝もまた、頬を染めた。
とは言っても、言葉遊び、練習のために作った範囲のものに過ぎず、色好みだった父とは違って、奥手の実朝は、性的な知識に乏しく、真の夫婦や恋人同士が実際にどんなことをするのかはほとんど分かっていない。まだ少年と少女の初々しい将軍と御台所は、届いたばかりの最新の和歌集を眺めては、穏やかに楽しそうに笑い合っている。
新しい言の葉を紡ぐ若い将軍の新しい時代がやって来ようとしていた。
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