恋愛物短編置き場

綴木継人

Aster tataricus


 雨が上がった後だったからだろうか、大きな水溜りがたくさんある道だった。

 僕のすぐ目の前で水飛沫が上がり、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。

 その輝きは一瞬で、あっという間に目の前が暗くなる。

 その時ふと、彼女の顔が頭をよぎったんだ。



 今日も穏やかな日差しだ。窓の側には紫苑の花が花瓶を彩っている。窓を開ければ爽やかな、だけどまだ夏であることを主張するかのような熱気が入ってくる。

 今年の夏休みも残りわずかだ。つまり、花火大会はもうすぐ。

 サキもこの街に帰ってきているだろうか。


 サキは3年前に引っ越してしまった僕の幼馴染だ。

もういつからの付き合いだったか忘れてしまったけど、小学校の思い出にも中学校の思い出にも必ずサキがいた。何をやっても駄目な僕を文句を言いつつも何かと面倒見てくれていたし、親同士も仲が良かったから家族揃って泊まりがけの旅行もしたっけ。

 もうすぐで中学卒業っていう時期に引っ越しのことを打ち明けられたときにはとてもびっくりしてしまった。僕はてっきり同じ高校に行けると思ってたから。

 あまりにも唐突に告げられたからその後は卒業式までぎこちない態度をとってしまって、なんでそんなによそよそしいのって怒られたっけ。

 結局僕は、中学卒業までずっとサキに面倒を見られてばかりで何もできなかった。

 最後くらいちょっとカッコつけようと思って引っ越し当日にひっそりとプレゼントを用意したんだけど、まさか彼女の方から告白をされるとは思っていなかった。

 僕、最後までダサかったな。



 ああ、もうすぐでサキの誕生日だな。

 彼女の誕生日は夏真っ盛りの暑い日だ。毎年2人で花火大会に行って、そこで誕生日プレゼントを渡すのが楽しみだった。

 夏生まれの彼女は暑い季節に負けないくらい元気な子だ。いつも強気で、僕を振り回して、それでいて優しい彼女が、花火大会の時だけは浴衣を身に纏い普段とは全然違う表情を見せてくるので、僕はいつもドキドキさせられる。

 そんな情けない僕がサキにしてあげられるのは、一生懸命選んだプレゼントを持って花火大会に誘いに行くことだけなんだ。

 今年のプレゼントはもう決めてある。張り切ってかなり前に買いに行って、どうやって渡すか何度もシミュレーションした。すればするほど彼女がどんなリアクションするのか分からなくなってしまったけど。

 でも、きっと喜んで受け取ってくれる。

 今年はなんて言って誘おうかな。


 窓辺の紫苑がふわりと揺れた。



 ふと、僕は振り返る。

 そういえば、この紫苑の花は誰が置いているのだろうか。

 今は一人暮らしをしているし、他に出入りしている人間はいない。僕自身、生花をきちんと飾っておけるほどまめな性格ではないし、紫苑の花なんて買ったこともなかった。それなのにこの花は萎れた様子もなく花瓶に生けられている。

 花といえば、サキが引っ越してしまう際にリナリアとその種を貰ったんだけど、当時の僕は花なんて全然知らなくて、サキを怒らせてしまったんだっけ。

 彼女曰く、リナリアの花言葉は「この恋に気付いて」。まさか花言葉で告白してくるとは思ってなくて驚いたけれど、サキが僕のことを想ってくれていることは素直に嬉しかった。

 今では庭いっぱいにリナリアが咲いている。


 花言葉。紫苑の花言葉はなんだったっけ。



 その日は珍しく講義が午前中で終わり、サークルもなかったからサキへのプレゼントを選びに行くことにした。大学生になりたての僕にはちょっとお高めのブランドだけど、きっとサキに似合うであろうアクセサリーを選びに。

 店から出て、プレゼントを大事に抱えて、さあ帰ろうという時だった。

 雨上がりの水溜りから水飛沫が舞い、太陽の光を反射させる。

 

 目の前で、トラックが横転した。

 

 何が起きたのかわからない。

 視界が暗転する直前、サキが引っ越す当日の会話が思い出される。

「リナリア、育ててよね。花火大会の頃には帰って来るから」

「うん、来年も、その先もきっと誘うから」

 あぁ、リナリアでドライフラワー、作ろうと思ってたんだけどな――


 ――7月28日午後3時44分頃、○×交差点付近で交通事故発生、男子大学生1人が巻き込まれ――


 なんで忘れていたんだろう。僕は確かにあの日、死んだのだ。

 でも心残りが、サキに会うのを本当に楽しみにしていたから。

 今日は8月28日。明後日には花火大会がある。



 私が事故のことを知ったのは、1年ぶりに故郷の土を踏んでからだった。

「来年も、絶対誘うから」

 そう言ってたのに。

 シオンのお母さんから、これはきっと私のために買ったものだろうからと小さな箱を受け取った。カスミソウがモチーフになったイヤリング。

 本来なら君の手から直接渡されるはずだったのに。

「なんでよ……」

 小さな箱はずっしりと重く、冷たかった。


 私はその日、これでもかというほど泣いた。



 午後8時の10分前。

 私は浴衣を着て、貰ったイヤリングを付けてシオンのお墓の前に来ていた。道中で買った紫苑の花を供える。

「ねえ、シオン。花火大会もうすぐ始まっちゃうよ。早く来て一緒に見ようよ……」

 あれ、泣くつもりはなかったんだけど、視界が滲んできちゃった。

 いつからかは覚えていないけど、小さな頃から花火大会の日は毎年必ずシオンが家まで迎えに来てくれていた。最初の頃はおばさんかおじさんも一緒で、よく二人揃ってりんご飴を買ってもらってた。そのうち2人きりで行くようになってちょっとシオンは恥ずかしそうだったけど、それでも毎年必ず誘いにきてくれていたのに。

 散々大泣きしたからもう泣かないだろうと思っていたのに、気がついたら涙が止まらなかった。


(ああ、今年も帰ってきてくれたんだな)

 僕は自分のお墓の横でサキを待っていた。

 今年も浴衣を着て、さらに渡そうと思っていたカスミソウのイヤリングも付けてきてくれた。

(お母さん、ちゃんと渡してくれたんだ。よかった、サキに似合ってる)

 それから――

(紫苑の花を供えてくれていたのはサキだったんだね)

 きっとこの街に帰ってきて僕の死を知ってから、ずっと花を供えてくれていたのだろう。

 僕の意識の中では常に生き生きとした紫苑の花が花瓶に生けてあった。ということはかなりの頻度でここに来てくれていたのだろうか。

 来てくれるのは嬉しいけどなんだか複雑だなぁ。僕のことは忘れて欲しくないけど、サキには元気で笑っていて欲しいから。

 泣き止んで欲しいなと思い、僕はサキにゆっくり手を伸ばした。


 ふわりと風が吹き、まるで涙を拭うかのように頬を掠める。

 顔を上げると、ちょうど花火がどーんと打ち上がるところだった。

「綺麗……」

 これからはシオンと一緒にこの花火を見ることはできない。もうシオンとの思い出を更新することはない。

 とても悲しいことだけど、泣いてばかりではシオンに合わせる顔がないよね。

「紫苑の花言葉は追憶、君を忘れない。本当にシオンにぴったりだよ」

 

 供えた花がふわりと揺れた。

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