第4話

 人も物も静止した世界で、あらゆるものに灯った火種は次第に大きくなっていった。

 火にあぶられたものは飴細工のように溶けていく。

 もしもこのまま、エマを止めることができなければ、全てのものが溶け落ち、後には何もかも燃え尽きた世界が残るだろう。

「ちょっと! エマがいるなんて聞いてないわよ!」

 ユリカが極との戦いを中断してこちらにやってきた。俺が知っている中でもかなり上位の戦闘力を持っている彼女がここまで焦っているというのだから、よほどエマにやられた時のことが堪えているのだろう。

「ごめん!俺たちだけじゃどうにもならないから、お願いだから力を貸して!」

「真人はいつもいつもそんな調子の良いことばかり言って! もう無理よ! こんなことになるなんて私の手に負えないわ!」

「ユリカ!」

「えっ?」

  俺はユリカの手を両手で包み込むように握って言った。

「ユリカにしか頼めないんだ」

「うっ」

「このままじゃ俺はダメなんだよ……。

 お前がそばにいてくれないと、俺にはどうすることもできないんだ」

「そ、そんな調子のいいこと言ったって……」

「お願いだ、ユリカ。俺には君の助けが必要なんだ。

 病めるときも健やかなる時も、エマと戦う時も俺のそばにいて、最期は俺の死体の上に根付いて花開いてくれ」

 ユリカはすごくときめいた顔をしていた。

「も、もう。仕方ないわね……。その代わり、今度のデートは肥料じゃなくて、真人に一日土の中に埋まってもらうからね!」

「もちろんだ。手を貸してくれるなら、土中で養分になることくらいなんてことないさ!」

 やったぜ!これで最高戦力の一人を協力させることに成功したぜ。

『ちょろい!そんなことで命かけていいんですかユリカさん!?』

 こら!ちょろいだなんて、生後一桁台の女の子に言ってはいけない。

 純真だと言ってあげるべきだ。

 それにノエインは自分は違うと思っているのかもしれないけど、俺からしたらどっちも十分にちょろい。

「それで真人、あれはなんじゃ?」

 傍らに来た極が、龍気をムンムンにして話しかけてきた。顔を見れば、楽しみで仕方ないという顔をしている。

「あれがお主の妹だと言っていたが、少し前に見たときは特別なところなんてない、ごく普通の人間に見えたぞ?」

「俺にもなんでああなるのかはわからないけど、なにか自分にとってショックな出来事が起きると自我をなくして炎を使うようになるんだ」

「ほーん。それであのような変化をするというのか。

 しかし、あんな異形の怪物になって、一体何をしたいというのだ?」

「たぶんだけど、俺に寄り付く女の子や危険を排除したいんじゃないかと思ってる」

「それでこうして世界全てを焼いているというわけか。自分の男さえも焼け崩れようとしておるというのに?

 はっ!普通かと思えば、とんだ気狂いじゃの!」

 極はさもおかしいと言わんばかりに、膝を叩いて大笑いしている。

「だが、自分が好いた男をとられまいとする女の怨念はよくわかる。わしに敵うはずもないのに、男をとられた恨みから包丁を手に突っ込んできた女どもは、わしでさえ怖!と思うほどじゃったからな。

 まあ、どいつもこいつもわしの敵ではなかったがな」

「あれたぶん極より強いぞ」

「……ほぉ」

 極は見るもぞっとする、凶悪な笑みを浮かべた。

 龍の化身として生きる極は、強者との戦いに飢えている。ゆえに、このような敵の存在は極にとっては願ったりかなったりの状況なのだろう。

「ちょっと今からエマと戦うから、極も手伝ってくれ」

「強者との戦いは望むところ。しかし、ただ働きは嫌じゃ。わしにもユリカと同様のビッグな報酬を要求する」

「空いてる日に丸々一日、俺と戦うってのはどうだ!」

「よかろう!」

極がときめいた顔をしている。できない約束はしていないつもりだけど、今から後がものすごく怖くなってきた。

『そんな約束ばかりポンポンとして、どうなっても知りませんからね!』

「大丈夫!もう一個残ってるから」

『へ?』

ノエインが間の抜けた声を出したとき、空から轟音と共に大きな銀色の塊が降ってきた。

「お待たせ」

 銀色の塊からは柔らかい女の子の声が聞こえた。その表面に光の筋がいくつも走ると、その光に沿って塊は糸のようにほどけていき、やがて2本足で直立する人型のロボットの形へと変形した。

 そのロボットが俺の右腕に指を近づけてくると、まるで水が流れるようにロボットの表面が動いていき、肩から先がなくなっていた俺の義手へと変化していった。

 手を動かして感触を確かめてみるが、相変わらず生身の腕となんら違いない。

 こうして不自由なく生きていけているのも、レーナという今はちょっとメカになっている女の子のおかげだと痛感する。

「ありがとうレーナ!来てくれて心底助かる!」

「それで、私には何をくれるの?」

「君が望むものを」

「……仕方のない人。今回は何もなしで助けてあげる。

その代わり、私のことを忘れないでね」

「ああ。レーナが俺にしてくれたことは、死んでも忘れないよ」

「なら嬉しい」

 レーナがロボット越しに、少し笑った気がした。ロボットは体から複数の銃器を生やして、臨戦態勢をとった。これで呼べる助けに関しては全て呼んだ。

 あとは、俺が頑張って炎の巨人の中で眠っているエマを、力づくで起こしてあげるだけだ。

『ちょ、ちょっとマスター!他の人にはご褒美があるのに、私には何かないんですか!?』

「愛してるノエイン!」

『雑ー!今までで一番雑ー!私はそんなんで喜んだりなんてしませんからね!』

 とか言いつつ、高濃度の光が俺の全身を覆っていく。

 俺が人間離れした力を出せるのは、ノエインが貸してくれているこの光の力が大きい。

 しかし、その力の出力はその時のノエインのテンション次第で変わってくるので、今出してくれている力は、先ほどの極の時とは比べ物にならないくらい本気の本気だ。

 やっぱりちょろい、とは思うけど、これだけ愛されているということがなんだか嬉しくて、思わず誰でもいいから自慢したい気分になってきた。

「ありがとうノエイン!本当に愛してる!」

『うううっ!私も愛してますよ!ちくしょー!』

 ノエインがやけっぱちな叫びをあげながら、心臓からエネルギーを供給してくれる。これで準備は万端になった。

 見上げれば、炎の巨人が視線をさまよわせながら、どことへともなく歩いていた。

無駄だとは知りつつも、エマに向かって呼びかけてみる。

「エマ―!兄さんの腕は元に戻ったんだ!

 だから、もう大丈夫だよー!」


――好感度1兆

    兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん

兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん


 巨人の胸の中にいるエマの好感度は、ついに見たことのない領域まで上がっている。

 エマはある事件をきっかけに、普通は越えられない好感度100の上限を突破した。それからというもの、過去のトラウマを思い出したり、俺が他の女の子と仲良くしているのが見つかったとき、エマの俺に対する莫大な想いは時にこうして暴走して、炎として現れるようになった。

「ダメか。やっぱり、直接言わないと聞いてもらえないかな」

 巨人は周囲に火をまき散らしながら歩いていた。

 周囲の火種は徐々に大きくなっていき、巨人を中心として周りのものがどんどんマグマのように溶けていっている。

 こうまで異常な現象が起きるのは、果たしてこのメガネのせいなのか、それともエマ個人が持っている力なのか、未だにわかっていない。

 しかし、一つだけわかっていることは、もしも俺たちがここでエマを止めることができなければ、俺たちも溶けて二度と戻れないということだけだ。

 それがエマの本当の望みなのかどうかは関係なく。

「それで、作戦は?」

「巨人の胸の中にエマがいるから、そこに全員で一斉に全力攻撃。巨人の外殻を壊せたら、俺が中に突入してエマの目を覚まさせる」

「そんなことをして、お主の妹が死んでもよいのか?」

「それぐらいやっても傷一つつかないかもしれない。あそこにいるのは人知の及ばない、とんでもなく理不尽な存在なんだよ」

「了解。全武装を解除する」

 ユリカが巨人に届くほどの巨大な花を咲かせ、極が巨大な龍気を掌に圧縮していき、レーナの全身から次々と武器が生成されていく。

「さあ、エマ」

 両手に力を集中させると、雲を突き破るほどの光の柱が生まれた。

「ちょっと兄妹ゲンカでもしようぜ!」

 光の柱を巨人に振り下ろした。

「貫きなさい!」

「龍気破壊光線!」

「ファイア」

 ユリカが育てた巨大花から圧縮された水がレーザーのように巨人へと飛んでいき、極は練り上げた龍気を光の速さで放ち、レーナはロボットに搭載されている火器を全て巨人の胸に撃ち込んだ。

 俺たち全ての攻撃を、巨人はまるで意思がないかのように微動だにせず受けた。

 そして、その全ての攻撃が、巨人に当たる直前でまるで水が沸騰するように蒸発して消えた。

「いや、じゅって音して消えるなんてありえんじゃろ……」

 極があり得ないものを見た顔で呆然としていた。

「逃げろ!」

 巨人が口から数十メートルはある炎の玉を吐いてきた。

 辛うじて全員よけることができたが、炎が当たった場所は全てのものが消え去り、地面には黒々とした大穴を作ってしまった。

「なんじゃあの炎は!? まったく燃え方のどおりがとおっておらん!」

「ここは彼女の法則が支配する世界。エマが作りだしたエマの世界。

 だからあんな物理法則を無視した燃え方をする」

「理屈なんてどうでもいいから、とっとと手を動かしなさい!」

 ユリカが地中から無数の巨大な根を、巨人に突撃させた。どの根も近づいた先から蒸発して消えていくが、これは攻撃のためではなく、接近する砲台として作られたものだった。

「極!」

「おうよ!」

 極が根の大本になっている幹に両腕を叩きつけた。

「流れよ龍気!」

 伸び続けている根の中を通り、ユリカの力で増幅された龍気が蒸発している根の先端から発射された。それは燃え尽きるよりも早く、圧倒的な破壊力で巨人の外殻をわずかに削っていく。

「貴様の趣味の悪い土いじりも、少しは役に立つな!」

「ぶっ殺すわよこの蛇女!」

 蒸発するそばから伸びていく根っこに極の龍気が流れこみ、二人の合わせ技が前進していた巨人の足を止めた。

「今」

 レーナが呟くと、空から高音と共に目には見えないほどの速度で、黒い杭のような物体が降ってきた。

 杭は巨人の頭をめがけて降ってきたが、その大部分が巨人の放つ熱のせいで蒸発して消えていく。

 しかし、何層にも固められていた杭の中心にあった芯だけは、辛うじて焼け落ちる前に巨人の表面に触れることができた。

「爆発するから、気を付けて」

 レーナは爆発してから言った。

 とてつもない爆風が吹き荒れ、巨人の頭が一時的に消し飛んだ。

「レーナ!俺も巻き込まれて死にそうだったんだけど!」

「そう。まだまだ来るから気を付けて」

 その言葉のとおり、空から連続して黒い杭が降ってきた。

「やば!」

 慌てて逃げた。

 爆発の衝撃で、巨人はのけぞるように体勢を崩した。その隙を逃さず、レーナは巨人の胸に向かって杭をぶち当てて、炎の鎧をはぎ取っていく。ユリカと極もそれに合わせるようにして攻撃を重ねていき、ようやく巨人の胸の中で、炎にさえぎられながらも眠っているかのように立ち尽くすエマの姿がうっすらと見えるようになった。

「今しかない! 突っ込むぞノエイン!」

『あんなとこに突っ込んだら死んじゃいます!』

「どのみちこのチャンスでエマを正気に戻さないと、全員焼け死ぬ! 死なない程度でいいから俺を守ってくれ!」

 仰向けに倒れそうになっている巨人よりも高く飛び上がる。狙いは胸の中のエマ。度重なる攻撃は確かに巨人の炎の勢いを削いでいるが、それはまるで海の水を手ですくっているかのようにすぐに元に戻ろうとしている。

 これだけ攻撃しても何事もなかったかのように元通りになってしまうなら、この絶好の機会を逃すわけにはいかない。

「うおりゃあああ!」

 光を推進力にして、一気に巨人の胸元に飛び込む。

 背後から極の龍気が飛んでくるが、ノエインが全力で死なない程度の防御をしてくれたおかげで、背中が少しえぐられる程度で済んでいるはずだ。

「エマー!!

 兄ちゃんもう少し女の子と遊ぶの控えるから、元に戻ってくれー!」

 痛みを無視して、足に光のドリルを形成する。

 光がものすごい勢いで回転しながら巨人の炎を削っていくと、ついにエマを包む透明な壁のようなものにぶち当たった。

 いける!と思い、全力を込めてエマを包む透明の壁を突き破る。

「エマ!エマ!ほら、手も元に戻ったんだ!

 だから、こんなとこから出てデートの続きをしよう!」

 大声で呼びかけるが、エマは俯いたままだ。

 軋むような音と共に、透明の壁に亀裂が走ったとき、俯いていたエマがピクリと動いた。


――兄さん


 エマの思考が見える。

 顔を上げたエマは、目を閉じて眠っているようにも見えた。

 閉じていた目がゆっくりと開かれて、青空のように綺麗な瞳が確かに俺を見た。

「エマ!?」


 エマの瞳から、炎があふれだした。


――いやいやいやいやっ!兄さんは私だけのもの!私だけの兄さんなの!他の女には目線一つだって送ってほしくない!ずっとどこにも行かないで、私のそばでだけ愛をささやいて、優しくしてほしい!けど兄さんは他の女のところに行く。あああぁ!あの女たち、兄さんに媚びた目をしてる!絶対に許せない!兄さんは優しいから、善意で人助けしているだけなのに、勘違いする頭の腐った女たちばかり!そんなやつらがいるせいで、兄さんは傷ついたり、私の前からいなくなるんだ!兄さんは守れるのは私だけ。どこにもいかせない!絶対に離さない!もしも兄さんがいなくなるのなら、こんな世界の方が絶対おかしい!全部燃やして消し炭にして、二人しかいない真っ赤で素敵な世界にするのよ!……ほんとにするんだからね!


 ひっでぇー妄想がメガネに見えた。

「真人!」

 エマから炎が爆発するように噴き出してきた。

 俺もあと少し遅ければ、そのまま炎に包まれて、妄想どおりにエマの炎の中で一生飼われて生きることになっていたかもしれない。

 そうなる前に、辛うじて極が巨人の中から俺を引っ張り出してくれた。

 しかし、俺が無事だった代償に極はエマの炎に少し触れてしまっていた。

「極!」

「……ぐっ! 大丈夫じゃ……この程度!」

 口では平気だと言っているが、体のいたるところに炎が引火している。極は全身から龍気を飛ばした勢いで炎を消そうとするが、まるで食らいついているかのように消えることなく、徐々に極の体を焼き尽くさんと勢いを増していく。

「ダメか……。やれやれ、火であぶられるというのは久しぶりにやられると、やはり堪えるのー」

「ごめん!俺のせいで」

「惚れた男のために、体を張るのはわしの本望!

 それより、気を付けるのじゃ。昔からああいう情念に狂ったような女は、追い詰めれば追い詰めるほど厄介になるぞ!」

 その言葉を合図としたように、今まで大して動いてなかった巨人が腕を抱え込むようにして、その場にうずくまりだした。

「何をするつもりじゃ?」

 答えはすぐに出た。


――ああああぁぁぁぁーーーーー!!


 折りたたまれた体から甲高い音がし始めて、巨人が勢いよく体を開いて起き上がった。その内にため込まれていた圧縮された火の玉が、爆発的な熱量を開放し、地上に現れた太陽のごとき光で空に浮かんでいた全ての雲を蒸発させ、吹き荒れる熱風が人も街も一瞬のうちに溶かしていった。

「どけぇ!」

 極がとっさに龍気の盾を全力で張って、俺たちをかばった。

 光と龍気のぶつかりあい、俺たちは衝撃で吹き飛ばされながらも、極が全てを受け止めてくれたおかげで無事に生き残ることができた。

「極!」

 その代わり、極の状態はひどいものだった。体の至る所を焼かれ、右腕だけを残した状態で四肢の大部分が炭化してボロボロになっていた。

 けれど、極は顔が半分黒焦げになってしまったというのに、こちらに振り向いたときほっとした顔で笑ったのだった。

「無事……か? ま……さと……」

 極が倒れる前に、どうにか抱き留めることができた。

「バカ! なんでこんな無茶したんだよ……!」

 普段の快活な様子が、見る影もない。

 極がこんな死にそうになるなんて、夢にも思わなかった。

「だって……わしのせいじゃったから。

 ……すまなんだ、許してくれ真人」

「怒ってなんてないって。だから、死なないでくれよ……」

 一瞬、頭の中にもうダメなんじゃないかという考えがよぎる。

「真人。さっきの炎で宇宙ステーションが消し飛んだ。これで私の戦闘能力は10パーセントまで低下」

 どうやらあの炎は宇宙空間まで届いていたようだ。レーナが独自で飛ばしていた宇宙ステーションまでやられるとは、これはいよいよ危機的な状況かもしれない。

「警告。地球の裏側にも火がつき始めた。

 地球が熔解しているスピードから計算して、およそ3分以内にエマを止めないと私たちも崩壊に巻き込まれる」

「それまでにエマを止めないと、俺たち全員が大地に還ることになるのか……」

「どうやって止めるのよ? 私が出せる花だって、さっきの炎でほとんど消えちゃったんだから」

 遠くに見える巨人は世界を燃やしながら、手をさまよわせるようにして、うろうろと歩いていた。

 それはまるで、小さな子供が親を求めているようにも見えた。

「……まさか、見えてないのか?」

 あまりにも、自分を包む炎が厚すぎて、エマの目には俺がどこにいるのか見えていないのかもしれない。

 それは、あの日俺の右腕が無くなった日から、ずっと周りを、何より自分を責める心が炎となって、エマを覆っているからなのかもしれない。


――好感度1兆

   兄さん兄さん兄さん……

          どこにもいかないで……!


 その姿はまるで子供の頃に、俺を探してさまよっていた時と同じ姿をしていた。

 泣きながら俺を呼ぶエマに、この子を絶対に守ろうと、俺はあの時そう誓ったんだ。

「そうだよな……。俺はお兄ちゃんなんだから、エマのそばにいてあげないとな」

 そう思うと、自然と覚悟が決まった。

「みんな! 今からエマを正気に戻す最後の手段をとる!」

「そんなのあるなら最初からやりなさいよ!」

「ごめん! それで、その内容なんだけど」

 俺がその方法を言ったとき、全員が絶句していた。

「……お主、相変わらず……狂っとるの」

「妹が妹なら、兄も兄ね」

 ユリカは呆れたように呟き、極がつぶれた喉で、それでもこらえきれないかのように笑っている。

「よかろう……。

 真人……わしの唇は燃えておるか?」

「えっ? 綺麗なもんだけん」

 極がキスをしてきた。


――好感度99

   これが最後じゃから……


「どうじゃった……真人?」

「……一生忘れられないぐらい、最高のキスだった」

「……ははっ!そうじゃろ。

 わしが生きていたこと、忘れるでないぞ!」

 極は炎に包まれながらも嬉しそうに笑うと、全身から莫大な龍気を放出させた。

 炭化していた肉体も緑の龍気に溶けていき、やがて極の姿は人間ではなく、伝承で語られるような龍の姿へと変貌していった。

 大きな咆哮をあげ、一瞬だけ俺を見たかと思うと、巨人に向けてあっという間に飛びだっていってしまった。

「これ、持っときなさい」

 ユリカがすれ違いざま、俺の頭に小さな白い花弁の花を突き刺してきた。

「ユリカ、これって」

「そうよ、私の本体。

 それが無くなったら二度と咲くことができなくなるんだから、大事に取っておくのよ」

「ユリカ……、ありがとう」

「そこは愛してるっていいなさい」

「愛してるユリカ」

 歩いていくユリカが少し笑ったような気がした。

 ユリカは手のひらから虹色のチューリップを一本生やすと、それを手に巨人へと戦いを挑んだ。

 龍が体を燃やされながらも、供給される龍気にまかせて巨人へと食らいつき、ユリカがチューリップの花弁や葉を武器に使って、巨人の炎を吹き飛ばしていく。

 二人が捨て身の攻撃をしてくれているおかげで、ようやく巨人の勢いが弱まっている。

 この機会を逃してはいけない。

「俺たちも行こう! レーナ、頼んだよ!」

「本当にいいの?」

「いい!もしも失敗したら俺の脳は持って行っていいから!」

「……そんなことより、死なないで」

「自信ないけど、頑張る!」

 レーナが俺の義手へとアクセスすると、まるで水面に落ちた一滴の雫が広がるように、ロボットは俺の身体に流れ込んできた。その姿は、鉄と電子の塊ではなく、銀色の液体のように見えた。

 ロボットはまるで溶けるように肌に吸い込まれていき、俺の体は銀色の液体に覆われ、その輝きが全身を包んだ。皮膚に浸透する液体は、筋肉、血管、神経にまで浸透し、その一部となり、一瞬で俺の体は人間とロボットの融合体へと変貌を遂げた。

「行くよ、エマ!」

 背面のブースターが火を噴き、俺の体は一瞬の内に空に飛び上がっていた。

 一気に高くなった視線の先では、極とユリカが巨人から無限に湧き上がってくる炎の勢いを削ぐことができずに苦戦しているのが見えた。

 エマが先ほどの攻撃で、自分に向かってくる存在に気づいたからか、巨人は見えていないというのに闇雲に手足を振り回して極とユリカを追い払おうとしている。

 大雑把な抵抗だが、相手は雲を突き抜けてしまうような巨人だ。振り回される手足は炎を波のようにばらまき、燃え盛る炎があまりにも広範囲を焼き尽くすため、二人は次第に攻撃をするどころか逃げ回ることしか出来なくなっていった。

「この状況どうすんのよ!?」

「クソ熱いけど、必死に考えておる!」

 極が空を飛び回りながら、向かってくる炎に向かって口から龍気を放つ。圧倒的な奔流に火が蹴散らされていく様を、極が得意げに見ていると、散らされた火は塊となって地上で走り回っていたユリカへと降り注いでいった。

「しまった!」

「何してくれてんのよ!!」

 ユリカは虹色のチューリップから根や葉を生やし、急いで火の塊を迎撃していく。しかし、雨のように降り注ぐ全ての火を撃ち落とすことが出来ず、ついに迎撃の隙間を縫って、火がユリカの体に触れようとしていた。

 なので、大急ぎで武器を生成して、ユリカに触れようとしていた火を全て極太のビームで消し去った。

「真人!」

「全弾エマにぶち込む!」

 端的に告げて機体の至る箇所から砲身を生成する。

 撃ちだす弾は先ほどレーナが宇宙から落としていた杭と構造は一緒だ。 ただし、弾の中にはノエインの光が圧縮された特製の弾丸となっている。

「 2人のデートがこんなことになるなんて本当についてないよな!」

「その割には嬉しそう」

「もうこうなったらこれがデートだと思って楽しむしかねぇ!

 行くぜエマ! これが数々の女をおとしてきた、俺流好感度爆上げデートのやり方だぜ!」

 なんだかおかしくなってきて、笑いながらエマに向けてトリガーを引き続けていた。

 撃ちだされた弾は、その運動エネルギーと外殻のほとんどを炎の勢いで失いながら、目視では確認できないほど小さな欠片となって巨人の表面に付着した。

 その瞬間、レーナの絶妙な調整によって中に込められていたノエインの光が内側から爆発するように広がって、巨人の炎を吹き飛ばした。

『や、やった! ちゃんと効いてますよマスター!』

「その調子でどんどん頼む!」

『これ作るの結構大変なんですよー!』

 効果があるとわかれば後は同じことの繰り返しだ。

 エマがいるところを中心に弾を次々と撃ち込んでいく。

 先ほどは削り切れなかった炎がみるみる内に削れていく。

 そして、ついにエマを包む透明な壁が見えるようになった。

「真人、力を右手に」

「おぉぉーーー!」

 砲身の操作は自動に切り替えて、目を固く閉じて深く息を吸った。そうすると、体の内に何かが湧き上がるのを感じる。

 右腕がゆっくりと振り上げられる。微かな熱を感じ、エネルギーが集まってくるのを感じた。それはまるで内部で小さな星が生まれようとしているかのようだ。

 周囲にある空気が震え、揺れ動き始めた。それはまるで俺自身が生み出す力に引き寄せられているかのようだ。

 そして、右腕がこれまで以上に輝き始めた。その光は、巨人が放つ炎にも負けない輝きとなって、仄暗く燃える世界を照らし出した。

「ぶちぬけ!」

 腕から放たれたエネルギーは、まるで太陽が地上に落ちてきたかのような輝きだった。

 その光は、強く、鮮烈で、巨人の炎とぶつかりあい、目もくらむような閃光を放った。

 けれど、どれだけ力を込めても、エマの前の壁を破ることは出来なかった。

「ぐぬぬぬぬっ!

 これでもダメなのか!?」

「大丈夫。私がいるから」

 レーナの声は淡々としていて、とても静かだった。

 突然、右腕が俺の体よりも大きな形の砲身となり、光の威力が桁外れに上昇した。

 その勢いはすさまじく、巨人の足は後ずさっていき、エマを包む透明な壁が音を立ててひび割れていく。

 しかし、その威力の代償か、レーナと合体していた装甲が末端から、ボロボロと砂のように崩れてしまっている。

「レーナ!」

「大丈夫。私はここで死ぬけど、真人が生きててくれることの方が大事だから」

「そんなことない!レーナだって死ぬ必要ないよ!」

「私はいいの。

 ……長生きしてね」

 体からほとんどレーナの装甲が消えて、最後に残っていたフェイスシールド部分が半分消えた時、むき出しになったメガネに出会ったときのレーナの姿が見えた。

 10歳程の女の子が、まるで闇夜の中に揺れる海のような長い黒髪をなびかせ、暖かな褐色の体を光の中へ走らせていく。

 ふと、こちらの視線に気づいたかのようにレーナが振り返ると、青空のように澄んだ優し気な瞳と視線が交差した。レーナは少しだけ驚いた顔をすると、最後に嬉しそうな顔をして手を振りながら、今度こそ光の中に消えていった。

「レーナ……!」

 レーナを犠牲にした光が、エマを包む透明な壁を破り、巨人の胸に風穴を開けた。

 その穴の中に、目を閉じて漂うエマが見えた。

「さっさと行きなさい!」

「言われずとも!」

 ユリカは自分の体を無数の葉に変化させ、風穴をふさごうとする炎を押しとどめた。

 その葉は一秒と立たずに燃え尽きてしまったが、極が穴の中に体ごとねじ込むには十分な時間だった。

 そのわずかな時間に、極は龍の顎でエマを咥え巨人の外に連れ出すことに成功した。

「真人!受け取れ――!!」

 口から炎を噴き出しながらも、極はエマを俺の元へと放り投げた。

 極もユリカも、エマを引きずりだした代償に炎に焼かれ、燃え尽きようとしていた。

 おそらく、このチャンスを逃せば、今度こそ世界の燃焼を止めることはできないだろう。

 俺は地上に降り立ち、自分を守っていた全ての力を解除した。

 たちまち肉体が熱で燃え始める。

 構わない。

 ただ、空から降ってくるエマに向けて、右手を掲げた。

「エマ―――!!」

 大きな呼びかけに、薄っすらとエマが反応した。


――にい、さん?


「これを見ろ!」

 そう言って、残っていた右腕の義手のエネルギーを暴走させ、大爆発させた。

 爆炎と共に、右半身がほとんど吹き飛んだ。

 悲鳴のようなものを遠くに聞きながら、仰向けに倒れていく。

 薄っすらと赤から青に変化していく空を眺めながら、なんだか泣きじゃくるエマの顔が見えたような気がする。

 最後に誰かの声が聞こえた。

 

 兄さん!!


 二度と覚めないかもしれない暗闇に、俺は落ちていった。

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