第二章引き継ぎしもの(八)

 実朝は、御台所となる坊門家の姫君倫子と対面した。

(縁があって一生を共にする人なのだ。できるだけのことはして差し上げたい)

 実朝は心からそう思った。

 倫子は、絵巻物から抜け出てきた姫君そのものだった。可憐な少女の姿に実朝は、ぼうっとなってしまった。じろじろと見つめるような不躾な真似はしたくなかった。実朝がちらりと倫子の方に視線を向けると、ばっちりと目が合ってしまった。実朝は、恥ずかしくなって、思わずうつむいてしまった。

(何か言わなければ)

 実朝は、頭の中で考えていた言葉をしどろもどろに口にし始めた。

「京の都に比べれば、ここは田舎です。ですが、坂東にも良いところはたくさんあるのです。海にも、寺社にもたくさん連れて行って差し上げたい。少しずつでいいのです、この鎌倉を好きになっていってほしいのです」

 倫子もまた、緊張していたのだろう。実朝の言葉を聞いた途端安心したのか、実朝の方を見つめて、にっこりと愛らしく笑い、こくんと小さくうなずいた。実朝は、その笑顔に、不思議な懐かしさを覚えた。

 実朝は、倫子の部屋で、倫子が京から持参した様々な珍しいものを一緒に見ていた。その中から、実朝は、どこかで見たことがあるような紫水晶の数珠を見つけた。それは、幼い頃、実朝が長姉大姫からもらったものによく似ていた。

「これは、あなたの物なのか?」

 食い入るように紫水晶の数珠を見つめる実朝に、倫子は淑やかに答えた。

「いいえ、本当は違うのです。私が、三つの頃、女房達とお忍びで参った寺で、同じくらいの歳の男の子が首にかけていたのです。あまりに綺麗で、私がそれをじっとみつめていると、男の子が私にそれをくれたのです。男の子は、同じように私が首にかけていた翡翠の数珠を見つめていました。それで、取り換えっこをしたのですわ。その男の子は、すぐに姿を消してしまって、あの子は、仏さまのお使いだったのではないかと今も時々思うのです」

 倫子の話を聞いた実朝は、ある光景をはっきりと思い出した。

「きれいねえ」

 小さな女の子は、まだ千幡と呼ばれていた頃の幼い実朝の首にかけられた紫水晶の数珠に魅入られるように近づいていき、小さな手でそっとそれに触れる。千幡も、同じように童女が首からかけている翡翠の数珠を見つめている。

「あげるよ」

 そう言って、千幡が紫水晶の数珠を女の子の首にかけてあげると、女の子は自分の翡翠の数珠を指さして言った。

「あげる」

 幼い頃の思い出から目が覚めたかのようにはっとなった実朝は、懐の中にしまっている翡翠の数珠を取り出して言った。

「もしかしたら、あなたが小さな男の童と取り換えっこしたという数珠はこのようなものではなかったか?」

 倫子は、実朝が差し出した翡翠の数珠に、見覚えがあった。

「どうして、御所様がこれを?」

 実朝は、嬉しさを隠しきれない様子で笑って答えた。

「実は私は、幼い頃、一度だけ京の都へ行ったことがあるのだよ。亡き父が上洛した際に、家族皆でついて行ったのだ。その時分に、私も母や姉達と一緒に寺参りをしたことがあってね。その時に、私も、み仏のお使いである小さな女の子に出会って、一番上の姉からもらって私が首にかけていた紫水晶の数珠と、その女の子が同じように首からかけていた翡翠の数珠とを取り換えっこしたのだよ」

 倫子は、感極まって涙を流した。

「御所様が、あの時の、仏さまのお使いの男の子だったのですね!」

「私にとっても、あなたが、み仏のお使いだったのだ、御台!」

 仏の導きによる再会に、実朝は深い縁を感じずにはいられなかった。

 それからというもの、実朝は倫子のもとに出向いて様々な話をするようになった。実朝は、京生まれの倫子の影響で、和歌を本格的に学び始めた。和歌は、兄の頼家にとっての蹴鞠がそうであったのと同様に、朝廷とうまく渡り合っていくために武家の棟梁たる将軍が学ぶべき教養の一つであり、まつりごとの一環でもあった。

 実朝は、政略結婚でありながら、深い縁で再会した倫子にどんどん惹かれていくのと同じように、美しい和歌の世界にも魅せられていった。

 実朝が、倫子と和歌の話をするとき、叔父の北条時房、いとこの北条泰時、和田朝盛ら、和歌に関心のある近習達が側に控えることが多くなった。

 和田朝盛は、父頼朝の代から仕えている重臣和田義盛の孫だ。朝盛は、実際に接してみると、武だけでなく文にも優れ、控えめで真面目な良い若者だった。

 実朝には、穏やかな朝盛が、不健全な兄頼家との関係を望んだとはどうしても思えなかった。朝盛は、立場上、主君であった兄の命を拒むことができなかっただけなのだ。そのように思うことにした実朝の中で、朝盛自身に対するわだかまりは、ほとんどなくなっていった。

 頼家と朝盛の関係に、潔癖な実朝が気づき、今後の主従関係に影響が出るのではないかと心配していた時房と泰時は、普段と変わらず落ち着いた感じで朝盛に接する実朝の様子を見て、安堵していた。

 朝盛は、互いに慣れ親しんでいく初々しい実朝と倫子の様子を、眩しいものでもみるように見つめていた。今は、清い兄妹のような関係の二人だが、いずれは似合いの真の夫婦となるであろう。

 朝盛の目の前には、朝盛が決して入っていけない実朝と倫子の二人だけの世界が広がっていた。実朝は、倫子に対して、少年らしいはにかんだ様な優しい笑みを浮かべていた。実朝のその姿を見て、朝盛は、なぜかひどく胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


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