第6話
ママの誕生日から、兄さんのことを考えることが増えた。
最近の兄さんは、以前とは何かが違う気がする。
なんというか、前までは私への接し方で、空回りをしたり、失敗することが多かった。
なのに、最近はそういう私への気遣いを、間違えなくなった。
完璧と言っていいほどに。
そして、これは知らなかったことだが、兄さんには友達が多いということだった。
ニコニコと笑っているあの人は、いつの間にか誰かと一緒にいる。
そして、そこでとても楽しそうに笑うのだ。
「へー、君が真人の妹さんなんだ。
えっ、あいつがどんなやつかって?
まあ、前まではそこまで絡みがなかったけど、実はあいつも俺と同じく、あやとりシールドバトルにはまってるってことが最近わかってね。
一緒に遊んでみると、めちゃめちゃ楽しいやつでさ!もっと早くに話してみるべきだったなー」
君もやってみる?と、あやとりシールドバトルをその友達は渡してきたが、興味が欠片もないので、丁重にお断りしておいた。
どうやら兄さんは人付き合いも上手なようだ。
……うらやましい。
私なんて、もう日本にきてしばらく経っているのに、未だにそんな友達もおらず、小学校でも兄さんくらいしか話す相手はいないというのに。
けど、そんな状況を変えてくれたのも、兄さんだった。
それは、学校からの帰り道で兄さんと一緒に帰っているときだった。
『あの子なにやってるのかな?』
兄さんが指差した先には、公園の中で茂みの中や砂場を掘り返して、何かを探しているような女の子がいた。
しかも泣きそうな顔をしていて、とても困っている感じがしている。
その顔には見覚えがあった。
確か、同じクラスにいる私の同級生だ。
「どうしたの?そんなところで、何か探しもの?」
私が話しかけようか迷っている間に、兄さんが先に話しかけた。
女の子は突然話しかけられて驚いていたが、兄さんと少し話すとすぐなにがあったのかを教えてくれた。
「家の鍵落としちゃって……お母さんに怒られちゃう……」
聞けばこの公園で遊んでから帰るときになって鍵が無いことに気づいたらしい。
確かにそんな大事な物を無くしてしまっては不安になるだろう。
『それは大変ですね。
私達も一緒に探してあげましょう』
そう言って兄さんを振り返ったとき、私は奇妙なものを見た。
兄さんがある一点をじっと見つめていた。
何の変哲もない茂みの中を、まるでそこに何かがあるかのように。
私もそこを見てみたが特に何も見えなかった。
『兄さん、どうしたんですか?』
はっとしたように兄さんがこちらを見た。
『ううん。なんでもないよ!
それじゃあ、俺はあっちのほうを探すから、エマは向こうを探してくれないか?』
そう言って兄さんが指差した方向は、さっき見つめていた茂みの中だった。
『……わかりました』
なんとなく釈然としないが、とにかく鍵を見つけてあげるほうが大事だ。
すると、私が探し始めてから五分もたたないうちに、茂みの中できらりと光るものを見つけた。
『あった!』
鍵はあっさりと見つかった。
『兄さん、ありましたよ!』
兄さんと女の子が、こちらに急いで歩いてきた。
『この鍵であってますか?』
そう言って鍵を差し出してみたが、女の子は困惑した顔をしている。
なぜかと思ったが、そういえば日本語で話していなかったから、何を言われているかわからなかったのだろう。
最近は兄さんと練習して、ある程度は話せるようになっていたから、言い換えようと思ったとき、先に女の子が口を開いた。
「ええっと……『その鍵が私の探していたものです。
私の言葉の意味が伝わっていますか?』
少したどたどしいところもあるが、私にも十分理解できた。
『……こうして話せる人は少なかったですから、少し驚きました。
あなたの話し方はとても上手でわかりやすいですね』
『本当?よかった…。
おばあちゃんがそういうのを詳しいから教えてくれていたんだけど、他の人に使うのは初めてだったから少し緊張しちゃった。
同じクラスのエマちゃんだよね。今まで話したこともなかったのに、私の落し物を探してくれてありがとう!』
『あなたの名前は確か……』
『茜っていうの。よろしくねエマちゃん!』
『改めて、エマと言います。よろしくお願いします、茜』
なんだか、言葉以上の何かが通じた気がして、お互いに少しだけ笑った。
茜は私たちにしきりにお礼を言って帰っていった。このことがきっかけになり、この子との友情はいつまでも続いていくことになるのだが、この時の私には知る由もなかった。
よかったよかったと喜んでいる兄さんに、気になったことを聞いてみる。
『兄さん。どうして鍵がある場所がわかったんですか?』
びくっ、と兄さんの表情が揺れたような気がした。
それがなぜかはわからなかったが、すぐに兄さんは申し訳なさそうな顔をした。
『ごめん……。本当は最初見たときにはそこにあるってわかってたんだ』
『やっぱりですか。だから私をあそこに探させに行かせたんですね』
私にはさっぱりわからなかったが、兄さんにはあの時点で鍵のありかがわかっていたのだろう。
それを私が見つけるようにしたのは、おそらくまだ学校に馴染むことのできていない私のために、茜と話せるようなきっかけを作るためだったのだろう。
『まったく。兄さんは私に変な気を使いすぎです』
『あー…。
お節介だとは思ったんだけど、俺はエマに楽しく暮らしてほしいなって思って……、気を悪くしたなら、ごめんね』
『……別に気を悪くなんてしてませんよ』
兄さんが謝ってくるが、人付き合いが下手なのは事実なので、こうしたきっかけは私では作れなかっただろうと思う。
だから、別に文句はないのだが、それよりも茜とのやり取りが、妙に慣れているような気がすることの方が気になった。
まるで、日常的に女の子に話しかけているかのような態度に、なぜだか胸がざわついた。
『それよりも兄さん、茜と鍵を探している間中、ずっと親し気に話しをしていましたよね。
一体、どんなことを話していたんですか?』
『えっ?どんなって、いたって普通の話しをしていただけだよ』
スマホの着信音が鳴った。
兄さんがポケットからスマホを取り出すと、一瞬見えた画面の中に、茜という名前と、鍵を見つけてくれたお礼の文が見えた。
『……兄さんは私が鍵を探している内に、茜と仲良くなる方法を探していたんですね。
さすが、友達が多いだけあって、女の子の友達を作るのもお上手なんですね』
『ち、ちがっ!
あれは茜ちゃんが不安そうだったから、元気づけようと話しをしていただけで』
『でしたら、連絡先まで交換することはないでしょう。
そうやって、傷ついている女の子につけ入るなんて……見損ないましたよ、兄さん』
『あああぁぁ!ゆ、許してエマ!』
兄さんが思いっきり頭を下げて謝ってきた。
別に、兄さんが誰と付き合おうと私には関係ない。
なのに、私は兄さんが女の子にデレデレしている姿が、無性に気に入らなくて、そっぽを向いて帰ることにした。
兄さんは私だけにデレデレしていればいいのに。
そんな大事なことがわかってないなんて、兄さんはやっぱりダメダメだ。
私は兄さんと出会って変わっていったと思う。
『ビーフシチューを作ってみたんですが、よかったら食べてくれませんか?』
『…へっ?エ、エマが作ってくれたの?』
『……嫌なら食べなくていいんですよ』
『嫌なわけないじゃん!食べる食べる!』
兄さんはシチューを食べたら、目を見開いて驚いていた。
『すごい美味しい!こんな美味しい料理を食べたのは、生まれて初めてだよ!』
『大げさですよ。こんなものでよければ、また作ってあげますよ』
『ほんと!?ありがとうエマ!』
本当は、このビーフシチューはママから教わっていた得意料理だったから、美味しくないなんて言われたらどうしようかと思っていた。
私はそっけないふりをしながらも、兄さんから見えてないところで掌をぐっと握りしめた。
『これを私に?』
『そう!今日はエマの誕生日でしょ!
ポケモン好きなら、この本をきっと喜んでくれると思ってね』
そう言って兄さんが手渡してきたものは、可愛らしいイラストが載った、色鮮やかな分厚い本だった。
『すごい!前からこの本が欲しかったんです。
誰にも言ったことがなかったのに、兄さんはよくこれが欲しかったってわかりましたね』
『い、いやー……。やっぱり、同じポケモン好きなら、エマも俺が欲しいものを欲しがるかなと思ってね』
兄さんは照れているのか、顔を逸らして言った。
パラパラとめくっていくと、どれも興味深いことばかり書いてあって、すごく楽しい。
楽しいけど……、横目で兄さんをのぞき見る。
兄さんは、一緒に本を読んでくれないのだろうか……?
『あー……、ねえエマ、なんだか横から見てたら、俺もその本読みたくなってきちゃって、悪いけど一緒に読んでもいいかな?』
まるで内心を見透かされたようなお願いに、少しだけ変な顔をしてしまったかもしれない。
そんなにわかりやすいような顔をしていただろうか?
『そ、そういうことでしたら、構いません』
『ありがとうエマ!』
『……もっと近くに寄ってください。
離れられると見づらいじゃないですか』
そう言って、ソファーに二人で並んで本をめくっていく。何気ないふりを装って、兄さんに少しだけ寄り掛かってみた。
触れているところからじんわりと兄さんの体温が伝わってきて、なんとも言えない痺れるような感覚になる。
幸せだ。
でも、あまり他の人には内心を悟られないように気をつけないと。
兄さんが私のことをわかってくれるのは、恥ずかしいようなもっと知ってほしいような、不思議な気持ちになるのだけど、他の人に知られるのは嫌だから、もう少し気持ちが顔に出ないように気を付けないと。
私のことは、兄さんだけがわかっていればいいから。
『ほらほら、見てよエマ!
俺バレンタインデーでこんなにチョコレートもらったの初めてだよ!』
『…………』
どさどさどさ!
『えーっ!
なんで俺のチョコを全部捨てるの!?』
『兄さん。私の国でのバレンタインデーは、普段嫌っている相手に復讐のため毒入りのチョコを送る習慣なんですよ』
『そうなの!?』
『でも家族から送られるチョコは安全なチョコなので、私のものだけを食べてください』
『そうなのか……。なら、エマのチョコは味わって食べさせてもうよ』
『はい。
日頃の感謝もこめて作ったので、食べたら感想を聞かせてくださいね』
私の中で、兄さんはどんどん大きな存在になっていった。
兄さんに笑顔を向けられたら、途方もなく幸せな気持ちになり、そばに居てくれないときはたまらなく心細くなる。
兄さんに私だけを見てほしい。私だけに触れてほしい。
私だけ、私だけの兄さんでいてほしい。
まるで心が捕まってしまったみたいになって、私はようやく自覚した。
私は、兄さんが好きだ。
誰よりも、誰よりも愛している。
『社会見学ですか?』
兄さんが差し出したプリントには、そう書いてあった。
内容は学校の授業の一環で、実際に働いている会社に行って、大人の仕事風景を見学するというものだった。
『そうそう!この社会見学って、実際に働いているところを見るからすごく楽しいんだって。
それでね、ここからが大事なんだけど、このときは俺のクラスとエマのクラスが一緒に行くことになるらしいんだ』
『えっ?それは兄さんと一緒に行くことができるということですか?』
『うん!下の学年の子供達を、上級生たちが面倒を見てあげるためなんだって。
だから、この日は俺と一緒に居ることができるんだよ!』
想像してみる。
学校があるのに、兄さんと一緒に過ごせる場面を。
兄さんが私の手を引いて見学をして、そして一緒に持ってきたお弁当を食べる。
……なんて楽しそうなんだろう。
『それは、とても楽しそうですね』
『でしょ!だから、その日は二人で見て回ろうよ。きっと楽しいよ!』
『はい、そうしましょう。
それでしたら、その日は私がお弁当を作ります』
『本当!?』
兄さんが目を輝かせた。
『エマのお弁当はすごく美味しいから楽しみだよ!』
喜んでいる兄さんを見ると、私も嬉しくなってやる気がわいてくる。
『では、腕によりをかけて作るので、当日は楽しみしててくださいね』
『ああ!楽しみにしているよ!』
兄さんが笑っている。
この後に起きることも知らずに。
やめて。
思い出したくない。
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